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授業”出席”に対する疑問

(※以下のボヤキは、あくまで個人的な見解です)
別に授業って出席しなくてもいいんじゃないか?って学生さんサイドじゃなくても、教員サイドになっても個人的に思う次第です。思えば、出席をmustにしないと学生さんが来てくれないような講義は、如何なものかと私は感じます。

今回は前回のコラム「授業の視聴率」の延長線上というか付け足し的なボヤキですが、もちろん100%の人間が「おもしろい」と回答してくれるような話をすることは難しい…というか現実的に無理と考えます。「おもしろい」のツボは各人によって異なりますし、1人の人間が多数の人間に向かって話をする以上、視聴率100%を目標として掲げること自体、ナンセンスに感じます。しかし、話者の工夫次第で視聴率を上げることは可能と思いますし、その話の仕方の創意工夫に長じることこそが、教員たる仕事と私は考えています。

例えば、私は「枠」という言葉をあてがうのですが、「これから何の話をするよ」とか「これから話す内容について学習する目的・理由」を、講義の初めに端的に話すことは極めて重要と思っています。何の為にこれを聞かなきゃならないのか?が初めに共通理解としてお互いに形成できないと、そりゃ聞く方も「あと90分何を聞けば良いのだか…」といった感じで、たまったものじゃないと想像できます。そりゃ寝ます。

また違った角度で言えば、前回の例をもう一度掘り起こしますが、”1対1万”とか相手にする様なアイドルは凄いなって思います。恐らく1人のアイドルは1万人の表情というか場の空気というか、それを瞬時に臨機応変で読みつつ”持っていく”ことをします。そこには1人のアイドルとの一対一の言葉によるコミュニケーションはないかもしれないですが、”1対1万”の「対話」があるからこそ、「おもしろい」と思うのではないかな、と思います。表情を読む・空気を読む、それを感じて次を予想する、行動する…。日常的なコミュニケーションにおいてすら、この流れを理解していることは当然のことかもしれませんが、しかし”1対多”でそれをどうやって実現させるかは非常に難しいし、非常にアタマを使うと私は感じます。

昨今では出席ありきの授業というのも増えてきた様に思いますが、出席なんか取らなくても学生さんがおもしろいと思ってくれる様な展開をしていく、これが教員としての本質なんじゃないかなと私は思う次第です。

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