藤原道長が使った「老後」の意味
ずっと働くを考える その3 老後 というブログを書いた。
今も使われている日本語が、昔はどういう使われたかたをしていて、それが今とどう違うのか、を見ている。
老後。
老後っていうと、今は人生ひと段落つけて、のんびり余生(あまりの人生)をすごす、仕事からも引退して、今までよりギアを一段さげて、、、という感じではないだろうか。
でも、実際どうだったかと言うと、藤原道長の日記に出てきたのがどうやら日本の文章で最後の「老後」の様なのだが、そこには上記のような意味はなく、「時がたったあと」くらいの意味なのだ。
これって、ああそう、と言われればそれまでのことなのだが、でも実は重要なことだと考えている。物事の成り立ちが、その本来のあるべき姿を指し示していることって結構あると思うのだ。
それは、いわゆる科学的なアプローチとしては特に根拠はないかもしれない。だが特に科学的な意味を持たないアプローチが時として有効であることは、ビジネスや実社会を見ていればよくあることだ。
というわけで、自分もこれから、「藤原道長は、老後という言葉を【時がたった】という意味にしか使っていなかった。だからみんな、年とっても老後なんか気にせずずっと今まで通り、生きろ」と言おうと思う。