どこまで自分の感情を優先していいのか。

 僕は今まで20年弱生きてきて、どこまで自分の感情で動いていいのかよくわかっていない。人からの評価をずっと気にして生きてきたから、自分の感情<人から評価される行動が動機になっていた。客観的にみて間違っていると言われないような行動を心がけてきた。しかし、最近になってこれができなくなってきた。簡単に言えばワガママになってきたのだろう。客観的に見れば我慢したほうが物事が良い方向に進むだろう、という行動を取らずに、自分の腹が立てば衝動的に動き、承認欲求が出てくればそれに基づいた行動を取ってしまう。それが周りから鬱陶しがられてるのはないかと思いながら。

 今まで自分の感情で動いたことが少なかったため、僕の人格が尊重されどこまで感情に赴くまま動いていいのか匙加減がよくわからない。かと言って今まで通り周りからの評価を気にして自分の感情を殺し行動するのもだいぶしんどくなっている。

 今までは評価を気にしながら生きていた時は破滅的な行動をとる人をみて、「なんであんなにアホなことをしているのだろう。理性で抑えられないのかな」と思っていたのだが、今となっては痛いほど気持ちがわかってしまう。そうしないと自分の精神が死んでしまう。そして自分という人間の個性が消えてしまうのだ。これが進めば進むほど自分の好きなことがわからなくなり、「なぜ生きているのだろう」「他人に合わせる人生は僕の人生なのだろうか」と漠然的な疑問に繋がってしまったり、自分の人格に一貫性など無いのだと思ったり好きなことや嫌いなことが本当の自分の感情なのかわからなくなってくる。

 これはどうすることが正解なのだろうか。どこまで自分を優先し、どこまで妥協するべきなのか。そのバランスを調整することを今までしてこなかったばかりに、このような壁が立ちはだかった時動けなくなってしまう。

 また自分の意見を主張せず、相手に合わせて築く人間関係はとても浅ましいものになってしまう。味のしないガムを噛んでいるようなものだ。今相手が話している相手は僕ではなく、僕が作り上げた当たり障りのない言葉を発する機械のようなものだ。これは果たして僕なのだろうか。
「人に否定されたくない」という点には一貫性があると言えるだろう。しかしその考えのせいで「否定される」というのが怖くなり思ってもないことを言ってしまったりする自分は果たして自分なのだろうか。「否定されたくない」という感情は僕のものだが、その状態で他人と関わると上部だけの人間関係になるだろう。

 うまいこと妥協し自分の人格が死なない程度に自分の意思を尊重する。というのが大人なのだろう。こんなに難しいことを上手に処理できる人がとても、とても羨ましい。

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