遊戯王の履歴書 その4
2010年3月
新制限が適用される。
馬頭鬼や異次元からの埋葬等のシンクロアンデのパーツやルミナスや援軍といったライトロードのパーツなどが規制される。
猫環境の時から猛威を奮ったネクロガードナーの規制も今回だったと思う。
トリシューラを手に入れた旋風BFやインフェルニティが前期から生き残り今でいうtiar1のようなポジションに君臨していた。
4月には強欲で謙虚な壺がリリースされる。
強欲で謙虚な壺は、当初デメリットがそんなに気にならない罠ビ(今で言うミッドレンジ系)で足らないカードを揃えるように使うのが強いという話だったが特殊召喚を多用するインフェルニティのようなぶっぱデッキ(今で言う展開系デッキ)で使っても結局1キルするためにパーツを揃える必要があるのでどのデッキにもあった方がいいという事になり高騰した。
この時期のカードにしては、1枚2500円を超えておりカードの価値を知らなそうな相手にシャーカーが「いくら見ですか?」とか抜かしながらゴミみたいなカードとトレードしていたのを今でも覚えている。
この年の3月から5月は選考会の予選期間だったこともあり馬鹿みたいに公認大会にでまくった。
選考会を狙ってる人を倒すと珍しいカードをくれたりするし何より上手い人とゲームをすると勝っても負けても自分の成長を実感できた。
この年の成績は31-5か6とかで選考会にはいけなかったが後々ランキングのプレイマットが送られてきて結構嬉しかった。
選考会期間中にメタが薄くなった影響等もありライトロードが復権するなど環境の変化もあった。
5月に入り地元の友人に誘われて初めてCSに参加する。
初CSはインフェルニティを使用して2-2でドロップした。
インフェルニティとナチュルに勝ってインフェルニティと旋風に負けたのを覚えている。
地元で負けなしでインフェルニティがそこそこ上手いと思っていたので井の中の蛙だったと痛感した。
ちなみにこのCSは、主催者が選考会で不正を行った事など問題が多々あり2回目以降の開催はなかった。
次第にメインにDDクロウを内蔵した旋風BFが台頭しIFの立場が悪くなる。
選考会終わったあたりからパーフェクトデクレアラーで完封してTODを狙う戦略や旋風BF等罠ビに有利が取れて水霊術等を使用したピーピングハンデスで妨害するカエル帝が流行魔知ロックで延命する事の兆しを見せる。
イレカエルを使用した魔知ロックは延命性能が高くETで強く立ち回る事ができて凶悪だった。
8月頃に某カード屋が主催した遊戯王の全国大会のブロック予選があった。
店舗大会で3位までのメンバーを選出しチームを組んで大会に出るという物だった。
やる気はあったのだが酷い物で東海大会は3チームしか来ず尚且つチームメンバーが来ないチームもあり寄せ集めた謎の4人チームが結成されていた。
そんなのありか。
この大会は、今でもよく遊ぶやまとさんや当時の仲間と参加したのだが前述したカエル帝を使用して準優勝だった。
知り合いのチームが優勝して決勝大会にいったらしいが決勝大会も来ないチームがあったりめちゃくちゃだったと聞いた。
話は変わるがこのくらいからデュエルエントランス、少し昔のイザジンやトナメルのような物が流行りはじめる。
入賞すると名前とレシピがのるので勝ってるといい意味で売名ができた。
当時CSに出ていたプレイヤーはそれを目標にカードをしていたはず。
自分も例外ではなくその"頂"に名前を連ねたいと憧れていた。
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