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ファイア・イズ・アウト、リメイニング・ヒート 6

 ……下方。重機の林が燃え上がる。「何?」キャタリナはずるずると足を滑らせ、腰かけるような姿勢、あるいは見様によっては尻餅をつくような姿勢で、それを見た。中心部……燃えるもののないエレベーター周辺地は古代演芸の舞台めいて浮かび上がっている。

「ハ、ハ、バーカ!」キャタリナは壊れたように哄笑した。「バーカ! アンバーンド=サンが独りだ! 私……私の勝ちだ!」キャタリナは円柱エレベーターへと跳躍、当然のように垂直の壁面を駆け下りていく。

 アングバンドはチャカ・ガンを袖に仕舞うと、ともかく立ち上がり、クレーンアームを登る。煙草に火を点けながら登るミゼリコルティアに……並ぶ。「……カズヤ=サンはさ、アレかな」アングバンドが言いかけて止め、ためらい、そしてやはり言葉にした。「キャタリナを諦めたって事でいいンかな」

 アングバンドの問いにすぐ答える代わりに、傭兵は咥え煙草のまま器用に煙を吹かした。「どっちにせよ、アタシらのやる事に変わりはない。粋がるガキを叩きのめす」「違いねェ」アングバンドは肯定した。「違いねェよ」

「それよか自分の心配だな」「それよか自分の心配だ」二人はしばし沈黙しながら六十度の急坂を登る。殉教者じみて。超自然の火が肌を焼く。やがてアングバンドが世間話のように切り出した。「勝てるか?アレ」

 ミゼリコルティアは大きく煙を吐く。「タイミング。ルート。あと運があれば」「ッ運か」アングバンドは頭を掻く。「今どンくらい?」「今四分の一かな」「四捨五入すりゃゼロだな」アングバンドは笑った。ミゼリコルティアは笑いもせず答える。「そうだな。今のままじゃやれない」ミゼリコルティアは登り続ける。

「傭兵は舐められたら終わりじゃないのかよ?」「出来ねぇ仕事を出来るっつっても、カネを払わなくていい捨て駒にされるだけだろ。死して屍拾う者なしってな」「ッなるほどね」彼らは語らいながら、六十度の急坂を登る。殉教者じみて。超自然の火の熱が肌を灼く。

 そして彼らはクレーンアームの頂上に到達した。そこにあるものを確認し、アングバンドが呟いた。「これで四分の二になったワケか?」ミゼリコルティアは頷く。「後はアングバンド=サンが頑張って四分の三。四捨五入すりゃ百だな」ミゼリコルティアは笑いもせず言った。「違いねェな」アングバンドは笑いもせずに応えた。「違いねェよ」





 ウシミツ・アワー。鳶28区のネオンも煌びやかな大通りに人通りは少ない。「飲みな」「夜の秘密」「ドンブリ・ボン」……その下を闊歩する夜の王あり。

 彼の巨体はスリや暴漢とてあえて狙わぬ為、深い時間を歩く危険をも気にする事なく、往来を自儘に歩く。スモトリ崩れの酔漢は、自分こそこの夜の王だと自負していた。彼はふと月を見上げた。昨日は新月だったが、今日は細い三日月が──インガオホーと……。

 酔漢はその下を撫ぜる、白い色付きの風を見た。それは雲?あまりにも早く過ぎ去った……彼の酩酊した大脳新皮質はそれを"何"と判別できなかった。だが日本人の遺伝子に刻まれた本能は正しく動作し、しめやかに失禁した。「ブルシット!」


 カズヤはニンジャとなった。彼は揚々とカワゴエの店……「ツキ・スシ」のノレンが下げられた玄関を(「営業時間後だからね。基本は裏の出入口使ってよー」)くぐった時点で体力の限界を迎え、倒れた。ニンジャとなっても、それまでの疲労や、まして流出した血が戻るわけではない。単純に限界だったのだ。

 そして24時間後。目覚めると、カズヤはタタミの間でフートンと、それから簡易なイタマエ装束に身を包んでいた。彼の着ていた衣服はズタズタで、そうでなくても血や雨水に濡れ、着用不可として処分されていた。身を起こしたカワゴエは、枕元に置かれたバッテラ・スシを見るや、夢中で貪った。

 血中を素晴らしいエネルギーが巡る。フートンを出、店先の方に出ると、カワゴエはノレンをしまう所であった。カズヤは改めて持てる語彙を尽くして礼を言い、その上でバッテラ・スシもう一パック要求した。「食べ盛りだもんね」と笑うカワゴエからバッテラ・スシの包みを受け取ると、カズヤは急ぎツキ・スシを飛び出した。

 背後からカワゴエの制止が聞こえてくる。「しまったな」カズヤは逃げ出したわけではない。カズヤはこの喜びを、新しい人生の始まりを仲間に伝えたかったのだ。(((自分は、ほとほと考えなしの所がある。ルカやフレデリカにもよく呆れられたものだ)))知らず口元が緩んでいた。

 走るのは気分がよかった。ビルの壁面と壁面を順に蹴り渡り、屋上に着地する。それからビルの屋上から屋上へ飛び渡る。できると思った事ができる。周囲の景色が、ネオンの光が、飴のように後背へと溶け落ち、流れていく。頬に風を感じる。強い風を。自由。そして仲間。未来。スシ。彼は月にも届けとばかりに跳躍した。「ブルシット!」地上で酔漢が何かを詰っていた。


 カズヤ達の拠点は鳶28区の再開発予定区画にある。多数のスクワッターが暮らす投棄区画とは違い、大通りからさして距離のないオフィスビルがそうだ。再開発が決定され立ち退きを宣告され、暗黒メガコーポに一早く恭順を示す為、早期撤退した企業のものだ。こういった場合、可能な限り立ち退き費用を得ようと欺瞞闘争行為が行われる為、期間限定で足の短い拠点だか、とにかく競合者が少なく、時には半年以上持つ事もあった。フレデリカの知恵であった。

「イヤーッ!」ビルからビルへと屋上を駆け抜け、屋上から跳躍。空中で身体を捻り、ガラスが抜け落ちた五階の窓から体操選手じみてエントリーする。一羽のカラスが鳴き声を上げ、しばしオフィス内を回ると、そのまま割れ窓から飛び去った。

 元々カズヤ達はこのフロアで寝起きしていたものの、ある大風の日に窓が割れ、避難してきたカラスがここに縄張りを作ったのだ。何度か窓を塞いでも巧みに引き剥がして出入りするので、彼らの方がフロアを一つ下に移した経緯がある。社会的インフラに守られていない人間は一匹の野生動物より弱い。それは当然の事なのだ。

 備品が運び出され、持ち出すより置き去る方が安価と判断された机の群れを縫い、階段を降りる。彼らは階段のすぐ横に机バリケードと拾い物で継ぎ接ぎのテントを張ってセキュリティと一応のプライベートを両立している。「フレデリカ! ルカ! キリエ! 遅くなってスマナイ! スシとサプライズが……」

 カズヤは躊躇なくテントをめくる。冷たい風が入り込み、中のオートバイ雑誌を揺らした。テントをめくる。冷たい風が入り込み、中の週刊誌アブナイ・ピンナップと魚図鑑の表紙を撫でた。テントをめくる。冷たい風が入り込み、雑多な冊子を揺らし、大量の紙屑が舞った。……破り取られたページだ。このテントの主は、知性的であると同時に、時折感情を制御できなくなるのだ。そしてその事を本人自身が一番よく理解していた。

 舞っているのは……オフィスビルに大量に在庫があった創業者の自伝著だろう。図鑑のページを開いたまま抑えるのにも使われている。枝を咥える猛禽類がスケッチされたページが開かれていた。

「ワカル?紙にも縦と横があって、裂きやすい方向は決まってるの……」などと語りながらベリベリと表紙を剥ぎ、ページを裂くフレデリカには、誰もあえて止めようとしない迫力と、ある種の切実なアトモスフィアがあった。

 ……そして四つめ。最後に自分のテントをめくる。冷たい風が入り込み、いくつかの缶詰、食器、なけなしのヨロシバンドなどの医療品、自作のキャンプ道具などを一瞥し、何処かへ去った。

「みんな、どこだ!? スシがある! 俺達はジョブの糸口を掴んだんだ!」ニンジャ知覚力が悟ってはいた。ニンジャの強化された五感が示す証拠、ニューロンの類推をキャンセルして、努めていつも通りに振舞う。そうすれば、そうしてさえいれば、世界はかくあるとでも言う様に。

 加速するニューロンがこの状況を説明可能なストーリーを作り出す。(((たとえば、俺がマッポに捕まって、己の身惜しさに根城ごと仲間を売ると思い、逃げ出した?)))

 そうであればいい。仲間はお気に入りの本や雑誌を手放すとはいえ、無事だからだ。だが彼は仲間を信じていたし、仲間を信じる己自信を信じていた。

「ハァーッ、ハァーッ……」

 それともやはりルカが説得したのだろうか?キリエを? フレデリカを?「カズヤはオレ達を見限ったんだ」と? たった一日で? 彼は口では色々と言うが、決してそうしないだろう。 不可能だ。

「ハァーッ、ハァーッ」

 不可能であっては困るのだ。 何故だか毎度カズヤに押し付けられる一切の食糧品も医療品も持ち出さずに?(((外に出て……たとえば帰らない俺を探しに外に出て、不測の事態が起こって、寝床に戻れていない……それでは困るのだ)))

「ハァーッ!、ハァーッ!」

 呼吸が荒い。床に這いつくばり、何かを、何かを探す。ニンジャの嗅覚が臭跡を探す。一日経って冷えた床からでは、何も得られない。何も。冷たい床を這って探す。何もない。何も、俺には何も、何も……。

「アンタ、本当にバカだね」いつからか、カワゴエ=サンが窓を背にそれを見ていた。細い下弦の三日月は、空にいる何者かが「インガオホー」と嗤っているようにカズヤには感じられた。

「カワゴエ=サン! 俺の、俺の仲間が!」「イヤーッ!」カワゴエの手が閃いたかと思うと、大きく開いたカズヤの口に飛び込んだ!「オゴーッ!」

「はい吐かない」その上で顎をロック! 実質アイアンクローを有無を言わさぬ腕力でかけられ、微動だに出来ない。その腕を両手で叩くも、微動だにしない。(((俺は……)))

「ホヘハ、ムホフハホハ……」「はいはい。いいから食べなさいな」「ム?」そのまま咀嚼すると、甘く、しょっぱく、砂糖ではない甘味があり、心地よい酸味があって(傷み具合のバロメーターではない酸味!)とろけるような舌触りと、アクセントになるシャリの粒が切れる心地よい感覚……。カズヤの経験に乏しい味覚はオーバーフローした。

 カズヤの抵抗が弱まり、顔を掴んでいた腕が外される。 その後も、微動だにせず……否、顎だけを動かして咀嚼を続け、やがて飲み込んだ。「これは……?」「食べた事ない? ないか。アナゴ・スシだよ」「これが!」「バイオだけどね」カワゴエが肩を竦めた。

「……バカだね、オビも締めないでイタマエだー、だなんて……そのスシも、装束も、どこで盗んで来たんだ? って思われるのがオチでしょ」「ム」彼は多少憮然として己のイタマエ装束を見下ろした。どこか変だろうか?

 それから顔を上げ、カワゴエを見た。パリッとした……どう違うとは言えない。だがそうとしか言えない、どこからどう見ても完璧なイタマエがそこにあった。起き出した時に着ていた服とは違う。着替え、スシを握り、夜を駆り、追い掛けたのか。

 もう一度自分の姿を見る。実際ヒドイ。どう違うとは言えない。だがそうとしか言えない、何もかもが……コスプレで、張りぼてで、虎の威を借るキツネならぬイタマエの衣装を着るキツネ、いやタヌキだ!

「カワゴエ=サン……俺は……」「いいからイタマエ修行やんなさい」次のスシが飛び込む。ぷりぷりとしており、つぶつぶともしている。実際味覚経験に疎いカズヤ=サンはデス禅問答を受けたかの如くフリーズした。ニューロンにスシとコトダマが染みる。

「ただ闇雲に仲間を追いかけて、よしんば見つけても、何者でもないままじゃその後が続かないでしょ。今、頑張って、未来を変え、過去を救うの。それしかないの」私もツテを当たってみるし、あなたも修行以外では出歩いていい。カワゴエの言葉はどこか懺悔するようだった。

「……クマの為に、ウサギが火に飛び込んだ。クマはわずかの熱を得て、クマの為なら火にだって飛び込めるウサギを失った」ポエット! 差し込む月明かりの下で、その言葉はカワゴエの何か……言い知れぬ過去を、経験を、悔いを、そのままではなく、しかしそのまま以上に伝えた。

 あるいは彼女は、己の行いを通して己を救おうとしているのか。だが……そうだとしても、もはやカズヤに否はなかった。それに相対し得る何物も、己は持っていないのだ。ただ、差し出されるスシを食べ続けた。

 その日食べたスシは、今まで食べたどんなスシよりも上等だった。そしてその上等さは、"それを仲間に食わせてやれなかった"という、冷たく苦い記憶として、ニューロンに深く刻まれた。





 それから三ヵ月と少し。ほんのそれだけ。だがニンジャ集中力をもってすればモータルの三年にも等しく──。





 クレーンアームの頂点から、遠い階下。重々しい扉が閉まる音が聞こえた。大扉のひとつ、向こう側から差し込む細い光のスリットが途切れる瞬間のみを、キャタリナは視野の端で捉えた。

 コックハートはアームの根本を這うように……一歩……一歩……滑り落ちた。コックハートは視覚・三半規管に受けた甚大なダメージが残り、その上でこの急角度なのだ。また一歩……滑る。

 這う這うの体で登るコックハートの視線は、遠く、小さいはずの視線は、道を開ける様にアームの端に寄ったミゼリコルティアとアングバンドの前を真っ直ぐに通り、キャタリナの目を射抜いた。それは厳しくも──キリエが・・・・見た事のない──。


「もう聞いてくれとは言わない」


 ……下方。重機の林が燃え上がる。「何?」キャタリナはずるずると足を滑らせ、腰かけるような姿勢、あるいは見様によっては尻餅をつくような姿勢で、それを見た。

 カトン。ジゴクの殺戮兵器めいた。あんな規模のジツはアンバーンドをしか知らない。ルカの仇。だが何故今? 今──。

(((今だ。動け。早く動け!)))キャタリナは幾度かアーム上で足を幾度が滑らせ……立った。「ハ、ハ、バーカ!……バーカ! アンバーンド=サンが独りだ! 私……私の勝ちだ!」キャタリナは跳躍する。円柱エレベーターへ!

 今燃えているのは円状空間の外側に当たる重機のみ。逃げ隠れ出来ない様に? キャタリナは嘲った。(((逃げ隠れ出来ない様にわざわざ重機の林を縫って流していたのは私の方だ!)))

 キャタリナはイクサに意識を集中する。(((……ニンジャの速度は早い。イクサの速度は早い。だけど私は更にハヤイ……! 単純な世界、不必要なものが何もない純粋なスピード……!ここでは私が王様なんだ……!)))

「イヤーッ!」一直線に円柱を……ゴウランガ! 矢の様に一直線に、弱まった明かりも向かう先も、今何処を走っているのかも背後に置き去らんと駆け抜ける。 炎上する地の底へ。 そして地を蹴るかの如く自然に、垂直の円柱を蹴り離れ、回転──回転する視界が、低bpsのアニメめいて、その光景を受容し、再構成する────

 ────炎に────炎に照らされた────ニンジャが二人────二人?────もう一人は────女?────男?────まぁいい重要じゃない────あれがノーボーダー=サンか?────ヘンなメンポ────たぶんそう────隣のパーカー────パーカーじみたニンジャ装束のフードを目深に被って────被っているのはアンバーンド────さっきはしていなかったメンポ────アンバーンドが────嗤った────

 ────メンポで口元は隠れている。にも関わらずそれは目元の動き、ある種の卑屈さにも似た肩から首にかけての角度、そういった無意識下の非言語的アトモスフィアの合算が、キャタリナに悟らせた。ニンジャの……邪悪を。……私達を、ルカ=サンを焼いたあの時の、貌。回転!

「イイイイイイイィィッヤァアーッ!!」キャタリナは猛りをシャウトと共に、回転から踵を叩きつける。着地の感触が消失し、土がボウル状に窪む。ヒビが走り、遅れて間欠泉じみて土砂が、割れた石くれが噴き上がった。破滅的威力の落下回転踵落とし!

(((回避された)))キャタリナは撥ね飛ぶ破片の一つ一つをも吟味できそうなほどに引き延ばされた時間感覚の中で尚素早く思考を巡らせる。(((一旦退いてもう一度アタックをかけ──)))「いいのかなァ」単純化した世界で冷静に最適行動に移ろうとしたキャタリナのニューロンは、瞬時停止した。

「いや、別には構わないんだよ? でもこのままイクサを続けて、僕が火を強くしていったら、フフ……あっちでヨチヨチ歩きしてる大事なカズヤ=サンは大丈夫かな? 燃えちゃうんじゃない?」フードを目深に被ったニンジャが邪悪なコトダマを吹きかける。「また君の──」

「イヤーッ!」ブゥオーン! 土煙を吹き飛ばすケリ・キック!「イヤーッ!」ブワーン! 土煙を薙ぎ払う回し蹴り! アンバーンドは共に回避。ハヤイすぎる攻撃の衝撃波が土煙を攻撃に先んじて跳ねのけ、攻撃予測が容易!

「なら! イヤーッ!」片足を軸に回し蹴り!「イヤーッ!」更に蹴り足を地に突き立て強引に軸足を切り替えての回し蹴り!「イヤーッ!」蹴り足を地に突き立て強引に軸足を切り替えての回し蹴り!

 ゴウランガ! ミゼリコルティアのワザマエをインガオホーするが如き苛烈なる連続攻撃! 予測が意味を為さない範囲連続攻撃と手数と速度で攻めるつもりだ! 回避に専念しバックステップ主体で躱すアンバーンド、だがキャタリナは一刻一刻と加速……加速していく! ジツを行使する隙間もない! 明らかにジリー・プアー!(徐々に不利)そして……。

「オゴーッ!」突如崩れ落ち、反吐を吐く! 崩れたのは……キャタリナ!「なんだ……気分が……悪い! 呼吸が……苦しい!」「フェイストゥフェイスは初めてよね?」

 特徴的なメンポをした男女平均的アトモスフィアを持つニンジャが、崩れ落ちたキャタリナを威圧的に見下ろした。目前に構えられた手指は、明らかに不可思議な形──何らかの印?「まーさーかー忘れてないと思うけど。もう一度アイサツするわね? ……ドーモ、ノーボーダーです」

「ハーッ……ガハッ!」キャタリナは息を吸おうとする。だが吸えば吸うほど頭痛が等比級数的に悪化! 身体の末端から痺れ! ニンジャであっても実際耐え難い!「……ドクか!?」「御想像にお任せするわぁ」「ゴホーッ!」

 身体に異常を来たしているのはキャタリナのみ。アンバーンドも、ノーボーダーも、冷徹に眺め下ろしてくる。(((やはり退くべきだった。退いて……)))キャタリナは大きく振り返ってクレーンアーム──その根本近く。コックハートは──無事。

 土にU字の跡を残し、円柱エレベーターへとバックフリップ。ミサイルじみてクレーンアーム……中腹へと飛び移り、駆け上がっていく。他に行ける場所がないからだ。

 カラテ……自分にも理解可能な世界へ。そうだ。ミゼリコルティアとアングバンドをこの火に叩き落す。私の仲間を焼くというのなら、アイツがそういう存在だって、アンタの見る目は間違いだって、カズヤ=サンに突きつけて──。

(((「もう聞いてくれとは言わない」)))(((アレはどういう意味?))) キャタリナはクレーンアームを駆け上がりながら自問する。

(((……怖い。怖い。見捨てられて当然だと思っていた。けど本当に見捨てられるなんて──分からない、どうしてこうなっている? いつの間に? もしかして最初から?)))

「嫌だ、考えない」景色が矢の様に流れ去る。「全員殺せばいいんだ」(((どうして? 何故?)))千々に乱れた心をかき集め、かき集め、かき集め──。

「サタナキア=サンが言ったから」世界は単純化する。「"母に全て捧げよ"と、そう言っていたから」母親なんていない。だから──欲しかった? だから? 私は何がしたかった? 振り払う。思考はすべて、罪罰はすべて、ユメはすべて、当然の現実はすべて、すべて、矢の様に流れ去れかし──。


「来るぜ」地上ではキャタリナがバックフリップしていた。すぐに円柱を蹴り、クレーンアーム中腹へと蹴り渡り……そこからは一瞬だろう。アングバンドは一秒後の激突を予測し、言った。「あぁ」ミゼリコルティアがタバコを最後に一吸いすると、指でピンと弾いた。インフェルノめいた炎に墜ちていく。

 彼らは今、クレーンアームの最先端、その先。壁面から突き出した一本の鉄骨の上にいた。「ったく、こんな時でもマイペースだな傭兵さんは」「ヘイキンテキだよヘイキンテキ。あー風呂入りてぇ。暑いし」グルリと肩を回すミゼリコルティアに、その話の流れのままアングバンドが言わずもがなの確認をする。

「背中、預けるぜ?」「半分だけな」幅にして三十センチあるかなきかの鉄骨上、アングバンドはアームに近い方に陣取り、両足を前後に開いて正面を向いて立つ。ミゼリコルティアは壁面に近い側に半身で立つ。大きく伸び。キャタリナがクレーンアーム中腹に……着地した。「来るぜ」アングバンドは繰り返した。「あぁ」ミゼリコルティアは顔を上げる。アングバンドは鉄骨から飛び降りた。


 ズームめいた視野の中、キャタリナは状況判断を行う。アングバンドが……落ちていく。何故? 銃弾が放たれる。キャタリナに向かって──ではない。右を。左を。右を。左を。チャカ・ガン使いのヤクザニンジャはアームの影に消えた。その向こうからでも、クレーンアーム左右に銃弾をバラ撒いていく。

 先の跳躍からのタックル、左右からのトライアングルリープめいた変則軌道攻撃を警戒しているのだろうか? 対するキャタリナは準備をする。更に速度を上げる準備を!

(((正面からなら対応できるとでも? それともアームと足場の間の僅かな空間を狙撃しようとでも?)))アーム先端が近付いてくる。時間感覚は更に引き延ばされ── 一瞬が主観の一時間にも引き延ばされ、そして主観の一時間が一瞬で過ぎる。矛盾に矛盾を重ねる、他者との通用不能なそれが、キャタリナの速度。

 アーム先端からミゼリコルティアの足場に……飛び移る跳躍地点……まであと八歩。七歩。

 まだ。まだ。六歩。五歩。まだ。まだ。四歩。三歩。

 まだ。二歩。加速。一歩。更に加速! ゼロ。跳躍!

「ィ────────────」自分の発したシャウトを、自分が置き去りにするという異常。キャタリナは飛翔する。単純なるトビゲリ。蹴り足の右爪先、蹄鉄めいたU字の鉄片が、進む先の空気を圧縮して熱を生じる。圧縮。圧縮された時間。静けさ。カラテ。

 ミゼリコルティアは──キャタリナに対し左側面を見せている。いた。右足を前方に踏み出しつつ、一枚の板めいて回転し、相手に対して体の前面を見せている。的が最大化する瞬間。右腕が脇を絞め、肩の位置に拳がある。まだそんな所に……!

 今のキャタリナの速度に対して攻撃を当てるなら、既に軌道上に攻撃が"置かれて"いなくてはならない。キャタリナは勝利を確信した。トビゲリは心臓を抉る軌道。

 空中のキャタリナにとっては自らの蹴り足で見えない。ミゼリコルティアが踏み出した一歩──その爪先が鉄骨に触れた。瞬間、以下の四つの事象が全て同時に起こった!

①後ろに残した左足、腰、左肩が一体となり半時計回りのモーメントを与える!②一枚の板じみて右側面を向ける半身になる!③上体が足の横幅一歩分右にブレ・・、心臓狙いのトビゲリ致命的先端を回避!④左半身から来る半時計回りのモーメントが乗った右の!右の縦拳が射出!──キャタリナの右胸に直撃!

 ゴウランガ……ゴウランガ! 音を裂くトビゲリへの雷の如きカウンター・ワン・インチ・パンチ!「「イヤーッ!」」交錯に遅れて二者のカラテシャウトが倍音を響かせた! 空間が歪ずむ! キャタリナが身体をくの字に曲げ吹き飛んだ!「グワーーーーッ!」

 肋骨骨折! 肋骨でスリケンを、銃弾を受ける尋常ならざるニンジャ耐久力を持ってはいても、 キャタリナは既に胸部に銃弾とスリケンを受けている! そして耐久力と関係なく、体躯は尋常のサイズ。交錯による相対速度の激突をも合算し、キャタリナは優にタタミ十枚以上吹き飛ぶ! 空中へ!

 だがサイオーホースか、ミゼリコルティアの精確なるカラテはキャタリナを真っ直ぐ吹き飛ばし、故に眼下にはクレーンアーム。リングアウトし炎に突っ込む事は回避されている。宙に投げ出されたキャタリナはその目に決断的意志を宿らせながら回転! 着地寸前姿勢を制御し、そして狙いすましたようにコックハートに掴まった。「また……!」

 だがコックハート! アーム上は急角度、人一人の重量を支えるのはアブナイだ! 現に六十度斜面をギリギリで……ギリギリで転倒する事無く滑り降りていく。下方は炎の海……。

「嫌……嫌だッ!」キャタリナは狼狽し、子供のようにバタつかせようとする。だが……極限のカラテで冷えた頭はどこかで冷静さを残していた。暴れれば転落するまでの時間が早まるだけ。コックハートを道連れに……キャタリナは先の速度、先の気勢が嘘のように、カメめいて縮こまり、滑り終わるのを待つ。

 スキーの如く滑り降りるにつれ……炎が消えていく。ゴゥ……更にどこかで機械の動作音がして、残る熱が吹き払われていく。ノーボーダーが指示したのだろうか? キャタリナは……ぼんやりと考える。クレーンの根元まで到達し、運動エネルギーが完全にゼロになる……なった。

 コックハートはキャタリナをクレーン車のルーフにそっと降ろすと、懐のサラシから包丁を取り出した。

 コックハートはルーフ上に次々と、魔法の様に道具を配置する。減菌マナイタ。使い捨てポリ手袋。タッパー。保冷剤代わりのチャのボトルに巻き付けられた保存袋。ワサビとショーユの粉末……エトセトラエトセトラ。

 コックハートは、慣れた様子で手袋を嵌めると、保存袋に入れられたナマモノをマナイタに置くと、その手に持った包丁で切り……否、捌いていく。そぎ切りにし、丁寧に、慎重に、そして手早く。巧みな包丁遣いで切り込みを入れ、最後にトン、と包丁の背で叩くと、肉の繊維がほぐれ、花の様に身が広がる。

 タッパーからシャリを取って、ネタをのせ、粉末ショーユを振りかけると、最後に水で練った粉ワサビを奥ゆかしく乗せた。

 コックハートは作ったスシを、キャタリナに差し出す。イクサの最中、傷ついたニンジャにとって喉から手が出るほど欲しいスシを。痛む胸を、暴れる様々な衝動を抑えつけ、キャタリナは口を開けた。スシが差し入れられ、指が離れたのを確認して咀嚼する。

「……………………オイシイじゃん」「ウム」コックハートは微笑した。“カズヤ=サン”には似合わない、らぢくない、どこか弱々しい笑みだ。

「お前達とはぐれた日──の、前日になるのか? 俺はスリに失敗してヤクザに追われ、そして師匠に拾われ……イタマエになったんだ」あれから三ヵ月と少し。ほんのそれだけ。だがニンジャ集中力をもってすればモータルの三年にも等しく──。

「いや……なるんだ。修行中でな。厨房は人が足りているから、皆はひとまずはデリバリーやその他の要員という事はなる。だがまともなジョブに……」「私はニンジャになったんだよ」キャタリナは硬い声音で遮った。

「俺もニンジャだ」コックハートは揺らがない。キャタリナは皮肉気に……泣き笑い、自虐、暗い優越感にも似た言い知れない何か……様々の感情を代わる代わる浮かべ、言葉を探し、絞り出していく。

「……私は、命令、されて。いや……『そりゃいいや』って。それじゃあ、やってやろうって。たくさん、たくさんのニンジャを浚ったし、殺した。ただの人も。私の、私の手は……汚れて……」

 バシン、とキリエの頬を、両の頬をカズヤの大きな掌が包んだ。ポリ手袋の嵌まった手が。

「俺は奪うだけの人間だった。そしてイタマエになる。なるんだ、キリエ。俺達は一度人生をやり直した。二度やり直してもいいだろう。俺は許す! お前は……」

 そこで初めて、コックハートの声は震えた。だが決然と問うた。「お前は……俺を許さないか?」

「…………ヨクバリ」キリエが憮然として言った。

「ヨクバリ。あとバカ。スゴイバカ……ナマモノ触った手で女の子の顔触らないでよ……本当……そういうとこだよ?……そういう……本当に……変わったんだか変わらないんだか……」

 キャタリナとの戦闘、そしてカズヤとキリエとのケンカは、こうして終わった。








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