必要条件十分条件
正方形は四角形か?
→はい、そうです。
四角形は正方形か?
→そうとは限りません。
この例を出されたら、偏差値40程度あれば流石にわかることだと思うし、日常生活に置き換えたらたぶん幼稚園児でもわかる。
りんごは果物か?
→はい。そうです。
果物はりんごか?
→そうとは限りません。
といった形だ。
では、本題。
痛い時は筋肉が硬いか?
→そうとは限りません。
筋肉が硬いと痛いか?
→そうとは限りません。
これに関しても言われてみたら「そらそうだ」となるだろう。
そう、これはもう必要条件・十分条件で言い切れるものではないことが多い。
痛みに関しては「そうとは限らない」といった曖昧で幅のある表現にならざるを得ないことがほとんどだ。
ただコレに対して
「硬さを取ったら痛みが消えた」といった意見が飛んでくることがある。
それも同じで
硬さを取ったら痛みが消えたか?
→はい、そうです。
痛みが消えた時硬さもなくなっているか?
→そうとは限りません。
でしかない。
この高校時代に数学でやった逆・裏・対偶の視点があれば「いわゆる原因」と「結果」がリンクするかどうかは"わからない"といったことになる。
しかし一方向性からしか現実や物事を見ないと、都合のいい条件を採用して「原因」を作り出す。
別に硬さを取らなくても痛みが消えたかもしれないじゃん?
といった意見や視点を持つことができないということだ。
ただ多くの現場で、硬さを取ったら痛みが消えることが多いから、とりあえず硬さを取ることをやってみよう!といった選択をしているだけだ。
ここで重要なのはこういった背景や考えありきで、硬さを取るためのアプローチをすることと、何も考えることなく硬さを取ることをしているのとは全く持って質が違う。
慢性的な痛みに対して我々のやることはあくまで確率論であって「多分こうなると思うんだけどな」でしかない。その緩さというか曖昧さを受け入れることができない人は「断定」したがるし、してくれる人を好むだろう。
しかしそもそもの前提がそこなので、残念ながら受け入れるしかない。
よく「現場で困ってはいない」ということを聞く。
この困っていないというのも、症状が良くなっているから困っていない場合もあれば、売上があるから困っていない場合もある。しかし何が起こっているからわかっているから困っていないという意見はおそらくないだろう。
それくらい曖昧でややこしく抽象的な理解になってしまうのだと思っている。
具体的な答えはない!という答えを受け入れられるようになれるといい。