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蓮ノ空(リンクラ)15話初見感想
ふせったーで上げたものです。
まず、「ラブライブ!(大会名)はスクールアイドルが目指す憧れの場」というのは1つの側面である、と考えてみますと…
何千もの学校がひしめき合って優勝が決まるという物語の後ろには、何千校もの負けた学校がある、ということになります。
それら全てに何らかのストーリー(その人たちごとの活動記録)があり、負けようが勝とうが、リアルタイムの時の流れは続いていく。
どれだけこの一瞬が永遠になればいいのにと祈っても、次の一瞬には過去に。思い出になるのです。
個人的に、蓮ノ空のストーリーは関係性と行動と選択に重きが置かれていると感じています。
そこに、想いの強度が加わったのが今回です。
本来、スクールアイドルをやる理由と、続ける動機と、誰かと競技的に競うというのは、全然繋がっていません。
なぜなら、競わなくていいからです。
誰かに、何らかの基準で比べられて優劣をつけられることは、他者からの評価をつけられる行為だからです。
だから、沙知先輩からの試練で「スクールアイドルをやる理由」を見つけた後に、勝ちたい理由はなんですか、と想いの強度を高める必要があったのです。
撫子祭での花帆ちゃんの「あたしたち、本気だよ!」を思い出しています。
あの時点での本気はあれで上限だったのです。先輩たちの半年に渡るすれ違いが解消し、新しい世界が広がったのですから。
6人が揃って、完全体の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブになって、じゃあ次は。
梢センパイの夢を叶えよう。
そのとおりであり、そのままでは、足りなかったのです。
それが、15話で語られた決勝のお話ではないでしょうか。
はっきり言って、この子達が優勝できないならどんなやつが優勝するんだ、と思います。くやしいです。
思うなりに、「きっとものすごい気迫のチームがいたんだな」とも感じました。
誰かの夢を叶えるために行くだけでなく、あなたと私の夢を叶えるために。
これは、そんなストーリーです。
さて、15話では、大会決勝で敗れた蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブのうちスリーズブーケの2人が、4人のもとを巡って、気もちを聞いていきます。
めぐ先輩と楽しいことがしたい、とスクールアイドルをする理由をあげた瑠璃乃ちゃんと、勝ったほうがもっと楽しいから!というめぐ先輩。さすが約束の舞踏会の女はパワフルです。私にも報知のアクスタください。めぐ先輩はたしかに面倒くさいところのある重い素敵な女の子ですが、キレ散らかしたら自分で飲み込める人なんですよね。見習いたいです。
楽しいが1番!みらくらぱーく!
元々競技者である村野は、おそらく血の滲むような努力で姉にはあって自分にはないセンスというものを(または表現力というものを)会得しようとしてきました。(それでも上手くいっていなかったのですが…)
綴理先輩が「良く分からない基準で評価されてきた」のとは正反対です。2人の練習の成果を出したい、という言葉は、「練習したことがやれれば勝てる」の裏返しです。
綴理先輩は、元々は勝ち負けに(おそらく瑠璃乃ちゃんよりも)縁遠いところにいました。なんだかわからないけど、選ばれ続けてしまった夕霧綴理が自分で選んだのが、皆で楽しむスクールアイドルだったからです。
TakeItOverで「戦う理由をなぞ」りはじめたのはようやく秋から、「ボクとさやのこれまでとこれから」を歌い出したところから。
優勝、というのは、綴理先輩にとっては梢センパイの夢だったのです。それが、「蓮ノ空さいきょー」であることを広めたいと思うようになった。
誰かに伝えたい事が出来たのです。
村野と綴理先輩は、蓮ノ空でなければ、お互いがいなければ、DOLLCHESTRAでなければたどり着く事が出来ないところに到達したのです。(だから村野は喜ぶと思うよ、綴理先輩。)
スリーズブーケ。
個人的に、綴理先輩にとっての理想のスクールアイドルは梢センパイだと思っています。
小さい頃から憧れて、憧れのスクールアイドルと同じ景色を見てみたくて。努力の積み重ねは取捨選択の連続だったはずです。年相応の楽しみとか、そういうのとか。
でも夢って、すごくパワーがあるじゃないですか。頑張れてしまうじゃないですか。
手を伸ばす道の先に、去年の出場辞退があって、そうやって守ったスクールアイドルクラブで、今度こそと指をかけた優勝の二文字。
スクールアイドルには、3年間の3回のチャンスしかない。
2年生の梢センパイには、もうあと1回しかない。
そりゃあ悔しくて当たり前だよ、と。
そりゃあ泣いてしまうよ。
でも、梢センパイは誰に想いを託すのがきっとすこしまだ怖かったし、こんな重い想いを持たせていいのかと感じていたのではないでしょうか。
お互いに背負うというのは、対等…というより、背中を預けられる存在になることだと思います。蓮ノ大三角のように、お互いの違いを強みだと思えるような。
名前の呼び方が変わるのは、関係性が変わるとき。
「花帆」
誰にも負けない強い想いで、
君たちだけの道を走り出せ。