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ご縁しかない、転職ものがたり

 これは、2021年12月〜2022年1月(2か月間)の、私(妻A)の転職レポートです。ずっと「下書き」状態で眠っていたものを、転職からちょうど2年経った今、仕事で中途採用担当になったこともあり、公開したいと思います。

 「主体的なキャリア形成」という言葉が聞かれるようになって久しい。リスキリング(大人の学び直し)もそう。もう会社がすべて面倒を見てくれる時代は終わったのだから、自分でスキルを磨き、キャリアを作ってくださいねということ。経営環境の大きな変化の中、社員みんなのキャリアアップを約束できなくなった企業の都合もあるけれど、個人の価値観や多様性が尊重されるようになった今では、自然な流れと思います。

 このレポートは、いわゆる”大手企業”で人事領域をやってきた私(妻A)が、いろいろなことの巡りあわせで主体的なキャリア形成の一つ「転職活動」に臨んだレポートです。結果として、故郷であり、7年前にUターン移住した、静岡県三島市にある加和太建設(かわたけんせつ)から有難いご縁をいただき、2024年現在も継続勤務中。もし転職活動をしている人がいたら、このレポートが何かのヒントになれば幸いです。



2021年秋、前職を辞める決断

 2018年秋から勤めていた都内の外資企業を退職することに決めました。一番の理由は、会社がワークライフバランスが取れない働き方に急激にシフトしていたこと。日本法人が事業売却され、親会社が投資ファンドに変わる中で成果主義にどんどん拍車がかかり、仕事量もみるみる増えていきました。リモートワーク、フルフレックスタイム(5時~22時の中で所定時間働けばよし)といった柔軟に働ける制度があり、その恩恵には授かっていましたが、未就学児2人を育てながら働くこととの両立は難しくなる一方。私が18時に仕事を終えても、他の社員はまだまだ働いている状況。自分の就業時間は終えたはずなのに、気持ちが休まらず、いつも急かされている気持ちでした。
 また、私には週の半分くらいはオフィスで直接顔を合わせながら働くスタイルが合っていたので、いわゆる「リモート疲れ」の状態になってしまいました。来る日も来る日も画面に向かい続ける日々。いま振り返るとメンタル手前だったのかも?と思うほどです。上司と面談を重ね、退職する方向で話を進めていきました。


次を決めないままの退職

 実はこの時、次の仕事を決めずに退職しました。辞めるなら早く出てください、と言わんばかりの対応だったので腹が立ったことが最大の理由です(笑)。人事職に就いているからには、こういった対応はしてはいけない、というまさに反面教師。会社に交渉し、在籍期間を2022年1月末までにしてもらい、2021年の11月末を最終出勤日として退職しました。コロナの影響が経済活動にも波及するなか、次が決まっていないことは不安でしたが、2ヶ月の猶予期間で「何とかする!」と決意しました。なぜなら、次女が保育園に継続して在園できるには、いち早く仕事に就かなくてはならなったから・・・。子育てしながら働くって本当に制約が多い、と改めて感じました。でも、当時の園長先生に退職理由を話した時、保育園の面談室で2人で涙しながら「大丈夫、何とかなるから」と励ましてもらったことは忘れられないエピソードです。

2ヶ月間の期限つき転職活動スタート

 最終出勤日の翌日、さっそく転職活動をスタートしました。在職中に中途採用業務も担当していたため、取引のあった人材エージェントに、自身が候補者という形で登録しました(笑)。もちろん、先方からは歓迎してもらえました。こうして、一般的な転職活動を始めたのでした。

どんな「働き方」をしたいか?を最優先に

 2022年は、長女が小学生になる変化の年でした。よく聞く「小1の壁」にドキドキしながら・・・。そこで、自分の仕事ももちろん大切ですが、家族の生活の変化に寄り添えるような働き方がしたいと思うようになりました。前職で業務量過多でバランスがおかしくなりそうだった経験も踏まえ、仕事内容はえり好みし過ぎずに、働き方を優先。いま大切にしたいことを見つめ直して、「これまでの経験を(ほどほど)生かせる」「子育て中でも働きやすい」「出勤とリモートワークのハイブリッド」という軸で探してみることにしました。そして、新たに軸に加えたのが、「地元で働く」という選択肢。選択肢が決して多くないことは理解しつつ、片道100分かかる都内企業に週数回通うよりも、通勤時間をかけずに家族のそばで働きたい。そういう自分の気持ちの変化に、自分が一番驚いていました。

 都内の候補企業は人材エージェントに紹介してもらい、地元企業は自分で探しながら、並行して転職活動を進めていきました。棲み分けはこんな感じ。

■人材エージェント: 
おもに都内企業、人事職、フレックスタイム、リモートワーク可能

■自分:
地元企業、事務職(人事職含む)、正社員


やってみてあらためて分かること

 人材エージェントに紹介してもらった都内の外資企業(小売・アパレル・食品)を3社受けました。どこもオンラインで人事担当と1時間ほどの面接。事前に企業研究として、ホームページを調べたり、商品を購入したりして臨みましたが、面談が終わったあとに残る感覚は”違和感”。決して”ワクワク”ではありませんでした。この違和感の中身を探っていくうちに分かったことは、私がオンラインで何でも済んでしまうこの状況に物足りなさを感じていることでした。人間味がないというか。自分の強みは、誰かと本音の関係を構築していくこと。このままだと、仮に都内の有名企業に就職が決まったとしても、自分の強みを生かしながらイキイキと働く姿を想像できませんでした。これが、東京で働き続けることへの大きな疑問、そして否定につながっていきました。


そして、地元企業との出会い
 地元の三島市に、面白い建設会社があることはうすうす知っていました。社名は、加和太建設(かわたけんせつ)。
2020年にコロナが流行してからは、Uターン移住した三島で過ごす時間も劇的に増えたので、まちのプレーヤーとして認識する機会が各段に増えました。建設業の枠にとどまらない新しい取組みを次々に仕掛けていて、外から見ているだけでもワクワクする感じ。
「地元の歴史ある建造物のリノベーションと新しい用途での活用」「人が集まり交流する場と仕組みづくり」「シェアサイクル」「クラフトビール作り」・・・ここに書いただけでは収まらないけど、面白い会社。
東京で働き続けることに疑問を抱いてしまった私は、いつしかこの会社で働くことができたらな〜という思いを抱くようになっていました。でも、採用ホームページには私に合った求人はなく、どうしたものかと思っていたところ、思いついたのは「人海戦術」作戦。同社で広報をしているMさんとは顔見知り。と言っても、数回しか会ってお話ししたことはないんだけど・・・。ダメもとで、当時のTwitterでDMを送ってみたところ、女神のような返信がきた! 「いちどお会いしてお話しませんか?」

ご縁が続いていく年末年始
 
12月半ば、広報のMさんが直接会ってくれ、会社の説明をしてくれることになりました。場所は、同社がリノベーションを手がけた三島市内の元幼稚園。今は、地元のNPOが運営に携わり、地域の人が集まる場になっています。そこでお話をいざスタートしようとしたところ、Mさんの様子がおかしい(笑)。外を見ると、同社の社長がいるではないか!どうやらこの施設を視察したいという団体へご挨拶に来た模様。そんな、社長も同じ敷地にいるという状況で会社説明をしてもらうという面白いスタートでした。
その翌週には、人事チームとの面談、その翌週には担当部長との面接がトントン拍子に進み、そして2022年の年明け1/5に社長面接・・・。尋常でなく緊張していました。このチャンスを不意にしたらもう後がない・・・。10年以上前の新卒時代の最終面接のような気分でした。どうやって面接が始まったかはもはや覚えていませんが、面接では、共通の知り合いが多いのに、社長と私との接点が全くなかった話から始まり、私のこれまでの業務経験の話、人事のあり方の話や仕事で大切にしていることの話・・・たくさんの話をすることができ、「選考」というよりも「対話」しているような印象でした。


その場でまさかの「内定」

 そんな、有意義な時間もそろそろ終わる頃、社長から「ぜひよろしくお願いします。」とまさかの内定オファー。私も中途採用業務に関わってきたので、「その場でオファー出して大丈夫かしら・・・!?」と驚きました(笑)。もちろん、第一志望だったので、ありがたく受けさせていただきましたけど。
 という流れで、内定までにMさんから数えて全4回の接点で、短い期間で多くの時間を私のために割いてもらえたことが嬉しく、そこに「人間味」と「情熱」や「思い」を感じました。「そうだ、これが欲しかったんだ!」と長らく欲していたものがそこにあったことも確かです。


まちで暮らし、まちで働く
 こうして2年経った今も、人事職に就けたことで自分の経験や人柄を活かして働けていると思いますし、全社プロジェクトに関わらせてもらったりすることで刺激の多い時間を過ごしています。子どもたちとの生活も犠牲にせず、「まちで暮らし、まちで働く」ことを満喫しています。自転車通勤していますが、朝の空気のなか、スーッとオフィスまで出かけていくのはとても気持ちがよく、これは東京に通い続けていたら得られない体験だと思います。

 誰にでも訪れる「転機」。私の場合は、それが2021年の退職だったわけですが、自分を見つめ直し、何が大切で、どう生きたいのか、を強く意識するきっかけとなりました。そこから優先順位をつけて、打ち手を打っていき、望む結果を手に入れる。このサイクルをライフステージの変化に合わせて、定期的に回していく必要があるとも感じました。人生100年時代、今後も主体的なキャリア形成を続けてみようと思います。

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