新潟伝統織物 「亀田縞」。その工場とネクタイの記録
新潟市南部に位置する、旧亀田町。かつて、日本有数の織物産地であり、一面に芦や水草が生い茂る、泥と水浸しの低湿田地帯であったこの地域で、約300年の歴史を数える伝統織物「亀田縞(かめだじま)」を生産している老舗機屋さん「中営機業(なかえきぎょう)さん」を訪ねたーー。
亀田縞の工場について
中営機業さんの工場へ
3月22日金曜日2:00pm。hickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)の迫さんが運転する5人乗りの車に乗って、上古町商店街をいざ出発。
メンバーは、熊本県から来てくれたカメラマンの原さんと、hickory03travelersのデザイナーの齋藤さん・永井さんと、迫さん、僕の合計5名。
「中営機業さん」までは、車で20分ほど。
「亀田縞」の工場を見学させてもらうのは今回が初めてだったので、とてもワクワクドキドキ。
小学校のマラソン大会のスタート前のような気持ちになりながら、前もって移動中に読む用にと準備しておいた「亀田の郷の縞だより」という江南区が運営する情報誌をバッと広げる。
道中は、その情報誌を見て、「亀田縞」が出来上がるまでの流れや行程について勉強したり、バタバタのスケジュールでオリエンテーションがまだできていなかったカメラマンの原くんに、撮りたい絵や風景などのイメージ写真を共有したりしていた。
そうこうしているうちに、あっという間に「中営機業さん」に到着。
到着したとき、「亀田縞」とドンと書かれた迫力ある外装が真っ先に目に入り、思わず試合のホイッスルが「ピー!」と鳴ったようなインパクトを感じた。
そして、そのホイッスルに合わせて、「いよいよだ。よし、行こう」と気合いが入り、そのままの勢いで車を降り、小走りで入り口へ向かう。
扉を開けて「こんにちは〜」と言って少し中に入ると、「おお〜あら!」「ようこそ〜!」「こんなにたくさんで!」と明るくスタッフの方が迎え入れてくれる。
「全部で5名で来ました!」「今日はお時間作ってくださりありがとうございます!よろしくお願いします」と伝えると、「どうぞどうぞ〜!あそこ(工場の中)に立ってる人がいろいろ説明してくれると思うから、好きに見てってね!」と案内いただき、いざ工場の中へ。
工場にて
自然光で明るく照らされる工場内。
「ガシャン、ガシャン」と鳴り響く織り機の音。
その中で、一人機械を動かす方。
この方が、「亀田縞」の職人であり、技術者でもある中林さん。
たった一人の職人・たった一人の技術者
「いいけんど、そんな教えられることないがな……」
そう言いながら、いろいろな機械のこと、さまざまな糸のこと、「亀田縞」が出来るまでの一つ一つの工程を丁寧に教えてくださる、「亀田縞」の職人であり、技術者でもある中林さん。
「これは、こうで」「あれは、こうで」と、工場中を案内してくれた。
どんな質問をしても、「こうやってて、この場合は」「要するに、ああやって」「例えば、こうして」「これをして、ほんなら」と、その全部に熱心に、丁寧に答えてくれた。
やさしさという言葉では足りないほど、真摯に向き合ってくださる。偉大な方。
そんな中林さんからは、主に二つの工程を教えてもらった。
「整経(せいけい)」と「製織(せいしょく)」。
これから、この二つについて紹介できたらと思います。
一つ一つの工程
「整経」:糸を織り機にかけることができる状態にする工程
ここでは、まず、色や糸の本数などがのった設計書通りに、色がついたロール状の糸を順番にセットして、次に、「目板刺し」を行い、その次に、円柱状の金属管に糸を順番に巻き、最後に、「綾通し」を行う。
「目板刺し」とは、目板と呼ばれる穴がいくつも開いた板に、糸を1本ずつ通す工程。
一方、「綾通し」とは、綜絖というタテ糸を一本ずつ上下させる仕掛けの中心部分にある、細い針金でできた穴(リング)に、糸を一本ずつ通す工程。
どちらも、およそ3000本以上の糸を、一本ずつ、手作業で、丁寧に、確実に、小さな穴に通していく作業。
3000本以上……。
気が遠くなる、素人では全く想像がつかないほど膨大な本数だ。
大変な作業。
職人技でなければ決して成せない、mm単位の世界での闘い……。
さらに、今回のネクタイは、色と縞がとにかく多い。
かなり細かいのだ。
そうなると、工程が一気に増え、難易度も格段に上がるそう。
無地とは全くの別物とのこと。
それでも、中林さんは、「これ(「目板刺し」「綾通し」)をしねえ(ない)と話にならねえ(ない)から……(笑)」と、笑ってやってのける。
すごいとか、かっこいいとか、楽観的とか、前向きとか、そういう言葉では表現できない背中の大きさ。
それでいて、道具や機械の修理もたった一人で行なっていると。
すさまじい方だ……。
「こんなにも大変なことを、どうしてずっと続けられてるんですか」と聞いてみると、
「うーん……。他にやる人がいなえから自分がやる」
「自分がやらないと誰がやるんだってね……(笑)」
「だから、逃げ出したいと思ったことは一度もね(な)くてね」と話される。
見ている先や目指している未来、背負われているものの圧倒的な違いに歴然とし、言葉を呑む。
一人で、かつ何年も、50年以上も「亀田縞」を織り続けてきているからこそ分かる世界。「亀田縞」の伝統を守り、これまでの間ずっと伝統をつないできたからこそ言える境地だと……。
製織:織り機で布を織る工程
ここでは、織り機に糸をセットして、織り機を動かす。
織り機で糸を少し織ったら、タテ糸の配置が正しいかをすぐ確認する。
また少し織ったら、またすぐ確認する。
織ったら確認、織ったら確認の作業を繰り返す。
織り機を止めたり、動かしたり。織り機のバーを上げたり、下げたり。たまに、ずらしたり。
数分おきに織り機の両端を行ったり来たりもする。
とにかく忙しい……。
短時間でやらなければいけないことがたくさんなのだ。
それでありながら、mm単位の確認も同時にされている。
なんという忍耐と集中力と、そして細やかさ……。
タテ糸が一本でもズレていたら、設計通りにならないとのこと。
数千本あるうちの一本でもずれたら……という恐るべき世界線。
まさに職人技が必要な工程だ。
それでも、中林さんは「でも、1時間で4mメートルくらいしか織れねえ(ない)」と言い、謙遜される。
きっと、「亀田縞」が今も昔も丈夫で品質が高いと評価・信頼を得ている理由はここにあるのかもしれない。そう感じた。
その一端を垣間見ることができたのなら、光栄。
とても。
工程の付録
「亀田縞」が出来るまでには、主に五つの工程がある。
今回の「亀田縞」ネクタイが出来るまでには、全部で4社が関わった。
前述の「整経」と「製織」の二つの工程に加えて、別工場で行った、残り三つの工程についても補足的に紹介したいと思います。
①縞柄を選ぶ
ここでは、どんな色の、どんな縞模様にするかについて、見本帳を見ながら選ぶ。
見本帳とは、かつて織られていた縞柄が200種類以上もまとまった冊子のこと。
200以上……。
先人たちの血と汗の結晶。努力の賜物だ。
後日、見本帳を見させてもらったら、本当に圧巻だった。
その多彩なバリエーションの中から、コンセプトやイメージに合う「色」、「色の組み合わせ」、「縞の太さ」、「縞の配置」を選ぶ。
中営機業さんは、その後に注文を受け、「整経」と「製織」の工程を行なっている。
縞柄のパターンが本当にいくつもあるので、200種類以上もある中から選ぶのも相当大変そう。
ここは、発注者やデザイナーの腕の見せ所。
今回は、この縞柄を選ぶ部分を、「日常を楽しもう」をコンセプトに掲げるクリエイト集団 hickory03travelersが担当。
選ばれた縞柄は、次の章の「亀田縞ネクタイの特徴」の部分で紹介しています。
ぜひご覧ください。
②染色・糊付け:糸を染めて、タテ糸に糊(接着剤)を付ける
ここでは、①で決めた色の糸を必要分入荷し、「インディゴ(藍色の染料)」に染め、そして、染まったタテ糸に専用糊を付ける。そうすることで、強度を生み、織り機での織り上げがスムーズになるとのこと。
タテ糸のみに糊を付けている理由は、タテ糸を織り機にのせる前に行う「綾通し」の工程で、糸同士がこすれ合ったり、絡み合ったりするためと、織り機で織り上げられる工程で、糸が琴の弦のようにピンと強く張られたりするためだそう。
タテ糸はダメージを受ける場面が多いから、強度を補強するための糊付けしているとのこと。
緻密に計算されている凄さに感動……。
③整経:糸を織り機にかけることができる状態にする
前述。
④製織:織り機で生地を織る
前述。
⑤仕上げ・加工:織り上がった生地を洗浄+加工して完成させる
ここでは、糸くずを取ったり、糊やゴミを落としたり、水洗いをして、ワッシャー(洗浄+加工を行う機械)にかける。
ワッシャーにはさまざまな種類があるそう。
また、ワッシャーをかけるのは、自然な風合いや自然な感触、自然な見た目、自然な機能性など、それぞれの生地に合った自然な良さを最後に引き出す、引き立たせるためだとのこと。
「仕上げ・加工」をするのとしないのとでは、そのナチュラル感が全く変わるのか……ふむふむ。
「亀田縞」の生地が「くしゃっ」としても簡単にへたらず、アイロンをたくさんかけなくても済むのは、この「仕上げ・加工」があるからだと。なるほど!
「亀田縞」が、高品質で、丈夫で、肌触りや見た目がよく、ほがらかでやさしい印象なのは、こういった一つ一つの細かな工程を一つ一つ丁寧に行われているからだと実感……。
2時間を振り返って
約2時間超、「亀田縞」の工場をみっちり案内していただいた。「亀田縞」のこと、「亀田縞」が出来るまでの過程を、たくさん教えてもらった。
僕たちが普段当たり前のように享受しているものや製品の裏側・背景には、絶え間ない努力や苦労があるのだと知った……。
中林さん、貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
***
見学と撮影を終え、駐車場に向かう途中、急いで工場を出られる中林さんを発見。
そういえば!と、中林さんから見学の冒頭に、何気ない会話・雑談の中で「今日は髪を切りに行く予定がある」と伺っていたのを思い出す。
急ぎ足だったので、やっぱりだと思った。
僕たちが長居し過ぎてしまったことで、床屋の予約時間に遅れてしまったかもしれないと心配に、申し訳なく思った。
それでも次の予定があることを僕たちに気にもさせることなく、ずっと案内くださった中林さん。
そのやさしさと偉大さに、心から感謝。
本当にありがとうございました。
全部、本当にかっこよかったです。
亀田縞ネクタイの特徴
「亀田縞」には、たくさんの特徴がある。工場で手作業で職人の技術によって長い時間をかけて織られているからこその、風合い、肌触り、生地の強さ、耐久力、色合いの繊細さ、奥ゆかしさなどがある。
今回、その「亀田縞」の生地を使わせてもらって開発した新しいネクタイが、この春から販売されることに際して、20代の学生の僕が感じた「亀田縞ネクタイ」の印象や感想などを少しだけ残せたらと思います。
※ ここから文章がさらに長くなります。「亀田縞」のことをもう少し詳しく知りたい方や長くてもいいよ!と思ってくださる方、そんな方々はぜひご覧ください。ゆっくりお付き合いいただけたら、とてもうれしいです。
生地の記録
やらかくて、ふわふわしてる。肌触りがとてもよい。
やさしい素材感。
触ったり、身につけたり、側に置いてあると、ぬくもりを感じることも。
3000本以上の糸が一本一本丁寧に織り込まれているので、傷がついたり、シワになったり、型崩れしたりしづらい。
安定していてとにかく丈夫。強い。
そして、重厚感がある。
重厚感がありながら、かるくふわっとした仕上がり。
生地感・肌に触れた感じ・張り・目で見た時の印象・仕上がりがとても良い。
とても良い塩梅。
伝統的なだけでなく、現代的な要素や普遍的な要素も兼ね備えてる。
総じて、とても良い。とても良かった。
カラーの記録
ブルー&グレー
ブルー&グレーは、どのスーツにも合わせやすく、日常使いに良い印象。新生活や月初、週初など、さまざまな「始まり」のタイミングをクールにスタートダッシュ!駆け抜ける!そんな爽快感と清々しさ、清潔感のあるネクタイ。
縞の幅が広いため、堂々とした、凛とした印象を持ってもらうこともできそう。どの年代の方にもおすすめ。中でも、特に20・30代の方がこのカラーを身につけていたら、「それどこの?」や「どこで買ったの?」、「どんな素材でできてるの?」など、さまざまな質問をもらうことにつながりそう。
爽やかな明るい雰囲気を纏えることから、好印象間違いなし。
ネクタイにまでちゃんと気を使えている人といった印象を、きっと自然にもってもらえるので、この人になら「お願いしてみたい!」「このこと話してみたい!」「これ聞いてみたい!」など、そんな風に思ってもらえることが増えることに期待。
幅広い年齢層の方とお仕事される方、上司や先輩が多い職場で過ごされている方、また、たくさんの企業を訪問することが多い方、展示会や見本市などによく立つことがある方など、さまざまな人におすすめ。
このネクタイを一つ持っているだけで、新生活の良いスタートダッシュが切れるかも。新卒を控えている僕も楽しみ。
仕事やキャリアだけでなく、暮らしや人生、いろいろなスタートを後押しする!きっと前進させてくれる!そんな印象のカラーでした。
ブラックグレー
ブラックグレーは、明るめと暗めのどちらのスーツにも合いそう。素朴で万能って感じ。
とてもバランスが取りやすく、実際にバランスが取れることで、バランス感覚のある人だと、素敵な好印象を持ってもらえることにもつながりそう。
シンプルでありながら、ただのグレーではない。だからこそ、わかる人にはわかる、そんな稀有で魅力的なネクタイ。
20代の僕がつけるのはどうだろう……身の丈に合わず、少し背伸びした感じもするかな。意外と似合うかも?
グレーや白は、どこか余白のあるような、良い隙があるような、そんな印象をもってもらえる色なので、30・40代、そして50・60代の安定感があり、なんだかんだで右肩上がりの生活を送れている方におすすめ。
その方々は、自分のペースもきっとつかめている方々なので、喫茶店や本屋さんに行かれることもあるでしょう。そんな時にとても合う気がします。
また、余白や隙があるからこそ、今日はどういった1日にしようか、どんな1日を過ごせたら◎か、そんな目標や良いイメージを自由に持てるようになることにも期待。
ほどよく支えてくれたり、拠り所になってくれたり、自信や深呼吸の代わりになってくれたり。
とても安心感のあるネクタイ。
個人的には火曜日に身につけてみたい。月曜日の良いスタートダッシュの勢いをそのままに、落とすことなく、むしろ、向上させてくれる!そんな印象のカラーでした。
ネイビー&ゴールド
ネイビー&ゴールドは、濃紺スーツによく合いそう。ネイビーの上にのって見えるゴールドとホワイトの縞が、身につける人の自然な品格を引き出してくれる印象。
若い人がつけてたら、かっこよく収まりそう。
繊細で風情や趣ある縞柄ゆえ、一緒に働いたり、一緒に活動したりする人が、とても気持ちよく1日を送れることにつながるでしょう。
その結果、チームや組織は前進。そんないいことづくしを生むカラーな気がします。
一方で、明るい印象もあるけれど、50・60代の方が身につけるのもおすすめ。
落ち着きや程よいおごそかさが滲み出て、周りから一目置かれることにつながるのではと。
大事な商談や会議の際に身につけていきたい。
静かに燃える青い炎のような印象が、大事な場面で勝利や成功に導いてくれそう。
ネクタイでゴールドや金色をほんのり身につけてみたい方も多いと思います。そんな方々にもおすすめしたい。
織物だからこそ、控えめで上品なゴールド。決して、強く光って目立ったりすることがない、安心感のあるゴールド。
週の折り返し地点である水曜日に、ぜひおすすめしたいネクタイです。水曜日を乗り切れれば、その週はきっと大吉!きっと大吉を呼び込んでくれる!そんな印象のカラーでした。
ブラウン&グレー
ブラウン&グレーは、色がはっきりしたスーツよりも、ほのかな色合いの少し落ち着いたスーツの方が合わせやすそう。
他の色と比較すると、少し抑え目な印象なので、ネクタイやジャケット、スーツ以外で明るさを出したいときにおすすめ。
日常で!というよりも、プライベートできっちりとした服装をするときや、休日出勤のとき、職場の後輩とご飯に行くとき、そして、チーム目標の達成のお祝い会があるときなどに良さそう。
経験と歴史、趣、ぶれない芯の気配や様子が存分に感じられるこのネクタイは、とっておきの秘密アイテムとして。
主張的な要素はなく、やさしいあたりのカラーだからこそ、プレゼントやギフトとしても、とても喜んでもらえそう。父に日プレゼントの有力候補の一つ。
曜日としては、木曜日が相性良さそう。1週間は明日で終わってしまうけれど、焦らず、計画的に取り組むと良い木曜日。
ほのかな(ホワイトよりの)グレーの点線が、抜け漏れなく、仕事を想定スケジュール通りに進めてくれるかも。少し強引かな……(笑)。
ジャケットが主役、ジャケットを少し目立たせたい、そんなジャケットに気持ちが乗る日もたくさんあると思います。そんな一日にもおすすめ。
選びやすく、手に取りやすい!それでいて、外さない・外れない!そんな印象のカラーでした。
ダークレッド&ライトピンク
ダークレッド&ライトピンクは、グレーやブラウン系のスーツによく合いそう。カジュアルな場面でも、フォーマルな場面でも、遊べるネクタイ。
結婚式やパーティー、お祝い、受賞式など、さまざまな式典やパーっと走り切りたい月末営業日や締め日など、さまざまなシーンでおすすめです。
ダークレッド&ライトピンクと聞くと、身につけるのが難しい、かなり派手目な色という印象があるかもしれません。しかし、このネクタイは、よく見るとダークレッドとライトピンクの間に、水色の縞が入っていて、その色が全体の派手さを抑え目に控え目にしてくれています。
主張せずに、明るさやおめでたさをトータルの印象で伝えてくれる、そんな陰で力を発揮する、心強いネクタイ。
カジュアルな場面からフォーマルな場面まで身につけても大丈夫なネクタイ。
他のネクタイは違う、ユニークでオリジナルなセンスを持ち、うらやましがられる一点突破な美意識をナチュラルに纏うためには、このネクタイが最適。
ご褒美をあげたり、お疲れ様と言いたい1週間の終わりや金曜日に身につけるのも良いでしょう。
きっと気分が上がり、良い気分で1日を過ごせ、良い週末を送れることができるでしょう。そうに違いない!
このネクタイを身につけている人がいたら、ついつい「素敵ですね」と声をかけたくなるで、こっそり真似したくなる、そんな印象のカラーです。
***
全部で5色。どれもそれぞれの魅力があって素敵でした。ぜひご検討ください。
ちょっとした違いと同じところの記録
春から、この新しい「亀田縞ネクタイ」が販売されるということで、他の生地を使ったネクタイや他のブランドのネクタイをいくつか見て回ってきました。
百貨店やセレクトショップ、全国チェーン店など、本当にたくさんのお店に、たくさんの種類のネクタイが置いてありました。
この中で、「亀田縞ネクタイ」の特徴や魅力を既に知ってくれていて/感じてくれていて、また、新しく「亀田縞ネクタイ」の特徴や魅力に気づいて/動かされて、手に取ってくれる方、買ってくれる方がどれくらいいるのだろうと感じました。
とはいっても、他のネクタイも素敵だし、「亀田縞」以外のネクタイも身につけたいなとか、つけてほしいな、とも思うので、決していがみ合ったり、取り合ったり、奪い合ったり、争ったり、強制されたり、縛られたりするのではなく、共存や共生のような立ち位置で、一緒にネクタイをつけていい気分になる人を増やしていきたいなと思いました。
最近では、オフィスのカジュアル化やクールビズの大普及によって、ネクタイや紳士服を身につける機会も減ってきました。すごく減ってきました。
それはとても良いことだと思います。僕もうれしいです。
形式的でなく、固過ぎず、リラックスできる洋服を身につけることが、何よりも良いパフォーマンスや良い1日を過ごすことにつながる。そう思います。
でも、きっとまだこれから(ネクタイが)必要になることがあったり、今日はスーツやネクタイの方がふさわしいかもなって感じる日が来ることでしょう。
そんな日のために、その日が「ああ〜、今日スーツか」「今日スーツ着なきゃいけないのか」といった落ち込んだ気分にならず、「今日はスーツだけど、このネクタイ試してみたかったんだよね」とか「今日はスーツだけど、このネクタイなら気分よく過ごせるかも」といった、微弱でも前向きな気分に変わるネクタイがあったらといいなと。
シルクもいいし、麻もいいし、綿もいい。
表面がツルツルしてるのもいいし、ふわふわしているのもいいし、しっかりしてるのもいい。
光沢感があるのもいいし、生地感があるのもいいし、織物感があるのもいい。
いろいろなネクタイがあって、いろいろなネクタイがあるのがいい。
そのいろいろがある中で、工場に伺って感動した「亀田縞」のネクタイが、だれかの一日やだれかの一部をほんの少しでも彩ってくれるといいな。
まだ浅いですが、ファンの一人として。とても楽しみです。
亀田縞の歴史をたどると
起こりについて
「亀田縞」とは、新潟市の亀田地区で織られた伝統的な綿織物。僕も新潟に来てからはじめて知りました。
越後の織物史によると、亀田縞の起源は、江戸時代の享保年間(1716年 - 1736年)や寛政年間(1781年 - 1801年)までさかのぼるそう。
「亀田地区」は、日本有数の大河である信濃川や阿賀野川、そして小阿賀野川、日本海にも囲まれた地域です。
中世までこの地域には、大小さまざまな湖があり、その湖は「潟湖(がたこ)」と呼ばれていたとのこと。
「潟湖(がたこ)」とは、昔は海であったところが外海と分離されてできた湖。
それに加えて、土地が低く沼地の多い地域であったため、大雨が降ればたちまち洪水となり、低地は水面の下に沈んだとのこと。
今では美しい田んぼの景色を広げる「亀田地区」も、ひと昔までまでは、芦(アシ)や水草が生い茂る、水浸しの沼地がいたるところにあり、とにかく水はけの悪い地域だったと。
水に浮いている。そういわれるような田んぼがいくつもあって、時折、その田んぼが浮かんできて、別の場所に流れてきたこともあったそう。
この大変な地域で、小舟を操り、腰や胸まで雪解け水や冷たい泥水に浸かりながら稲を植え、一年中、田んぼで働くが亀田の稲作農家の方々だ……。
過酷さがとてつもない……。
言葉が出ないほどだ。
しかし、それだけではなかった。
土地や地盤の軟弱さゆえ、数年ごとに大洪水に襲われ、せっかく育てた稲も、農地も、さまざまな家畜や蓄えも、ありとあらゆるものが流されてしまい、だめになってしまう生活を送り続けてこられたと。
すさまじい苦労……。
それでもまた、亀田の稲作農家の方々は、冷たい水と泥の田んぼに飛び込み、農に励んだと。
当時は、気候が常に落ち着いていて、天気も予報で簡単に確認することができ、そして、浅瀬や乾いた田んぼで田植えや稲刈りをして作物を育てていたのではなく、生きるために、暮らすために、身を削って、命をかけて、作物を育てていたと……。
「亀田縞」は、その過酷な営みを支えた一つだったと知る。
***
亀田地区では、もともと綿の栽培も行われいて、綿織物は農家の自給用として使用され、冬季の農閑期、女性の副業として織られていました。
そして、その農家の自給用として織られていた綿織物が、この「亀田縞」でした。
亀田の稲作農家の方々は、1日中、腰まで雪解け水や冷たい泥水に浸かりながらの作業を行うため、速乾性のある作業着求められ、また、稲を植えたり、刈ったりするため、軽くて動きやすいものである必要がありました。
さらに、何度も水に浸かったり、じゃばじゃば・じゃぶじゃぶ田んぼを駆け巡ったり、激しい動きを何度もしなければならなかったため、作業していてもへたらない、ずっと長持ちする、耐久力を持った丈夫な生地が好まれました。
そうして、その土地に生きる稲作農家のために生まれたのが、当時の「亀田縞」。
興りについて
江戸時代。
タテ糸とヨコ糸を組み合わせた縞柄が大流行し、「亀田縞」はさらに盛んに生産されるようになる。
亀田繊維工業協同組合のホームページによると、大正初期には、亀田は日本有数の織物産地として有名になり、600以上の織物業者が日々「亀田縞」を生産するエリアになるまで発展を遂げたと。
しかし、昭和に入ると、農村向けの生地の需要は一気に減り、一般大衆向けの生地の生産が増加。販路も、東北や北海道にかわって、東京や大阪方面に移行することになったと。
さらに、そこに追いうちをかけるように、戦争を契機に戦時指定生産が始まり、綿糸の入手が困難となる。
かつて、600以上も存在した織物業者や亀田縞製造業はつぎつぎと廃業。
最終的には、一軒も「亀田縞」を生産するところはなくなり、歴史の幕を閉じることになったと記されていた。
復活について
それから時は経ち、平成。50年以上もの月日が流れ、「亀田縞」を知る者も少なくなった頃、現在の「中営機業」の織物職人が立ち上がり、「亀田縞」の復活を目指して動き出す。
かつて、稲作農家を支え、江戸時代を席巻する縞柄にまで進化を遂げた、あの「亀田縞」をもう一度。そう熱い想いを持って、役場中を聞き回ったり、手がかりとなる資料を探し回った。
そして、平成14年。
奇跡が起こる。
当時の「亀田縞」の布と見本帳が見つかり、産地に残った2軒の機屋(「中営機業」と「立川織物」)によって、「亀田縞」が復活を遂げた。
布と見本帳は郷土資料館で見つかったとのこと。
すごい……。
そうして、奇跡的に復活を遂げた「亀田縞」は、これまでの強みであった乾きやすさと丈夫さに加えて、現代の生活にも馴染む普遍的な風合いとデザインを目指す。
見本帳を元に、糸や糸の形状・密度、織り方や織り機の分析などを徹底的に行い、試験・実験を繰り返していたと。
こうして、再現。そして更新された、「亀田縞」。
現在について
現在も機屋は復活当初と同じく2軒となっているが、伝統を少しずつ受け継いでいる。
厳しい審査基準をクリアしなければ得られない地域の特産品商標を獲得したり、道の駅や百貨店、お土産店での販売があったり、日常的に「亀田縞」を見る機会や手に取る機会が増えてきました。
エプロン、ハンカチ、バッグ、ズボン、マフラー、ケースなど、展開幅も広がっている。
ネクタイのこと
これまで紹介してきた「亀田縞ネクタイ」。「亀田縞」のことや、今回のネクタイの特徴は分かったけれど、そもそもネクタイはいつ生まれたか、なぜネクタイと呼ばれているのか、ネクタイは日本発祥なのか、日本発祥でなければいつ日本に入ってきたのか、今と昔では使われ方・用途は異なるのか、など、ネクタイそのものについては、実は知らないことがたくさんある。僕も知らないことばかりだった。
これを機に調べてみると、想像以上に長い長い歴史を持っていたネクタイ。今回は、そのルーツを少しだけたどり、ネクタイの知られざる魅力にも迫ってみる。
起源について
ネクタイの起源は、古代ローマ時代までさかのぼると考えられている。
ネクタイの文化史によると、古代ローマ時代にて、ローマ帝国の軍人たちが戦地へ向かう際、防寒とお守りの二つの役割で首元に巻いていた襟巻きのような布が、ネクタイのはじまりとされている。
その布は、無事、戦地から帰還しますようにと、首元を温めて、からだを壊しませんようにと、その二つの願いを込めて、ローマ帝国の軍人の妻や恋人たちが送っていたと。
ギフトやプレゼントとはまた少し違うが、贈り物として、ネクタイの歴史がはじまっていたのは、とても興味深い。
それから時は流れ、17世紀フランス。
当時のフランス国王であるルイ14世が、ヴェルサイユ宮殿で警護に当たる兵士が首に白い布切れを巻いている姿を見た。
それを見た王が、「かっこいい!おしゃれだ!」と、その白い布切れをとても気に入り、御用達の職人に命じて、同じような布を作らせて、自分も首に巻いたと。
それをきっかけに、宮殿で流行するようになり、宮殿にやって来た貴族や外国からのお客たちも、その様子を見て、真似をするようになり、ヨーロッパ全体、そして世界に広がっていったとのこと。
いくつかの文献を見ると、諸説あるようだが、この説が最も有力だとされている。
名前について
ネクタイという名前。
日本やアメリカでネクタイを「necktie」「tie」 と呼ぶのは、その英語の綴り 「necktie」に由来するもので、これは文字通り 「首を締める」 という意味から来ている。
では、ヨーロッパを中心に、「クラヴァット(cravate)」や「グラヴァッタ(Grabata)」、「グラヴァッタ(Grabata)と呼ばれているのはなぜか。
その起源も17世紀フランスであったと記されている。
先ほど少し触れた、ヴェルサイユ宮殿で警護に当たっていた兵士。
その兵士の出身地が「クロアチア」だったのだ。
クロアチアはフランス語で、クロアット(Croate)と表現され、訛りが入ると、クラヴァット(cravate)と呼ばれるそう。
ルイ14世が当時、「白い布切れを巻いているその男は」と言った際、「クラヴァット(cravate)にございます」と、その兵士が出身地を名乗ったことが、ネクタイの名前の起源だったとされている。
日本にやってきて、それから
世界的に古くから親しまれてきたネクタイ。
日本では1851年、ジョン万次郎が帰国した際、今のネクタイにつながるアイテムを国内に持ち込んだことがはじまりとされている。
土佐藩生まれのジョン万次郎は、14歳の時に漁に出て遭難。
しかし、そこにたまたま通りがかったアメリカの捕鯨船に助けられる。
その後、一度ハワイに送り届けられるが、当時の日本は鎖国中で、日本へ帰ることが叶わなかったため、捕鯨船の船長に願い出て、そのままアメリカへと同行し移り住むことに。
日本の鎖国が終わり、ジョン万次郎がアメリカから帰国したとき、その所持品の中にあった「襟飾(えりかざり)」が、日本に最初に持ち込まれたネクタイと考えられている。
それから日本は明治維新を迎え、文明開化の道を歩み始める。装いも着物などの和服から洋服へと変わっていき、ジョン万次郎から伝わったネクタイも多くの人が身につけるようになった。
日本のネクタイの日が10月1日であるのは、1884年(明治17年)の同日、東京の帽子商であった小山梅吉が、日本で初めてネクタイの製造を始め、帽子の布を使って作った蝶ネクタイが、国産のネクタイ第1号だと言われているからだそう。
日本のネクタイの起源とはじまりのことを知り、今まではなんでもなかった10月1日が、今では少し楽しみになっている。
人生何があるか分からない。だから面白い!そう感じた。
これからのこと
想いと展望
雪国新潟の風土の中に生まれ育ってきた「亀田郷」。古く長い年月にわたって受け継がれてた伝統織物「亀田縞」。
その歴史は、特異な風土、劣悪な農地環境、過酷な農(暮らし)、織物の伝統継承、綿素材、江戸の浮世絵、地域創生、国土創生など、どの観点から切り取っても奥が深い。深かった……。僕もまだまだです……。
そんな中で、文化や生地の歴史、稲作農家や織物職人の想いと技術を体感しながら纏えるという選択肢を一人でも多くの方に知ってもらい、楽しんでもらいたい。
実際に触れてみるとそれらが何十年、何百年も前から現代に受け継がれている理由が少しわかります。僕も少しだけ感じられたような気がします。
伝統や織物という言葉ではなく、その技術に、普遍的な価値に、ただただ魅せられてしまうのです。
そのような魅力を持つ「亀田縞」のネクタイが、どうか一人でも多くの方に届いてくれたらと思っています。
新潟に愛着がある方や新潟に誇りを持たれている方、新潟が好きな方や新潟に一度は来てみたい、または、また来たいと思ってくださっている方。そんな方々に纏っていただけたらとてもうれしいです。
「亀田縞ネクタイ」はきっと良い変化をもたらしてくれるでしょう。
良い変化とは、新しい会話のきっかけであったり、出会いのきっかけであったり、信頼してもらうきっかけであったり、ほのかなものです。でも必ず、そのほのかに良いことがやってくる。そんな想いや願いが込められて、生まれています。
ニュースや記事を見ると、世の中では、衣服の「大量生産・大量消費・大量廃棄」の負の循環に歯止めがかからず、ネクタイを含む織物という伝統産業も、斜陽産業と言われるようになったと報道されていました。
洋服を購入しても、流行やトレンドを追いかけ、まだまだ1シーズンだけで廃棄されてしまうものが多いそうです。
ネクタイ一本が、この問題を解決することはもちろん難しいですが、長く使い続けられる、長く愛用したいと思う、そんな一本になることを願っています。
されど一本ですが、その一本が連鎖となり、ほんの少しだけでも新潟の空気が変わる、日本や世界の空気を変えてくれることでしょう。そう願っています。
洋服を選ぶときの視点や眼差し、洋服を買い・纏うときの心持ちが、前よりちょっとでも明るい世界につながってくれたらといいな。
「亀田縞ネクタイ」
「niigata necktie(ニイガタネクタイ)」シリーズの第一弾。
「亀田縞編」
「カラーは全部で5色」
「ワイドブルー&グレー、ブラックグレー、ワイドネイビー&ゴールド、ブラウン&グレー、ダークレッド&ライトピンク」
「値段は1,1111円」
「サイズは全長約140cm、大剣幅約9cm」
「発売開始は2024年4月12日から」
「プレ販売は2024年4月6日~11日の六日間」
「自分用や仕事用、プレゼント、ギフトなどにぜひ^^」
「使っても纏っても、贈っても贈られても嬉しいネクタイ」
「さあ、日常を楽しもう」
終わりに
最後になりましたが、長い文章にお付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。
現場しか得られない、ものだけでは伝わらない、歴史や背景、苦労や努力、その魅力の一つ一つが、誰か一人にでも届いてくれたらうれしいです。
亀田郷で暮らされていた先人の方々のことを振り返ると、間違いなく、汗と涙と笑いと夢と情熱と希望が詰まった織物になっていると言えます。そう言えるのは、「中営機業」の中林さん、越後や新潟、亀田のさまざまな史伝から感銘を受けたからであります。
従来のネクタイという枠を超え、今までになかった暮らしの景色が見られたらと。「亀田縞」を身に纏ってくださる皆さんに、新しい彩ある暮らし・毎日をお届けできたらと。そんな風に思っています。
近年、手仕事や手工芸の良さが見直され、伝統織物もまた、再認識されようとしていますが、このnoteが「亀田縞」や新潟の伝統織物、皆さんの近くや側にある、さまざまな生地を認識していただく、一つのきっかけになれたらとてもうれしいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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参考文献
書籍
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