【3.11】 9年前を振り返る

もう9年経つのか。
あっという間な気がするけど、きちんと振り返ると9年間で色々あったなとも思えて、やはり9年経ったのだなと感じる。

9年前を振り返ってみる

私は東京生まれ東京育ちだけど両親が茨城県出身で当然ながら茨城県には縁もあり愛着もあって、遊びや仕事でもなんやかんやで茨城に行く機会も多かった。
2011年3月11日も本当にたまたまだけど、仕事で水戸のお客様のところへ行くことになっていた。

営業担当の後輩とサービス導入のサポートをしていた私。
あとはそれを手伝ってくれるベテラン(元気)おじいちゃんの3人でお客様のところへ向かった。

お客様のところへ到着して商談や、サービス導入に向けて色々社内の調査をしている時に強い揺れを感じた。
本当にヤバイ時って一瞬ヘラヘラしてしまうんだなってのは今でも覚えている。

「えっ、結構揺れてますねw」

その直後に笑えない状況。
今まで感じたことのない揺れを感じて、その瞬間脳みそのスイッチが切り替わって本当に危険を察知した気がする。
とにかく外に出ないとまずい!と思って、お客様含めて急いで外に出るように促す。

外に出た瞬間、今まで見たことのないような景色が目の前にあった。

お客様の会社がちょうど建て替えか何かでプレハブ小屋っぽい感じの建物。
外のブロック塀は、結構な高さもあったけど、まるでこんにゃくの様にクニャクニャと揺れている。

そして後ろを振り向けば大型トラックがローライダー(バインバインに弾む車←名前が知らなくて調べた)のように横転しそうなくらい揺れていた。

こんな景色を未だに覚えている。

世界が一変した

その後も余震が続く。
大きな揺れが収まった直後、ひとまず荷物を取りに行かないと!
と思って、おじいちゃんは外で待っていてもらって、何人かで会社の中に入って荷物を取りに行く。
会社の中もひび割れや壁が落ちてきているところもあった。
そして本当に怖かったのが、おじいちゃんがちょうど調査していた場所に大きな壁が崩れてきていたこと。
あの時、すぐに外にでなかったらと思うと本当にゾッとする。

お客様とも話して、何か手伝えることがないかと聞いた気がする。
だけどこうなったらどうしようもないという事と、自分たちの帰りをとても気にしてくれていた気がする(茨城の人いい人)。

行きは上野からスーパーひたちに乗って水戸駅。そこからタクシーでお客様のところまで来ていたので、さぁ帰りはどうするかという話に。

ちょうど、茨城にもう一人技術職の先輩が向かっていて水戸で合流する予定だった。その方が、水戸駅のレンタカーで車を借りていてという話で水戸駅まで歩いて戻ることに。

その水戸駅まで向かう道中も景色が一変していた。
起伏が激しい道路や、崩れそうな橋。
路面店の大きい窓は割れて、地面にはガラスの破片が。

本当にこれが現実か夢なのかわからないような感覚で水戸駅に向かった。

確か、当時は電話が全くつながらないけど、ネットはつながっていた。
そこで水戸に向かっていた先輩は途中駅で降りることになったが無事を確認。車で向かって拾うという約束をした。

ちなみに当時社内でこっそりおつきあいしていた人がいて、とてもとても心配で、隙をみて何度も電話したけどつながらず。
Twitter見ていたら本社の近くで火事が起きているような話もあって、何度も何度も電話したりメッセージを送ったけど届いているかもわからない状況だった。

帰りの手段とその時の純情な感情

レンタカーは会社名義で借りていた。
そして事情もお伝えしたところ急遽東京で返却してもいいと言ってくださり、どうにか帰りまでの手段を確保することができた。
(茨城の人いい人2)
そして、店内に困っている男性がいた。
なんだろう、危機的状況の時っていつも人見知りな自分が(それどころじゃないぞ!)って言っているのか、タガが外れた状態になるようで、(この人も連れて帰ろう!)と思い、話しかけたところちょうど東京方面だったので一緒に車に乗ってもらい東京を目指しすことに。
確かその時レンタカー屋さん車を大きくしてくれた気がする。本当に感謝。

おじいちゃんの提案で何か食料を買おうという事で、近くのローソンへ。
しかしローソンも停電してしまっていた。
だけど、臨機応変にそこのローソンでは商品を手売りしてくれていた。
あの直後に素晴らしい判断をされていたなと感動すら覚えた。

おじいちゃんは飲み物とからあげくんやおつまみイカみたいなものを買ってくれた。

ここで当時の感情。
ここで先輩ぶって後輩に運転させるのも何か違うし、おじんちゃんに運転させるのも違う。そして一緒に乗ってもらった方にお願いするのも違うなと思い運転は自分ですることにした。

なんだか、さっきからいい人ぶっているかもしれないけど、
いざ危機的な場面に遭遇した時にどういった行動をとれるのか、少しでもベストな考え方ができるかシミュレーションはしていた方がいいと思う。

小さい時から、大人になるまでどっちかというと優しい人のポジションにいた時分。優しい人というか大人しい人というか。
でも、こういう時に逃げだしたり慌てふためくようだとかっこ悪いな~と小さい頃から何となく思っていたので、そういう場面でそういった判断や責任感をもった行動ができた事は少しだけ自分が誇らしくも思う(少しだけね)。

ちなみにどうでもいい話だが自分の経験上、「優しい人」はモテない。
周りを見渡す限り、俯瞰で見ても自分は優しい人だと思うし、
基本的にレディファーストを心掛けている。
(小さい頃は凶暴で妹に肘鉄を喰らわすくらいだったが、いまは天国にいるじいちゃん(当時めちゃくちゃ怖かった)にガチで怒られてから、女性には優しくしなければいけないんだと小さいながら悟った。
怒ってくれてありがとうじいちゃん。

ちなみにじいちゃんも若い頃は酒乱でばあちゃんを殴りまくっていたらしい。そんな話を母から聞かされていた事もあり、より一層女性には優しくしないといけないなと思って今に至る)
ベビーフェイスで身長はそんなにも高くないし、足も短い。そのせいかもしれない。
※足長ジェントルマンはモテるかもしれません。

あと、責任感が強すぎるのもよくありません。
人に頼らず頑張りすぎてしまうと、どこか故障して予想もしない病気になるので人に頼りましょう!

水戸→東京へ

ローソンを後にして、東京を目指す。
道路はやはり起伏やひび割れが激しい。そしてものすごい渋滞をしていた。
あの時、情報を得る手段はラジオとネットだけ。
ここは記憶が曖昧だが、高速道路は駄目だという話になり下道で東京を目指すことにした。

信号もほとんど灯りがついていない状態。

でもここは日本らしさというのか。
信号の灯りがついていなくても交差点でもお互いが道を譲りあう。
あんな状況ながらも感動したことを今でも覚えている。

日が暮れて夜になると街灯も消えており、殆ど真っ暗で車のライトだけが唯一の灯りだった。

そんな中ラジオから聞こえてくる津波の情報。
津波でとんでもないことになっているというラジオの情報やインターネットに出回っている画像の情報は自分に入ってきていた。
東京に帰る時には大洗を通らなければいけないと思い、真っ暗になった道を進みつつ大洗を通り過ぎていくときは本当に怖かった。

途中で、先輩も救出。
近くで毛布を貸してくれて、周りのみんなは近くの体育館に避難していたけどその先輩は電話ボックスの中で待っていたらしい。
体育館で待っていた方がよかったですよ!ってみんなで言ったことを覚えている。
確か、渋滞が凄すぎて結局先輩に合流できたのが22時過ぎていたと思う。
寒さで震えていた。(ちょっと運転変わってもらおうと思ったけど、これはダメだとあきらめた)

その後も、渋滞の中を少しずつ東京へ向かっていく。

少しずつ陽が昇ってきた。
千葉にはいる頃には外が明るくなっていた。
ラジオから聞こえてきた情報では、大変なことになっているという話だったが、千葉に入った時の正直な印象は

(あれ?あまりいつもと変わってないな?)

というのが最初の印象だった。
東京に近づく度に、いつも通りのような日常が目の前に広がっていた。
(千葉も東京も大変だったことを後日談として知る)

千葉方面の人たちは松戸から電車で帰えれそうという事で、
松戸で何名かおろして最後は後輩を家の近くまで送る。
そして自分は当時、東西線の原木中山に住んでいたアパートに到着。
家に着くまで12時間かかった。

車を返しにいかなくちゃと思ったけど、
流石に気力がなく、ちかくのパーキングに車を止めて家に帰る。
家の中もめちゃくちゃなことになっているだろうなと思ったが、
前日の夜に食べた赤のどん兵衛がひっくり返り座椅子にスープがこぼれていて、メタルラックの上に置いていたテレビが少し傾いているくらいだった。

テレビをつけた時に、今回の地震について初めて映像でみた。
言葉にならない衝撃と惨状、自分が体験したことや帰りに見てきた被害の状況、そして千葉、東京方面に帰ってきたときの日常感のギャップに凄い腹がたって少し泣いた。

そのあとは自分にできることはやろうと思って、ライフライン系の部署だったこともあり休日出勤して、被災した地域のお客様対応をしたのを覚えている。
上司の奥さんがおにぎりを握って上司に持たせてくれたりしてたな。感謝。

少しでもできることを

9年という時間は経ったけど、こういった災害の時への備えや心の準備は普段から必要かもしれない。改めて。
そして被災に合われた方々へ、少しでも何か貢献できることがあればしていきたい。

「3.11」で検索してみたり。


Tポイントって使いますか?
こういったページもある。
少ないけどその時残っているTポイントは毎年寄付するようにしている。

諸々落ち着いたら、仙台にも旅行に行きたいなと思っている。

最後に

本当に危機的な状況に人間性が試される。
偽善と思われても人に優しくできる人間でありたい。
昨今のコロナウイルスでも、人間性が試されていると思う。
買い溜めしている人は家族を守ろうとしているのかもしれないが、
少し落ち着いて冷静に今の状況を考えて行動してほしい。
いかに冷静に判断できるか、いかに正しい情報を仕入れるかも重要。

あと備え。
普段からモバイルバッテリーは絶対に持ち歩いたほうがいい。
あの時、携帯の電池は切れ全く使えなかった(家族や当時の彼女にも連絡できず)。
やはり緊急時の連絡を取る手段、正しい情報か判断する手段になるので。

あれ?揺れた?と思ったら、条件反射でスマホの電池を確認するようになった。

あと、今の事態が収まったら、水、アルコール消毒とか非常食とかね。
今回の件で、「あ、アルコール消毒買っておいたじゃん!」っと思って防災グッズから出してみたら使用期限が2014年までだった。。
そう、定期的なメンテナンスも大事。

ペットを飼っている方は、籠とかもね。
当時、実家の猫や犬もとても心配だった。
万が一のことを考えたら人、犬、猫、家族で避難訓練をしておいたほうがいいかもしれない。

あんな惨状、もう二度と起きてほしくないけど、
何が起きても変じゃないそんな時代さとミスチルの桜井さんも言ってます。
ある程度、災害への備えと覚悟が必要なのかもしれない。

サ・サポート!?いいのですか?感謝しかありません!