ファイア・イズ・アウト、リメイニング・ヒート 2
ノーボーダーは大量のクローンヤクザが待機していた隣の部屋に踏み込む。最初の部屋の半分ほどの面積のトーフ部屋。剥かれて中身を失った銀色のパッケージが隅のゴミ袋にまとめられていた。印字を見ると消費期限間近のバイオインゴットを包んでいた事が分かる。クローンヤクザ維持用の物資だ。
ゴミ袋の横に先へと続く鉄扉……僅かに押し開く。その先には広く無機質なトーフ部屋が続いている。更に複数の鉄扉。無音が耳に痛い。「……そんな気はしてたけど、全然これで終わりじゃなさそうね」鉄扉を慎重に閉め、それから壁面のパネルを操作した。最初の部屋に照明が戻る。
「タイガークエスト・ダンジョンっていうのかしらね、こういうのも。それとも同じ穴にフェレットとタヌキ?」ノーボーダーは溜息をつき、照明を灯した部屋へと戻っていく。鉄扉の横では、ベンダーが購買欲を煽る光パターンを放ちながら、アワレなニンジャ付属物と共に回転していた。
コックハートはサラシからゴム手袋を取り出し、クローンヤクザの遺体を一ヶ所に集めている。ノーボーダーには段々とこのイタマエ装束のニュービーニンジャの行動を理解し始めていた。「弔ってあげるつもり?」「ああ」コックハートはツキジのマグロめいて粛々と一列に並べていく。
「俺……俺達に家族はない。だが、たとえ悲しむ人が居なくとも、人の死は悼まれるべきだ」「そ……っか」ノーボーダーは完璧な微笑みを作った。
「ヨー!ヤんじゃんぇか、アンバーンド=サン!」向こうではアングバンドがアンバーンドに絡んでいた。「お前さんソウカイヤでも出世できるんじゃねぇか? 今なら第一の舎弟にしてやンよ、ついでに名前もアングバーンドとかに変えねぇ?」
ミゼリコルティアは煙草を吹かし、自らの持ち物を検分していた。煙草が一箱(青いメタリックの箱。銘柄は覚えていない)。ライター。名刺入れ。ツケの効かない自販機の為のトークン。いざという時の素子。「ZBRねーな……」
「なんだミゼリコルティア=サン。ジャンキーかよ?」アングバンドがヘラヘラと矛先を変えた。「依存は趣味じゃねーんだよ。カラテに要ンの……」「へー、カラテにね」傭兵は幾分鋭さを秘めた目で銃使いを見た。一歩踏み出し、それから紫煙を吐いた。「イエローカードだぞ」「ヘイヘイ……」
アンバーンドはその場を離れると、自らのジツ……カトンの焼け跡にしゃがみ込んで、焼けたクローンヤクザの一部を拾い集め始めた。
「キツいんじゃないの?」背後から……否、すぐ横から声がかかった。ノーボーダーが同じくしゃがみ込んで声をかけてきたのだ。
「ウーン、ハイ。エット……いや……」アンバーンドはモゴモゴと口を動かした。「それとも」ノーボーダーは自らの膝の上に腕を組み問いかけた。「快感と罪悪感かしら」アンバーンドはモゴモゴと口を動かし続ける。
不都合に対して黙り込むわけではないと見て取ったノーボーダーは、視線を少しズラし、思考が纏まるのを待った。「そう、かもしれません」アンバーンドは答えた。
アンバーンドは、優し気なノーボーダーの声と表情とは裏腹に、その視線に観察し評価する冷徹な基準を感じていた。人事裁量権を握り、自ら来月の雇い止めリストに名前を書き入れた労働者と穏やかに談笑できる人間のアトモスフィア。
けれど、モータルとして長くネオサイタマの派遣業で様々な職場を巡ってきたアンバーンドにとっては、そういった視線の方がどこか安心するのも確かだった。無償の情を押し付けてくる人間は、同時に無償かつ無際限の返礼を求めてくるものでもある。冷えた心にはビジネスライクがよく馴染む。
「ニンジャは……」「ま、大体イーヴィルなものよね」アンバーンドはビクリと震えた。自らの所感をノーボーダーが先回りして答えた為だ。「ニンジャソウルのモータルを人とも思わない嗜虐性と、モータルの自分が良ければそれでいいという残酷さがブレンドされて、そりゃヒドいものよね。モータルからすれば」
ノーボーダーはあっけらかんと言った。理解はするが、そちら側には立たない。肉食獣が草食獣の痛みを理解しようと、腹が減れば、あるいは腹が立てば組み伏せて食い物にする。そういうものなのだ、と。そういうムッジョな声色であった。
「ンー……結構思い詰めるタチなのね。アンバーンド=サンは」ケラケラと笑う。言葉をほとんど口にしていないにも関わらず理解されている。あるいはそのように思わせる笑いだ。「そうね。でも結局、自分の感じている情動を否定しても、後で、しかもしばしば取り返しのつかないタイミングで爆発して噴出するだけだわ。価値観と感性の擦り合わせは、アナタが感じているより更にモット急務よ」
ノーボーダーはアンバーンドの背中をパン、と叩いた。「ま、死ななきゃ納得できる日も来るわよ」「アッ ハイ……あの……いや、アリガト……」「ビー! 商品切れです! 入荷日時は未定な!」
その時、無限回転命令を実行するベンダーミミックがとうとう三半規管限界を迎え、轟沈した。ベンダーにしがみついたまま白目を剥いて気絶するスネークフットが転げ落ち……「ビー! 大当たり!」スロット回路が誤動作を起こしたベンダーが吐き出たドリンク缶に呑まれた。
四肢くらい撃ち抜いておくか? と軽く言うアングバンドと、特に異論のないミゼリコルティアに、自分が抑えておく、と、クローンヤクザを横三列に並べ終えたコックハートが申し出た。ガタイのいい青年が、十代前半の少女の両腕を背側で、それもやたらと手際よくロックするのはたとえニンジャであっても何らかを危惧する絵面ではあったが、ニンジャであったのでスルーした。
ミゼリコルティアによってベンダーのよく冷えた『天然水』と表記された水が振りかけられ、スネークフットは意識を取り戻す。
「や、やりなさいよ……」「ア?」「私は話さないわよ。……サタナキア=サンについても。ここについても。"縦糸"は残ってるんだから。貴方達なんかそいつらにやられるに決まってるんだから!」
「まだなんも訊いてないんだけどな……」「私は痛みなんかに屈さない……サタナキア=サン……照覧ください、私の献身を……」スネークフットがブツブツと自分の世界に入っていったのを見て処置なし、とばかりに傭兵は肩を竦める。
「こういう手合いはインタビュー重点すれば最終的には話すが、時間がかかるぜ」「適当にそれっぽい事を匂わせて時間を稼ごうとしてる……って線もあるわね」ノーボーダーがそれとなく危惧を伝えた。「痛めつけて全部吐かせるか、すぐ殺すか……前者は割に合わネェんだろ?」アングバンドが袖口からチャカ・ガンを引き出した。
「ま、待ってくれ」コックハートがクルリと反転し、銃口に無防備に背中を晒した。「彼女はまだ子供だぞ!」アングバンドは……肘を曲げ、銃口を天井に向けた。「……まぁ俺だってあえてガキ殺してェわけじゃねぇよ。ソンケイが減るかンな。ニンジャの年は実際信用ならねぇけど」
「アラ、ニンジャディセンションで止まるのは老化よ。ヤングは身体が成長しきるまでは、基本見た目通りの年齢と見ていいわ」ノーボーダーが助け舟……あるいは単にアングバンドの無知を咎めた。「そだっけな。ッてそれはいいんだよ。話が一周しちまうだろが」アングバンドが噛みつく。
「こいつの身の安全を保障して、こっちの安全を放棄するのは本末転倒ッて話だろ」「あ、あの……」「ア?」アンバーンドがおずおずと挙手をしていた。「あの、痛めつける以外で何か……有効な手段はないでしょうか。ニンジャ秘伝の自白剤とかそういう……」「アノナ」アングバンドはがっくり肩を落とした。
「カトゥーンじゃネんだわ。ニンジャは。セブンスギアみたいなお役立ち便利グッズなんざ無ェの」「ンー……」ミゼリコルティアが何かに思い当たったように指を鳴らした。「ローティーン臭いから無意識に考えから除外してたか……。ヨシ」
ミゼリコルティアは順番に指を曲げ、動きを確かめるようにすると、手首を回し、肩をグルグルと解し始めた。「じゃーあ……アタシが暴力以外の手段でインタビューしてやるよ。昔取った杵柄ってね。ウケるぜ」元ヤクザの情婦は、微塵も面白くなさそうに言った。
「なるほどね。そういうんならアタシも手伝えるかもしれないわね」困惑する一同の中、ノーボーダーが唱和した。「ア? でもよ……」「ダイジョブダイジョブ。男と女だとか女と女だとか男と男だとか……そういう単純さじゃ測れないワザがあるって事、インストラクションしてあげるわ」「ヒッ」
ここまで悲壮観と事故陶酔をブレンドした表情で押し黙っていたスネークフットは、ノーボーダーの異次元的な指の動きを見て悲鳴を上げた。「フーン……まいっか。視線が多い方が燃えるタチかも知らんし」「た、助け……」
コックハートがぐるりと向き直り、「よく分からないのだが、痛くは……ないのだな? 後遺症は残らないか?」と尋ねた。「痛くない痛くない」「身体に後遺症は残らないわよーぅ」二人のインタビュアーはスネークフットの即席騎士に信頼感をアッピールした。
「……俺も知りたいことがあるのだ。ここに連れてこられる前に合った、キリエ……、……キャタリナ、と呼ばれていたが。俺の仲間なのだ」「……キャタリナ=サン?」スネークフットが呟いた。「じゃあ貴方がカズヤ=サンなんだ……」「やはり居るのか! キリエが!」
コックハートが勢い込み、スネークフットは反射的に「し、知らないわ。は、話さないわよ」と頑なな態度を取ってしまった。だが……これは実際ウカツであった。「そうか……」コックハートは俯いた。「ならばインタビュアーに任せるしかあるまい」「あっ…………あっ」インガオホー!
「ゆ、許し……」「ミゼリコルティア=サン。ノーボーダー=サン。頼んだ。キリエあるいはキャタリナ……そしてフレデリカ、ルカ。この三名の情報があるかどうかも……確かめて欲しい。礼はする」「お礼ねぇ」ノーボーダーは肩を曲げる運動をしながらオウム返しにした。
「ついでね。ついで」「それでいい。頼む」「……ホント、真っ直ぐな子」かくして男三人を最初のこの部屋に残し、スネークフットはミゼリコルティアとノーボーダーは隣室……空室となったヤクザ待機ルームに連行されたのだった。鉄扉が厳かに閉じられる。インガオホー……インガオホー!
「よし、では……スシだな!」コックハートが腕まくりをし、新たな使い捨てゴム手袋を着装し始めた。「スシね」アングバンドがチャカ・ガンを仕舞いながらオウム返しにした。「イタマエ衣装だけどコックハート=サン……マジでイタマエなワケ? ニンジャの?」
「真面目と書いてマジだ。あそこにベンダーミミックがいるだろう」「……いるな」「あれをスシにする」「スシに」アンバーンドがオウム返しにした。
「うむ、あれは推測するにイカ・タコの類であろう。無論捌いたこともある」コックハートは言いながら腹のサラシからよく研がれた包丁を取り出した。何かを検知したのか、グロッキー状態のベンダーミミックが警告を発した。「ビー! 飲んで頭スッキリ重点な!」
「ホラ、コイツもこう言ってる」「ドリンクの事じゃねぇのかな……」「考え直せって言ってるようにも聞こえますね」「よーし、ヤルゾー!」気合いを入れるコックハートを見送り……アンバーンドが呟いた。「前門のツキジ、後門のヨシワラ……」アングバンドが噴き出した。
「アングバンド=サン……スネークフット=サンを殺さないでくれて、ありがとうございます」サラシから取り出した番数の多いシャープナーで包丁を研ぐコックハートを見ながら、アンバーンドが言った。「……そりゃ嫌味か?」「イエ、そんな……」「アァッ? ハハ……アンタも大概不器用だな」
アングバンドは血のついていない床にドカッとアグラをかいた。そしてチョイチョイと着席を促した。アンバーンドは半畳離れた横で正座をした。「コックハート……カズヤ=サンには凄惨なものは見せたくない、みたいな感じだな?」「……ハイ」「ハッ……」
アングバンドはしばらく黙っていた。「そういうアンタは? 汚れても構わねぇってか? 副業でスラッシュ&ハックでもしてたのかよ」「いえ……そういった事は」言いながら、アンバーンドは自分の心の動きについて考えを巡らせた。
ニンジャという存在を考えに入れずとも、前職がヤクザだというだけで、横の彼は生粋の暴力の世界の住人だ。今も所属意識としてはネオサイタマの小市民たるアンバーンドからすれば、いささか以上に近づきがたい人物像。
そうであるはずだが、この場所に来てからというもの、そういった恐怖が鈍っている事をアンバーンド自身認めざるを得なかった。いや、ここに来る直前……ニンジャという力を得てから……「誰もが無関心でいずにはいられない。そして、誰もが被害者を名乗らずにはいられない……」
アングバンドは「よく分からねぇ」と表情で語り、話題を切り替えた。「まぁ、いいだろ、そういうのは。それよりアンバーンド=サン、さっきのジツ、実際大したモンだったぜ」カラカラと、軽快さを装って笑った。
「俺もソウカイヤじゃニュービーだからな。確かなランク付けは出来ねぇがよ」「ハハ……それはどうも……」「ッアーア、俺にもジツがありゃあな」「ニンジャなら誰でもジツが使えるわけではないのですか?」
「ッアァ? アァ……ハァ。……まぁな。つってもジツを使わない強者なんざゴロゴロいる。ニンジャの根幹はカラテだ。攻撃力、耐久力、素早さ、回復力、状況判断。チノ=リを確保するインテリジェンスもカラテのウチかもな。身一つでナンデモやるってのがニンジャ……と、俺は思ってる」
アングバンドは袖口からチャカ・ガンを取り出して眺めた。その視線に込められた感情は、自らの得物への信頼、そして哀切だ。銃口の僅か下の黒いポイントは脊髄LAN直結でカメラ・アイになる、文字通り第三の目、第四の目でもある。
「サイバネだのツールだのな。実際バカにされる事も少なくねぇよ。サンシタや老害だけならともかく、俺から見てもクールなニンジャもな」アンバーンドはチャカ・ガンを見た。ニンジャを知らず生きるモータルにとり、手にできる可能性のある最大暴力。
それは必死に働いて、あるいは内臓を売って、信用できるブローカーを引き当てられたなら自分にも使えるという、いち市民の短絡的ながら、暴力的一発逆転可能性の象徴。ある種の儚い憧れ。アンバーンドはある程度リラックスして正座している。チャカ・ガンを持った人間の隣で。
(((道具によって不足を補うのが馬鹿らしく見えるほどの身体スペックを手に入れた時、まさにその自分の身体への信頼・自負が……その自我を増長させるのだろうか? だがそれはまるで……文明を失い、野生化するかの様……)))
「けどよ。銃火を抱えて生き延びてきたヤツが、今更挑発やオーディエンスにアてられて、イキがって、ドスダガーで突っ込んで、それでどうなる? ハチノスにされるだけだろ。俺はそういうバカを……ヤクザの時分からずっと見てきた」アングバンドはチャカ・ガンを袖口にしまった。
「ッだからこう、ナンダ……」「ニンジャも……ままならないのですね」アンバーンドは先んじて言った。その表情は、どこか安心したようでもある。「……ナンだろうな? アンタのジツは大したものだって言いに来たんだぜ? コンな景気の悪い話をする気はなかったんだよ。マジでな」「いえ……よかったです」
「ビー! イラッシャイマセ!」包丁を構えるコックハートが宙を舞う! その足首には触手が巻き付いている! アングバンドとアンバーンドは、気を逸らした一瞬の間に起こった惨事を前に一瞬硬直した。
「ウオーッ! スマナイ! 腕一本! 腕一本でいいんだ!」「それで納得するアニマルはいねぇよ!」「ちょっ……コックハート=サン! 一旦包丁離して! 振り回わさないで!」
「妙に騒がしかったけど……ナンカあったの?」心なしか肌ツヤの良くなって帰ってきたノーボーダーが、心なしかゲッソリした男三人に問うた。「イロイロあったんだよ……。スシ作ったり……スシ作ったり……おかしいな。スシ作ってただけナンだがな?」「スシ?」
「そっちもイロイロあったらしいけどな」アングバンド視線の先にあるのは、ミゼリコルティアの腕に、人見知りの子供が親の腕や脚に隠れるかの如くしがみつくスネークフットの姿だ。「あぁ、イロイロ喋ってくれたよ。ナ?」「はい、お姉さま……」
「聞かねぇぞ」アングバンドが断固とした態度で言い放った。「情報いらねぇのか?」ミゼリコルティアが素で答えた。「そっちじゃねぇよ」「どれだよ」「アノな。俺はヤクザ時代にオヤブンの愛人がレズビアンの女に寝取られて……それに対抗して……いやいい。話したくない。女女とか男男とかそういうのはマジでいい」
「アラー! カワイソなトラウマ持ちなのね? 私が男とか女とかどうでもよくさせてあげよっか? オホホホホ!」ノーボーダーがクネクネとモスキート=サン譲りのムーブで身体をクネクネさせて嘲った。「お前はお前だからダメだ」「…………………………………………」
「ミゼリコルティア=サン」コックハートが進み出た。「キリエ……キャタリナの話は、訊けただろうか。アリかナシかだけでいい」傭兵が素人を視線で射抜いた。「情報も技術もタダじゃねぇ。ワカルな?」「ワカル。ナシでも……可能な限り報酬を支払わせてもらう。見習いだからあまり出せないが」「フ…………"アリ"だ」ミゼリコルティアは口元だけで僅かに笑い、答えた。「そうか」コックハートは拳を強く握り込んだ。「そうか」
「皆、聴いてほしい」コックハートが、四人と一人のニンジャの目をそれぞれ見た。不躾なまでに真っ直ぐな目線。本性凶暴なるニンジャ達ですら、その強く、そして悪意無きクリアな視線を前に己を保つ為、知らず身体に力が入った。全員が異議を唱えないのを確認し、コックハート、カズヤ=カワゴエは朗々たる声で話し始めた。
「何度か口にしたと思うが……俺は仲間を探している。三ヵ月前……俺がヘマをやらかし、死にかけ、ニンジャになった夜にはぐれた三人の仲間を。皆親がいないティーンネイジで、互いを頼りに生きてきた。……フレデリカは、スネークフット=サンと同じほどの年齢なんだ」
コックハートは強く握り込んだ拳を目前に上げ、そして無意味な動作と思い直して下げた。「……俺が。俺だけが師匠に拾われた。将来に光が見えたんだ。何もかもを擲って探す事はすべきでないと諭され……それでも可能な限り探し続けてきた」腰の横で、指先が白くなっても尚、拳を握り締め続けている。
「だがキリエ達は、俺が想像すらしなかった闇の中にいた。……いる、らしい。ニンジャ。想定を遥かに越えるサツバツだ。俺だけの力ではどうにもならない! 皆、オネガイだ! なんでもする! 俺の仲間を助けるのに協力して欲しい!」コックハートはドゲザした!「オネガイシマス!」
一同が視線を揺らす中、ミゼリコルティアは煙草を取り出し、火を点けた。「高くつく……のは分かってるよな? 今お前は白紙の契約書にハンコを押したも同然だ」「ああ!」ドゲザ姿勢から、頭だけを上げてコックハートが答える。床を擦る高さから放たれるにも関わらず、その瞳の熱意は他を圧して余りあった。
「……まず、この状況からの脱出だわな」傭兵は煙を吐いた。「そうだろ? まずは自分の身の安全確保が第一だ。そこはコックハート=サンの師匠と一緒だな。……調査なり救出なりは努力目標。それでいいか?」「ヨロシクお願いする!」もう一度床に額を着けようとするコックハートの額を、煙草を持っていない方の手でミゼリコルティアが受け止めた。
「ドゲザで支払った気になられても困るぜ。素人はそういう所が怖いんだ」「ウム……ウム!」コックハートは素早く立ち上がると、ツカツカとその場を離れ、ツカツカと戻ってきた。手の上にはタッパー。中には見事にカットされたサシミ……いや、スシだ! 灰色に黒の斑点が浮いた奇妙なネタではあるが、紛れもないニンジャにとっての完全食、スシを差し出したのだ!
「お礼の先払いだ。皆に俺のスシを食べて欲しい」「…………私達も?」ノーボーダーが心情的に傭兵以外を代表して問うた。「モチロン! 俺一人では死んでいた。皆が戦ってくれたおかげで俺は生き残れた」
コックハートは笑顔にも似た強壮な表情で続けた。「俺は守られるだけの卑怯者でありたくない。皆に恩を返す。色々な事情で仲が悪いのも分かるが……俺は全員に恩がある! ゴエモン・ブッシュという言葉もあるだろう。皆命の恩人だ。ここから帰ったら……全員にスシを食べて欲しい。これは俺の約束だ!」
ミゼリコルティア、ノーボーダー、アングバンド、アンバーンドがそれぞれ思う所あり、リアクションを決めかねていた。返答如何にではなく、若人の情熱に対する気恥ずかしさのようなものから、そうしていた。
やがてノーボーダーが口を開いた。「ゴエモン・ブッシュ……もしかして、ゴエツ・ドーシュ?」「そう! それだ!」「ッ ブハッ」アングバンドが噴き出したのを契機に、皆が一斉に笑った。アンバーンドもシツレイかと思いながら、笑いを堪えきれずに笑った。それを見て、コックハートも笑った。
「ハーッ……ちなみにそれ、ネタは?」ミゼリコルティアが問うた。コックハートは堂々と答えた。「ベンダーミミックだ!」「……そうか」ヨシワラ組の三人が、ツキジ組の他二人を見る。「マジなんだ」アングバンドが笑い顔のまま、しかしいくらか目のハイライトを薄めさせて答えた。
自分は『皆』に入っていないのではないかという論理からミゼリコルティアの背後に隠れて奥ゆかしく笑っていたスネークフットが更に一歩下がろうとするも、ミゼリコルティアは掴まれた腕を盾じみて前に突き出した。「お前先に食えよ。ドクミ」ミゼリコルティアは表情一つ変える事なく無慈悲にに言った。スネークフットの表情が固まる。
「あの……ドクミというなら、私達が既にアジミしてるので……ダイジョブですよ……」「イ、イタダキマス」アンバーンドのフォローも極度の緊張で耳に入らず、スネークフットは悲壮な表情でスシを取り、決死の表情でかぶりつく!
「オ……」「オ?」「オ、オイシイデス」「そうか! ヨカッタ!」コックハートが満足げに頷いた。「器までは気が回らなかった故、タッパーですまないが」心理的な障壁が取り除かれ、ワイワイと他四人もつまみだす。「これシャリどっから持ってきたんだよ」ミゼリコルティアもまたつまみながら訊いた。
「シャリは滅菌仕様タッパーで常時持ち歩いている。ワサビとショーユはこれも常時持ち歩いている。粉末だが。ワサビは水で戻し、粉末ショーユはそのまま振りかけたぞ」「マジかよスゲェなイタマエ」ミゼリコルティアが素直に舌を巻いた。
「これは……イカの一種なのかしら?」ノーボーダーが口元を手で奥ゆかしく隠しながら問うた。「ッ実際貝っぽさもあるがな」アングバンドも呟いた。「うむ。イカとミル貝の中間のような味だな。ベンダーミミックはオウムガイの一種なのかもしれん」「味で分かるものなんですか……?」アンバーンドは戦慄した。「うむ、高級食材だぞ、オウムガイは。実際ウマイ!」
ベンダーからドロップしたチャを開け、スシと共に摂食していく。完全食品であるスシと、チャのヒーリング作用がカラテ化学反応を起こし、全員の気力を賦活させていく。これから続く戦いに備えて。
いくらか整頓されたとはいえ、全体にツキジめいたアトモスフィアの最初の部屋から次の部屋に移り(ノーボーダーがそうしたように更に次の部屋を覗き、続くクエストを全員が予感した)、一同は車座になり、しばらくスシの味とスキルに感心し合っていたが……数分も経った頃、チャの残りを呑み切ると缶を床に置き、ミゼリコルティアが口火を切った。
「さて、整理しよう。まず……ここはヨロシ鳶ビル、存在しない地下49階」「49階」ノーボーダーが表情を歪めた。「不吉な数字ね」「まったくだ。何らかのジツないしそれに準ずる措置で、アタシ達は纏めてここに贈られた」
「じゃあ、私の取得したマップデータも……間違ってはないわけね」ノーボーダーが自らのこめかみを叩いた。ノーボーダーのベンダーに付属していた盗難追跡機能の一部……機体の移動ログを取得していたが、アリの巣じみた軌道の上、最後は垂直に百メートル以上伸び上がっており、実際故障を疑っていた。
「ま、役割が出来て何よりね。ギブアンドテイク……スリケンはちょっと苦手だからね」「ッちょぉっとぉぉぉ?」アングバンドが茶々を入れた。「アンタは私のナビゲートが信用できないでしょうから別行動でいいわよ」「俺はテメェを後ろから見張って気分次第で射殺する役目だ。督戦隊ってやつだな」「全部間違ってるわよ」
二人がまたギャイギャイといがみ合い始めたので、ミゼリコルティアはより個人にとっての重要性が高い情報に移った。コックハートに向き合う。彼が目に覚悟を宿したのを確認すると、結論から一気に言った。「キャタリナ=サンはニンジャになった。そして他のニンジャを狩り集める役についている」コックハートはグッと反射的に湧いた否定の言葉を呑み込んだ。
「"縦糸"って役割……待ちでニンジャを狩る"横糸"より、積極的に狩りに行く連中……って話だ。コイツ自身が"横糸"寄りっつーか補欠だから、それ以上は知らねぇとよ」「……そうか」コックハートが大きな音を立てて唾を呑み下すと「アリガトウゴザイマシタ」と傭兵に頭を下げた。
「……話をデカい方に戻すぜ。アタシが調査を依頼された……んだか突っ込まれたんだかしたのはニンジャ消失事件。3年前にも起こっていたが……水面下で続いていたとかではない。3ヵ月ほど前に再開したみたいだ。コイツも三ヵ月前からの新入りだ」ミゼリコルティアは言いながら背中に隠れたスネークフットを親指で指した。
「サタナキア=サンとペア、あるいは単体でニンジャを誘因する役だってさ。狩りと誘致……ニンジャの特性に合わせた分業で鳶28区に集め、そして……今日、一斉処分が始まった」
「あ、待って待って。インタビュー中はスルーしてたけど、私達はサタナキア=サン? を知らないんだけど」全員を代表して、ノーボーダー=サンが疑問を投げかけた。「ああ……言ってなかったっけ? 言ってなかったな。アタシの依頼人だよ。鳶28区で一ヵ月調査すればいい……って仕事内容だったが、目的は鳶28区にニンジャを集める事自体だった……んじゃねーかな」
「何故ここなんだ?」「何故ここなんでしょう?」鳶28区の住人……コックハートとアンバーンドが次の疑問を投げかけた。「ここはヨロシサンの権勢が強い……というか相対的にソウカイヤの影響が弱いから消去法で選んだっぽいな」「3ヵ月前……」コックハートが何かを考え込み始めたが、まだ言葉にはならない。
「ッソウカイヤの膝元を避けてるって事は……」アングバンドの言葉に、ミゼリコルティアが頷いた。「組織の力は実際デカい。多勢に無勢……あるいは3年前の中断ってのもソウカイヤに潰されたのかもな」「フーム」「あの……いいですか?」アンバーンドが奥ゆかしく挙手した。
「3年前……たしか鳶28区では行方不明……モータルの行方不明が頻発していたはずです。夜中に帰るとアブナイだから夜が明けるまで労働重点、と言われたのでよく覚えています」「お、おう」アングバンドが引き気味に相槌を打った。
「……なるほどネ」ノーボーダーが皮肉気に苦笑した。「ニンジャは基本的に闇の存在だし、行方不明になっても話題に上がる事自体がない。……そして、モータルが行方不明だろうとニンジャは気にしないものね」「ネオサイタマの経済に影響が出る規模でない限り、な」アングバンドが付け加えた。
コックハートが唇を真一文字に結ぶ。対して、アンバーンドはさもありなん、という顔をしている。「で、ニンジャと……モータルもか。そいつらを狩って来て、爆発四散させて、何をしてるのか……」ミゼリコルティア=サンが最大の謎について口にした。「知らねぇとさ」
「「「ハァ」」」インタビューに参加していなかった男ニンジャ三人の反応が同期する。「ッナンダソリャ。肝心な所が不明確なままじゃねぇか」「コイツが聞かされてないんだから仕方ねぇだろ」ミゼリコルティアはゴロリとブッダ涅槃のポーズを取った。
「トップが不明、目的も不明、手段も不明……」アンバーンドが苦々し気に呟いた。「トップについては……少なくともコイツはサタナキア=サンとコントロールメントさんの二頭体制だと言ってる」コントロールメントの名を出した時、スネークフットがビクリ、と震えた。
「おそらくそのどちらかが古いマジックアイテムかジツを使って、何らかのマジナイ……マジック・リチュアルを行おうとしている。実際ジツの規模がダンチだ。……あるいは」傭兵は一秒瞠目し、その後を続けた。恐るべき予測を!「頭目はリアルニンジャ、なのかもな」
「アラアラアラアラ、リアルニンジャ? 話が繋がってきたじゃなーい!」ノーボーダーが嬉し気に手を合わせる一方、コックハートとアンバーンドが首を傾げた。アングバンドもあまりピンと来てはいないが、ミゼリコルティアの真剣アトモスフィアから訳知り顔を装っている。「リアルニンジャ……? それは……私や皆さんとは違うんでしょうか?」
「私達は基本的にソウル憑依者よ。平安時代末期にハラキリ・リチュアルしたニンジャのソウルが、何かのキッカケで現代のモータルに入り込み、肉体が引っ張られ変成した者。けどリアルニンジャは違うの、太古のモータルがカラテやセイシンテキを高めたり、神秘的儀式を行う事で、肉体を変成させた者。原因と結果が逆なのよ」カラテだけでなく教養を重視するキョートはザイバツ所属のノーボーダーは立て板に水で滔々と答えた。
「アイエエエ……」ニンジャ学判定により、アンバーンドは軽度の急性RNRS(リアルニンジャリアリティショック)を発症し、偏頭痛に耐えた。「じゃあ、現代でもリアルニンジャに成る者はいるのか?」ニンジャニュービーであるコックハートが素朴な問いを投げる。
「イヤ……難しいでしょうね。平安時代前後と現代では淘汰圧が違いすぎるもの。あるいはほとんどフリークアウトみたいな荒行を積む人間はいるのかもしれないけど……そういう人間がソウル憑依者になる可能性もままあるわね……っていうのが私の見解」「ナルホド……」
「いいのよそういうのは! リアルニンジャ! キョートくんだりから来た甲斐があったわ!」お前達の目的はそれか。と、アングバンドはノーボーダーに指摘できた。明らかに口が軽くなっている。瓢箪からショーギ・コマでハイになっているのかもしれない。(((まぁいいか)))アングバンドは流した。
「……それってさ、指輪も関係あんのかな」アングバンドが問いかけた。「指輪?」「ッ アーッ……まぁいいか『ソロモンの指輪』。効果は知らねぇが、マジックアイテムとかそういうのらしい。俺らはそもそもそれを探しに来たんだよ」「フム……」ミゼリコルティアがスネークフットを見る。胸の辺りをギュッと包むように隠した。
「ニンジャを殺して理になるとかいう異常な前提、それに鳶28区を対象とするニンジャの大規模転移……転移よね。状況から言って。そして黒幕は少人数……諸々の推定に基づくと、さっきもミゼリコルティア=サンが言った通り、何らかのインチキアイテムが絡んでいる可能性は実際低くないないんじゃない」「ウーン……」
「マジックアイテムを所持した、リアルニンジャを頭目とする一団」ミゼリコルティアが溜息と共に言った。
「それくらいの危機レベルを想定すべきかもな」「…………」リアルニンジャの威光及びカラテについては、ミゼリコルティア自身、噂未満の与太話に聞く程度であり、ノーボーダーの知識もあくまで書物上のものだ。それでも、際立ったカラテ強者であるミゼリコルティアが口にした"危機"というコトダマは、全員の肺腑に重くのしかかった。
アンバーンドは目を閉じる。炎が瞼の裏で踊る。目を開く。夜だ。自らがいつの間にかその中心に立っていた白い円柱が消え、黒いドヒョウじみた円状空間が残された。外側には見慣れたシルエットのビル群。ドヒョウの境界線を守るように、牛車を曳くバッファローが猛スピードで周回している。天頂には月の代わりに、黄金立方体。
「ここは……?」急ぎ周りを見渡す。誰もいない。そもそも自分は座っていたはずで……弔っていたはずで……「いや……ユメ?」何故だろう。そんなコトダマをごく最近吐いた気がする。あれはもっと広い、空間的制限が無きが如き無際限空間であったが……そう、アレは……「あ……」
偏頭痛に頭を抑える。(((夢の中でも頭痛とは!)))ニンジャの知識を仕入れる度に、頭の中で知らない知識と結びつき、ニューロンが過熱。しかして言葉には出来ないもどかしさが募る。遥か昔に確かに見たはずで、いくつかの鮮烈なシーンが記憶に残ってさえいるのに、その筋が言葉で説明できない映画のように。
地面に朱色の光、謎の紋様が走る。(((これは魔法陣の一部)))彼は考えた。朱色の禍々しい光を受けて、黒いドヒョウの内側、黒い人体のパーツを照らした。大腿骨。肋骨。煙を立てるアレはインプラント金属だろうか? 光に照らされて尚黒いそれらのカタマリは、光を吸収するようなマットな質感と、溶け落ちた炭素特有の照りを持っていて、夜の死骸のように美しかった。
「……ィナ=……サァン?」誰かの、妙に間延びした呼びかけが聞こえる。ふと、自らの手を目前に翳すと、ぐねぐねと腕が、ばらばらと五指が、七つの頭を持つヘビじみてのたうっている。ドヒョウから立ち昇る強い熱が空気を歪ませ、聴覚も視覚をも歪ませているのだ。
声の方向を見る。免れた者と、新たにエントリーした者が対話を交わしている。「……ぉれ……は…………?」「……"横……も"タティ……"も……分イジョ……死んだァァァア…………」「……ワッカンナァ……!?」「……ァレ……」不遜にも僕の偉業を免れた者が指を指す。
「…………ニンジャ……ニンジャ…………ニンジャ……ニンジャ……ニンジャ……ニンジャ……ニンジャ…………ニンジャ……ニンジャ……ニンジャ…………ニンジャ……ニンジャ…………ニンジャ……ニンジャ……ニンジャ…………ニンジャ」「そう…………ニンジャァアアァァ……ァァァァ……ノォ……、ッキリノォ……殺戮兵器」
僕は、私は、アンバーンドは、■■・■■■は、そして、そうして、思ったのだ。指を差され、憎悪と畏怖の目で見られ、指を差され、そう思ったのだ。(((燃やさなくては)))
■■■は燃やす為、掌を向けた。
「素晴らしい」
背後から声がかかり、攻撃をキャンセルして振り返る。それは──女の姿をしているが、声は男だ。大和撫子じみた長髪を優雅に引き連れ、陽炎の中を歩み来たる。
その像は物理法則に従って歪んでいるが、その尊大な声色は真っ直ぐに届いた。だが■■■にとって何より重要な事は──それが燃えていない事だ。人体程度、容易に燃やし、焦がし、荼毘に付す熱量の中を平然と歩いてくる。
だから自然に、『奥』の力を拡大し──「素晴らしい。君も協力してくれたまえ」その指から地面に光るのと同じ、しかし一際鋭い朱色の閃光が走り、────アンバーンドは、目覚めた。
「ハッ!」「ムッ」肩を叩こうとしたらしいコックハート……カズヤ=サンが寸前でのけぞった。「……寝ていた所をスマナイ。皆、もうここを出ると言っている」「ア……アァ……ハイ……」アンバーンドは立ち上がった。
(((そうだ。コックハート=サンの頼みもあって、最初の部屋に残るクローンヤクザを自らのエン・ジツで荼毘に伏して、そして──)))「燃やさなくては」「うん? あぁ、おかげで彼らは弔えた。本当にありがとう」「ア……ウン。ハイ……」
「巻き込まれただけのアンバーンド=サンに協力まではとても求められないが……それでも俺の命の恩人の一人である事には変わりない。少なくとも、脱出するまでは一緒に行こう」「ええ……」アンバーンドは立ち上がり、複数の鉄扉が待つ次の部屋に踏み込んだ。「行きましょう」