オープンダイアログをやってみた
先日、経営者仲間と3名でオープンダイアログをやってみた。学びが大きかったのでメモに残しておきたい。
オープンダイアログとは何か?
オープンダイアログとは、統合失調症に対する治療法の一つで、フィンランドで1980年ごろ生まれた。家族療法の一種で、患者、家族、親戚、医療者など患者に関わる重要な人たちが集まり、「開かれた会話」を行う。「開かれた会話」とは、上下関係なく、すべての発言が許され、傾聴されるものである。
一般的なカウンセリングでは、1対1で治療者と患者という関係性が与えられ、主に患者が話し、それをカウンセラーが聞き、判断し、治療の手助けをする、というものだ。
それに対して、オープンダイアログでは、治療者と患者だけでなく、その家族、医療者もカウンセラーだけでなく看護師なども同席して会話を行う。そこでは車座になって話を行い、上下関係を生まないような工夫をしている。
私が読んだのは、この本だ。非常に具体的に体験した来たものが語られており、お勧めしたい。
どんな風にやってみたか
面白そうだからとりあえずやってみようということで、まったく経験したことのない3名でやってみた。3名とも心理士でもなく、統合失調症の患者でもない。つまり治療が目的ではなくただ話をしてみようということだ。
1名が話し手となり、それを2人が聞く形で60分間、やってみた。自分は聞き手に回り、話を聞いた。話し手の話題は主に仕事を進めているうえでの悩みや、自分の気持ちだ。
途中、「リフレクティング」という手法があり、それも試してみた。これは、そこまで話した内容について、話し手が聞こえる場所で残りのメンバーで話し手についてどう思うか、を話し合うものだ。
「先ほど話し手は〇〇がつらいと言っていたが、私もその感情にはうなずけるものがありました。ただ、どうして電車に乗ることにそこまでこだわるのかがわからないので、そこをもう少し教えてほしいと思いました」のような会話だ。
これは、オープンダイアログおよび開発したケアロダス病院の治療方針である、「患者について患者のいないところで語らない」というルールからできているものだ。
やってみてどうだったか
これがめっぽう面白かった。普段から自分史作成やコーチングなど、いろいろなシチュエーションで人の話を聞くことをしてきたと自任していたが、そのどれとも違う不思議な聞く体験だった。
まず、対等の立場である、という原則がおかれていること、これが面白かった。話し手と聞き手という役割はあるものの、それがどちらかのためのものではないという前提で入ることで、より中立的に、プレッシャーなく話をしてもらうことができたように思う。
聞き手も、特段、何かをしなければならないという目的を持たずに聞くことができるので、自分たちの思うままの質問ができるし、それが話し手にとって、純粋に興味関心を持ってもらえているという実感につながったのではないかと思う。
コーチングの現場などでは、どうしてもコーチ役が上の立場になってしまい、また裏側でいろいろな意図に基づいた質問をせざるを得ない。だから悪いわけではないものの、そうした制約を取り払った質問や感想を率直に言える場の意味は非常に大きいと思われた。
聞き手が複数いることの意味は大きい。相槌やうなずき一つとっても、1対1で行われるものと複数いて行われるものとでは意味合いが異なる。すなわち、話し手の発言に対して、一人だけが相槌をすれば、それはその人から話し手に対する賛同の強い表明であり、もう一人に対する更なる発言の促しともなる。2人が相槌をすれば、それはその場における全員の了解となり、深い一体感を伴う話の承認となる。
3人における相槌だけでこのような違いが生じるのだから、返答の仕方やそれに対する残った聞き手の反応などで、場の空気が変わり、流れていく。その空気感は1対1での会話では生まれないものだと思われるし、人はそうした空気感から、「聞いてもらっている」という実感を得ているのだということが伝わってきた。
そして、なにより印象的だったのがリフレクティングだ。先ほども紹介したように、話し手の聞こえるように話し手について語る。これは、話し手にとっては自分のことを他人が真剣に考えてくれているという体験であり、また聞き手たちにとっても話し手を共有することができる時間であり、貴重なものだった。淡々と会話をしているだけだが、聞き手に対する愛情を共有することができているという実感が、じんわりと会話の中から浮かび上がってくる。これこそはほかの対話手法でなかなか行う機会がないだけに、貴重であり、面白いものだった。
自らの仕事と比較して思うところ
さて、そんなわけで日頃えられない体感を得ることができ、実りが多い時間を過ごすことができた。
翻って、自らの仕事の中で気を付けていたところと同じ価値観を感じられたので、そこについても共有しておきたい。
親の雑誌という自分史作成サービスは、2名のスタッフがお一人を訪問することを原則としている。1対1よりも2名でお話を聞く方が、雄弁に語れるということを経験的に感じていた。それが対話療法においても同様の効果が実感できるという点は新鮮な驚きでもあり、得心できるものだった。また、家族に同席いただくことも多い。これもまた、場を温かくし、よいものとすることの助けとなっていることも改めて確認できた。
また、立場を対等にすべく、聞き手である私たちが「偉く」ならないように細心の注意をはらってきた。例えば服装なども、過度にフォーマルにならないように話しやすい服装などを研究してきたし、商品の紹介の仕方でもそうしたことに気を付けている。そうした価値観も一致していると思われた。
そして何より、「オープンに」話を聞くこと。これは開かれた質問ーー5W1Hで聞くという意味ーーでもあるが、話し手が話したいことを言えば、それに耳を傾け、話題や方向を聞き手が決めない、ということだ。私たちも自分史作成をサービスにしつつも、必ずしも聞くことを事前に決めたり、すべての項目を機械的に埋めていくことがないようにしている。それが結果としてご本人の人生の中で最も実り多い部分を雄弁に語っていただける手法であると思っていた。
その点においても共通点が見いだせたことは、非常に心強いものであった。
また、こうした観点は、実は親の雑誌だけではなく、企業向けのインタビューソリューションにおいてもまったく同様に効果的だということも確認できた。
人が人と話をする際に求めるものが何か。そしてそれを明示的に枠組みを作り、設計することの重要さと奥深さを改めて認識させられた次第である。
神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/