東京脱出後も、たいせつな人たちとつながる秘訣
「東京脱出」を検討する人たちが増えています。迷いポイントの代表例のひとつが、今ある良好な人間関係を断ち切ってしまうのではないか、という懸念です。東京都目黒区から静岡県三島市に2016年に移住した私たちは、今でもたいせつな人たちとのつながりを保てています。決して、断ち切る/切れてしまうことはありません。そこには秘訣があるんです。私たちの4年分の工夫をご紹介します。
東京に住んでいた頃、週末は友人との予定でぎっしりでした。同じ建物に住む「お隣さん」とは家を行き来したり、レストランに出かけたりしながら夜遅くまでおいしいお酒を飲みました。大学時代から続く友人や、夫(K)の会社のインターン生を自宅に招いたりもしていました。
今ではすっかり快適な三島生活ですが、2016年の移住当初は、東京の頃のように気軽にたいせつな人たちと会えないことが寂しかったです。きれいな水と空気、家から見える雄大な富士山、そして抜群の子育て環境と保育園の入園。ほしいものは手に入れたのに、交友関係だけは、東京から離れた分の「疎外感」のようなものがありました。
だから、移住してからの4年間、様々な工夫でたいせつな人たちとつながり続けてきました。だって大好きな人たちとは、離れたっていつまでもつながっていたいから!コロナ禍で大切な人に会いにくい時代、ご参考になることがあれば嬉しいです。
工夫1:恒例イベントを企画する
友人と会うことを恒例のイベントにすると、定期的に会うことができます。例えば、Aさん家族とは夏にバーベキューをする、Bさん夫婦とは冬に鍋パーティをするなど。季節性のあるイベントとして企画すると、毎年恒例のイベントになりやすいですね。私たち夫婦には10年以上、毎年欠かさずにクリスマス会(通称クリパ)をしている友人夫婦がいます。独身時代(彼・彼女のとき)から始まり、お互いに結婚を経て、今ではどちらにも2人ずつ子どもがいます。このクリパなしのクリスマスは考えられません!4人で始めたものが8人になったという成長や感動も含めて、毎年の風物詩として楽しんでいます。
2012年、東京時代のクリパ。けっこう飲んでますね~
工夫2:年賀状と暑中見舞いで近況報告
年賀状のやり取りは少しずつ減っているといいます。でも「〇〇さん、元気そうだな」なんて、久しぶりに年賀状の写真を眺めながら考えるのは楽しいですよね。年賀状を書く習慣のない相手からも、「元気~?おもしろい年賀状ありがとう!」とLINEがもらえたりします。年賀状という形がマストではありませんが、コミュニケーションの絶好のきっかけだと思っています。
年賀状に加えて、お世話になっているけれどたまにしか会えない人には、暑中見舞いを出しています。暑中見舞いの発行枚数が減少傾向にある中(2000年は3億1110万枚に対し、2018年は2億5285万枚)、あえてアナログな手段を選んでいるんです。理由は、私たちが手紙を書くのが好きだからというのと、デジタルな時代こそアナログな手段が伝わると信じているからです。
デジタルな世界には数多くのフォントがありますが、手書きの手紙には世界で1つだけの私にしかかけないフォント(私たちの場合は、かみこうじフォント?笑)があります。久しぶりの、あの人のフォント、心が通う瞬間だと思うのです。
いつもはLINEでやり取りしているたいせつな人からも、お返事としてアナログなハガキが戻ってきます。時差もある、そういった一連のやりとりが楽しいですよ。
工夫3:ちょっとした話題があれば気軽に連絡
お誕生日や結婚記念日などにメッセージでお祝いすることはもちろん、友人に関連する話題があったら連絡しています。例えば、友人に似ている俳優さんが結婚した、一緒に行ったお店がグルメ番組で紹介された、あの人の大好きな国がNHKの”せかほし”で紹介されている、など。
話題の大小は関係なくて、「たいせつなあの人に連絡する絶好の口実ができた」という感じです。相手がどんな風に感じているか、確認したことはないですが(笑)、いきなり連絡が来てびっくりしつつ、不定期につながるのはいいことだと思ってくれているんじゃないかな。誰かから私たちに同じような連絡が来たら、「私たちのことを、思い出してくれたんだ!」「そんなちょっとした出来事を、今でも覚えていてくれてるなんて!」と、大切にしてもらえたような気がして嬉しくなりますね。
東京都目黒区に住んでいた頃の「お隣さん」は、今ではお互い引越しをして、100km以上離れた「お隣さん」となりましたが、もう10年来のお付き合い(書きながらびっくり!)。お互いの子どもたちの成長を、いつも見守っています。
私たちの移住直前、10年来の「お隣さん」との感謝祭
工夫4:会えない時こそ「おふくろの味」ならぬ「三島の味」
決して「モノで釣る」という意味ではありません(笑)
誕生日のようなお祝いや、感謝の気持ちを伝えたくなったとき、「三島セット」を勝手に作って送ります。三島だからこそ手に入るものや、最近のお気に入りの調味料、気に入っている本などを、箱の中に詰め込みます。
2020年の緊急事態宣言のときには、「コロナ禍で三島に来てもらえないなら、三島の味を送ろう」と思い立ち、東京の友人に三島にまつわるおすすめの物産品を箱につめて発送しました。お気入りの珈琲屋さんのコーヒー豆、生わさび、わさびふりかけ、桜エビせんべい、みかんジュース、うなぎパイ(浜松ですが)などなど。そうしたら、友人から東京の有名店のチョコレートやフルーツ酢などをお返しにいただき、久しぶりに東京に行った気分でした。(みなさん、かえって気を遣わせちゃったね。ごめんなさい)
我が家版、ピンクボックス運動
引用:チョコレートのゴディバ社によるピンクバン運動 第二次世界大戦後、創業家のピエール・ドラップスは、悲しみの中にあったブリュッセル市民を励まそうと、配達用のバンをピンク色に塗装し、チョコレートを戦後の荒廃に立ち向かう人々へ届けました。このピンクバンを見かけた市民は心を打たれ、復興への希望を見出したと言われています。 https://www.godiva.co.jp/pinkvan/
工夫5:三島でも友人をつくる
「たいせつな人は、今住んでいる街にしかいない」なんてことはありません。これから暮らす新しい街にも、素敵な出会いがたくさんあります。私たち夫婦も、三島での4年間で多くのたいせつな人ができました。
三島には比較的、”生まれも育ちも三島”という人が多いようです。娘が通う保育園で、お友だちのお父さんお母さんと仲良くなると、一気にネットワークが広がりました。現在は、新型コロナウイルスの影響もあって控えていますが、週末に家にお招きしてごはんを食べてもらったり(私たち夫婦はおもてなしするのが好きです)、近くの公園にお弁当を持って出かけたり、楽しい時間を過ごすことができています。保育園の送り迎えのタイミングでは、なかなかゆっくり話すこともできないので、こういった機会にのんびりお互いを知ることができるのはいいですね。
ご縁とは不思議なもので、思わぬ形で発展することがあります。東京の「たいせつな人」と、三島でできた「たいせつな人」がつながっていたりするんです。「じゃあ、みんなでバーベキューだ!」となったこともあります。本当におもしろいですよね!
夫(K):「私たちの考え方・価値観はみんな、たいせつな人たちとの交流の中で生まれたよね。「あの人のこういうところ、すてきだから真似しよう」とか「あの家族の価値観っていいよね!」みたいな話、たくさんしてきたもんねー」
妻(A):「これを書いていたら、たくさんのたいせつな人に会いたくなってきたよ~(涙)」
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