コンサルタントと哲学者
先日、哲学科出身の方とコンサルタントと話す機会があり、話の流れで哲学とコンサルティングって似てるよね、となった。なったが話しているうちにむしろ逆じゃない?となったので、そのあたりの議論をまとめなおしてみたい。
コンサルタントも哲学者も、常に物事に疑いを持ちながら、「それはなぜ」と「だから何」を行き来する。しかし究極的な目的において、コンサルタントは「だから何」を求め、哲学者は「それはなぜ」を求める。
空雨傘の枠組み
ここで登場するのが空雨傘の枠組みだ。以前報連相との関係で記事を書いているのでそちらも参照されたい。
空
事実に基づく状況把握
雨
状況に対する自分なりの解釈
傘
その解釈から導きだされる行動
状況⇔解釈⇔行動を用いて、状況を見てそれを解釈し、そこから具体的な行動に結びつけることで問題解決を目指す。
図に示すと以下となる。
だから何?が右への移動、それはなぜ?が左への移動だ。左への移動は原因の追究であり、右への移動はある事象から具体的対策への行動となる。その際、常に与えられる情報と自分が導く洞察について、「それホント?」という問いかけをすることで真実性を担保する。中身が正しく、左右の移動が論理的に行われれば、結果も論理的に導かれる、という考え方だ。
もちろん実際には、解釈の仕方、意思決定の基準などで常に同じ解が見つかるわけではないし、常に完全な情報が手に入ることは現実世界ではほぼあり得ないので、価値観や直観に紐づいてそれぞれの意思決定が行われるわけだが、そうした価値観や直観をサポートする道具としてロジカルシンキングが使われているといえる。
コンサルティングにおける左右の移動
コンサルティングとは、問題解決の支援である。問題解決とは、問題を解決するための行動を起こして現状を変更することに他ならない。その意味で、コンサルタントは常に、最後は一番右、傘につながらなければ意味がないといえる。ただし、最初から右を目指すわけではない。何か困った問題が起きたときに、その原因が何か?を考えることは非常に重要だ。
「従業員が会社に対して不満を持っており、離職率が高い」
: だから何? → 「給料を上げる」
ではなく、
「従業員が会社に対して不満を持っており、離職率が高い」
: それはなぜ? → 「社内の教育・業務バックアップがない」
: それはなぜ? → 「上長に部下フォローの時間的余裕と評価がない」
: だから何? → 「管理職に教育時間を確保し、評価対象に組み入れる」
といった形でいったん左に行って原因追及をし、再度右に動くことで正しい行動に結びつける。このように、左右の動きを常にとる姿勢、とる際の正確性がコンサルタントに求められているといえよう。
哲学的思索とは
哲学者はどうか。哲学とは何か、ということを論じるだけでもあっという間に時間がたってしまいそうなので、ここでは「世の中の真実に近づく学問」とおいてみよう。真実とは何か?世の中とは何か?といった問いがこの瞬間に生まれてくるわけだが、そこはいったんおいて考えると、真実に近づく行為とは、空雨傘上でいうと、空側、左側に移動していくことに他ならない。
「なぜ」人は生きているのか、「なぜ」言語が存在するのか、「なぜ」目の前のリンゴは私には赤く見えるのか・・・なぜを問うて答えを求め続け、出た解に再度問いを投げかけるのが哲学といえるのではないだろうか。
しかし、なぜだけを求めているのみでは人生の中で活用できるものが出てこない。それら施策の結果、「どう生きるべきか」を提示することも哲学者の役割だ。例えばプラトンは世の中は「イデア」があると考え、結果「哲人政治」を理想として社会をそのように変革すべきと訴えたし、カントは認識は物体に先立つという考えのもと、自分でルールを作りそれに従うことを理想の生き方とした。そのように雨を提示することが哲学者の目指す形の一つでもある。
さらに、哲学者にとって極めて重要なことは「疑う」ことであると言われる。空の青さを我々は実際にそこにあると認識しているが、哲学者にとってはそうではない。自分が青いと思っているだけで、本当にそこに空があるかを疑う。これこそまさに「それホント?」だ。
コンサルタントと哲学者の共通点と、相違点
そのように考えると、コンサルタントと哲学者はかなり共通点が多いことがわかる。ある事象に対して疑いを持ちながら観察し、「それなんで」と「だからなに」を使って左右に移動しながら、最終的に行動に結び付けていく。
そこでは論理的整合性は極めて重要であり、他者と共通認識を持つための必要条件となっている。
では相違点はどこにあるのか。
究極的な目的がどこにあるのかが異なるのではないかと考える。
コンサルタントは、クライアントのために問題解決をすることが目的。最善の雨を提示することが目的だ。
哲学者は、世の中の真実に迫ることが目的。正しい空を表現することが目的だ。
コンサルタントは、問題解決のために真の原因を探る必要から、「なぜ」を使って事象の根本的な部分の解析を行う。ただ、それだけをやっていると行動に移すことなく時間が過ぎてしまうから、ほどほどのところで「だからなに」の行動に結びつける必要が出てくる。
哲学者は、世の中に対してどう行動すべきか、を訴えることも重要だが、そればかりをしていると論理的根拠を失い、また哲学者ではなく政治活動化となってしまいかねない。あくまで「なぜ」を追求し続けることを求められているといえないだろうか。
その意味で、同じフレームワークを用いながら、正反対の場所に行こうとするのがコンサルタントと哲学者である、というのが今回の結論である。
とはいえ、ここで重要なのは、コンサルタント、哲学者それぞれの持つ考え方のフレームワークを適切に使うことかもしれない。疑いを持ち、原因と行動の間を行き来しながら、正しい認識と正しい行動を求める。それは職業に関係なく、すべての人の生き方としての理想の一つではないだろうか。