応援〜そのエネルギーは一体どこへ①
「応援」をかめこ流に陰陽+αで解読しました。きっと応援したくなります。
⚫︎私なんかが応援しに行ったって、別にねぇ。
表題と真逆の写真であります。かめこは広島から遠く離れた地に住まう広島東洋カープのファンでありまして、今年ようやく念願のズムスタに行くことができました。交通費をかけてでもぜひ行かねば!と思い至ったのには全くもって個人的な欲望もあったから。
贔屓の球団があるにも関わらず私は現地に出向いて応援するということが好きではなかったのです。ネットやテレビで見ていれば十分で、「よし!勝った。首位キープ」とほくそ笑むことを日課としていたのです。
現地応援の醍醐味とは
1 :周りとの一体感を味わえる→(か)知らん人と一体感とか面倒くさい
2:プロの技を目の当たりにできる→(か)テレビはスローモーションで何度もやってくれる
3:屋外の開放感がいい→(か)ズムスタ、甲子園、ZOZOマリンなどはともかく東京、名古屋、福岡はドーム室内だぞ。
で、究極行くの面倒くさい。
ってかめこはん、あんたほんまにカープファンね?
と言われそうなぐうたらファンなのであります。こんな私が応援に行くより熱血ファンが駆けつけた方がスタジアムで席周囲も盛り上がるし出る幕ないっしょというのが正直なところでした。
⚫︎脳の仕組みを学んでみて、変わった応援への考え方
私は認知科学や神経言語プログラミング等にも興味があり、いろいろ本を読み漁り学んできました。そんな中でおもしろかったのが
「脳は主語がわからない」
という記述でした。脳といっても人が年中意識できている部分(顕在意識)ではなく、無意識(潜在意識)での話でした。簡単にいうともし私が日常会話で「アイツはバカだ。」と度々言っていたとします。言葉を発している私がバカと指し示しているのは「アイツ」ですが脳(潜在意識)はアイツよりもバカという感情的で意味合いの強い言葉が残りやすくなり、無意識下に落ちやすいと知りました。
詳細は割愛しますが、私が発した「バカ」は主語が欠落して否定的イメージと共に無意識下に残り、無意識が判断の基準を持たないために単純に私とバカをを結びつけてしまう誤作動をおこすという好ましくないことをしでかすというのです。
ダメな奴だ…
役にたたないな…
もうおしまいだな…
主語が欠落した挙句、脳は極力労力は避ける傾向にあるので簡単に誤作動して「私、ダメな奴」をやらかすのです。こわ〜。いろいろ自分にとって望ましくない選択をしやすくなってしまうのかも…
でも、ご心配なく!
良いイメージを持つ言葉は否定的イメージの言葉よりも残存に力が必要なようですが、ちゃんと無意識下に辿り着くとも学びました。何回も何回も発して、無意識下に言葉とイメージを送り込めば良いのだと知りました。
なら良い言葉をじゃかじゃか発して送り込めば人生が好転したり、ラッキーになったり生きやすくなったりするのか?
良い結果につながるチョイスをしていけるようになるのでは?
あの人は美しい…
無意識下に落ちた言葉は美しいのが誰なのか判断しません。なので勝手に美しいを自分自身と結びつけてくれて、私は美しいが無意識に溜まってくると、仕草に優雅さが出てきたりして何だか美しくなって見えたりするというのですから、やってみたらいいと思ったのです。
お気づきとは思いますが、これは「イメージトレーニング」に通じているものです。
で、海かめこはこれを実際に試してみました。
そこで確信を得て、声を出して応援することの驚くべきパワーを体感しました。
何をしたのか?
2に続きます。