施術じゃなくてもいいハナシ
僕は鍼灸師の資格があって、普段の現場で鍼をよく使う。
そんでもって、この業界の資格と言えるものは鍼灸以外にはない。
とはいっても特別困っているとは感じないし、この先も何か資格を取ろうとは思っていない。
(もちろん勉強は続けるけど)
整体院に来られるお客さんは基本的に「この動作の時に痛みを感じる」ということを言う人が多い。
もちろんそれを鍼でどうにかできることもあるけれど「別に鍼しなくて運動指導というか動きの指摘をしてあげたらよくね?」と思うことはたくさんある。
そして実際にそういったことを指導することは多い。
その結果として痛みがめちゃめちゃ減ることは珍しくないし、変化が出るまでの時間も、いわゆる施術に比べると早い印象だ。
そうなってくると「施術じゃなくてもよくね?」とその場合はなってくる。
だから大切なのは、どんな資格を取ったところで、どんな手技セミナーを受けたところで「別にほかでもよくね?」という視点を持っておくことだ。
そこがないと、自分の学んだことを崇拝しすぎて、確証バイアスに引っ張られまくって、壺を買って壺を売る人になる。
僕は鍼灸師なので鍼を使うけど、鍼の資格がなくなってもそれなりにやっていけるとは思っている。というか、鍼を使わない日もあるっちゃある。
またお客さんの中にもいろいろなことをしてくれて、今の私にとっての最適解を見つけてくれるということが好きな人も少なくないと思う。
とはいっても、この方法じゃないと求めている刺激が入れられない!という場合もあると思う。それはそれで状況に応じて選択したらいい。
だから結局ところいつものように、ちゃんと抽象度の上げ下げができて、共通項を洗い出せたらいいだけの話になる。
それができたら、基本的にどんな状況であってもどんな分野であっても困ることは少ないだろう。
みんなはどうだろうか?
僕の資格は〇〇だから□□を使う!
〇〇を勉強したらかこれを活用する!
といった偏ったというか、答えありきの選択になっていないだろうか?
もちろん選択した結果として、そうなるのであれば問題はないけれど、選択もなくて「っぽさ」や「これってこうだから」みたいな感覚で、仕事をしていると、いざという時に選択する力がなくて、困るかもしれない。
最近いろいろなところで言っているけど、判断して選ぶ力って持っているようで持っていなくて、でもそれに気がついていないから流されて、でも気がついていないからそれはそれで幸せで、、、
というカオス状態になりがち。
ぼーっとしている暇はないね。