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平成はチャンプロードの時代だ

令和を迎え、平成を送るにあたり思いを巡らせている中で、平成をチャンプロードから眺めてみるべきと思い至った。

きっかけは最近、二十代前半の群馬県出身の男の子と話していた時のことだ。曰く、数年前に上京する時もいまだリーゼントやボンタンは現役で、「チャンプロード」が読まれていた、と。

チャンプロード!

間違いなく25年ぶりに聞くその名前は、明確なビジュアルとともに記憶の奈辺から蘇ってきた。

自分は長野県の地方都市で小学生で平成を迎えた世代で、いわゆる暴走族やヤンキーカルチャーには興味なく過ごしたが、当時の空気の中では、完全にかかわりなく過ごすことはできない。平安時代の貴族が否応なしに藤原北家と関わるように。
したがって、チャンプロードと言われればすぐに甘酸っぱいのや甘苦いのや苦いのやえぐい思い出がぼろぼろと出てくる。
当時はかわいい女子は、かわいいという理由でそちらサイドに連れていかれていたものだった。

そんなチャンプロードだが、wikiによると

チャンプロード wiki

1987年創刊、2016年休刊のようだ。
平成の少し前に生まれ、平成の少し前に終わっている。
この空気感は、平成の30年間のどこかで、地方都市で学生時代を過ごしたものであればすぐわかるのではないか。昭和の暴走族とは少し違う。「マイルドヤンキー」や、おそらくエグザイルや氣志團の源流でもあるが、より現実的な人間関係やその土地の因縁と結びついている。そして本質的には救いの要素が多分に含まれている。

救い。学校の表向きのヒエラルキーに対するカウンターカルチャーとしての文化。いずれにせよヒエラルキーであるから、そこにも競争や権力があり、暴力も結びつくから剣呑ではあるが、そこに属することで心身の安定を得ているものがいたのは事実だ。

そうしたカルチャーが担ってきた救いであり地獄は、令和時代にはまた別のものが担うのだろうか?あるいはあらゆる犯罪的行為が公になり個人間の精神的な闇はネットの裏側に隠れる今は、救いとなるカウンターカルチャーは存在し得ないのだろうか?

令和の中高生が、苦しくも居場所のある青春時代を過ごすことを願う。

神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/