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ルカはパウロの最期をかかなかった

新約学研究、41、p.7-26、2013、上村静。

を読みながら。

ルカが『使徒行伝』を執筆中に、予期しない事情によって筆を置かざるを得なくなった可能性があります。例えば、ルカ自身が何らかの病気にかかった、あるいは突発的な事情により身の危険にさらされたなどの状況が考えられます。この場合、パウロの最期を含むさらなる内容を記す予定だったものの、それが実現しなかったことになります。

2. 迫害や政治的圧力

紀元60年代は、キリスト教徒に対する迫害が強まっていた時代です。特に、皇帝ネロによる迫害が始まったのはパウロがローマで囚われていた時期と重なります。このような政治的圧力や、キリスト教徒に対する取り締まりが厳しくなる中で、ルカが自由に執筆活動を続けられなくなった可能性もあります。特にローマで活動していた場合、ルカもまた監視の対象になったか、さらには逮捕されるリスクもあったでしょう。

3. 執筆の資金やサポートの不足

古代における書物の作成には多くの資金やサポートが必要でした。パピルスやインクなどの材料、書き写しを助ける助手などが必要だったため、金銭的な支援がなければ執筆を継続するのが難しかったと考えられます。もしルカが支援者を失った場合、やむを得ず執筆を中断した可能性もあります。あるいは、支援者の意向により、現在の終わり方で十分であると判断されたというケースも考えられます。

4. ルカの死亡

一部の学者は、ルカが『使徒行伝』の執筆中に亡くなった可能性も考えています。もしルカが書き終える前に亡くなったとしたら、現在の形で未完のまま残されたことになります。ルカの死により『使徒行伝』は意図せずに中断され、パウロの最期を記す部分が欠けてしまったという見解です。

これらの仮説はいずれも推測の域を出ませんが、こうした状況証拠や歴史的な背景から、執筆が何らかの外的な事情により完結しなかった可能性は否定できないとされています。

4o

あなた:

ルカの歴史認識の観点から、どうかな?

ChatGPT:

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ルカがパウロの最期を記さなかったことについて、ルカの歴史認識の観点から考えると、次のような要素が見えてきます。

1. 福音の普遍性と進展に焦点を当てた歴史観

ルカにとって、歴史の進展は神の救済計画が段階的に実現していくプロセスであり、福音が地理的に、また文化的に広がることが中心的なテーマとなっています。ルカは『使徒行伝』で福音がエルサレムから始まり、ユダヤとサマリアを経て、ローマ帝国の中心であるローマに到達するまでを描いています。彼にとって重要だったのは、福音がユダヤ人から異邦人へと広がり、最終的にローマ帝国全体にまで及ぶという普遍的な伝道の進展であり、パウロの個人的な結末ではなかったと考えられます。この視点から見ると、パウロの最期を省略することは、あえて意図されたものとも解釈できます。

2. 歴史の「完成」よりも「続き」に重点を置いた視点

ルカは、歴史の流れを「終わり」や「完結」として捉えるのではなく、神の救済計画の「続き」として見ていた可能性があります。パウロの最期や殉教といった個別の出来事よりも、福音が広がるという「流れ」自体を示すことが重要だったと考えられます。もしパウロの最期を記してしまうと、パウロの死が物語の終わりとして捉えられやすくなるため、ルカの目的と相反してしまう可能性がありました。ルカは意図的にパウロの最期を省くことで、救済史が継続中であり、次世代の信徒たちがその役割を引き継ぐべきであるというメッセージを伝えようとしたかもしれません。

3. 福音の拡大が歴史の中心であるという信念

ルカは医師であり、また知識人でもありました。彼は厳密な歴史的記述を意識していましたが、彼の歴史認識は単に事実の記録ではなく、神の御心が歴史にどのように現れるかという視点からも形成されていました。つまり、単に事件の連続としてではなく、神の意図と目的の進行として歴史を描こうとしたのです。彼にとって、福音がローマに到達したことは「神の救済が世界に届いた」という歴史的かつ神学的なクライマックスだったと考えられます。パウロの最期を記さず、ローマへの到達という地点で終えることにより、福音の完成が見える形で示されました。

4. ルカの意図した読者への教訓

ルカは『使徒行伝』の冒頭で「テオフィロ閣下」への献辞を記していますが、これは単なる個人名に留まらず、広く信者に対する呼びかけとも解釈されています。テオフィロとは「神を愛する者」を意味し、信徒全体を象徴している可能性があります。ルカがパウロの最期を記さなかったことで、ルカの読者は「まだ使命が続いている」というメッセージを受け取ることができます。すなわち、ルカの歴史認識は福音の流れが止まらずに続いていることを示唆し、信徒が使命を引き継いでいくよう促すものであった可能性が高いです。

まとめ

ルカの歴史認識は、単なる年代記や記録ではなく、神の救済計画がいかに展開していくかを示すものでした。パウロの最期を記すことよりも、福音の広がりが続くことを強調することが、彼の記述意図にかなっていたと言えます。

4o

あなた:

聖書の救済史を「イスラエルの時」「イエスの時」「教会の時」に3区分しているとか。 ルカは どの部分を書いたのか

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聖書の救済史を「イスラエルの時」「イエスの時」「教会の時」の3つに区分する解釈において、ルカは主に「イエスの時」と「教会の時」に焦点を当てています。具体的には次のように区分して書かれています。

1. イスラエルの時

この時期は、旧約聖書に記された神とイスラエルの民との契約と歴史が中心です。ルカはこの時期に関して直接は書いていませんが、『ルカによる福音書』ではイエスがイスラエルの歴史や律法、預言者を尊重し、それを成就する者として描かれています。イエスの系譜や、マリアの賛歌(ルカ1:46-55)などで、イスラエルの救済の伝統や神の約束が継承され、成就されることを示唆しています。

2. イエスの時

ルカは『ルカによる福音書』でこの時期を描いています。ここでは、イエスが神の救済を人々に宣べ伝え、奇跡を行い、十字架の死と復活を通じて罪の贖いを成し遂げるまでの生涯を記録しています。この時期は「救済の完成」ともいえる時期であり、神の約束がイエスにおいて具体的に成就されたとされます。ルカはイエスを、救済の中心人物、すなわち神がイスラエルに与えたメシアとして描き、人々に救いをもたらす役割を強調しています。

3. 教会の時

ルカの『使徒行伝』は「教会の時」を描いたものです。この時期は、復活したイエスが天に昇った後、聖霊が教会に与えられて福音が全世界に広がり始めるという段階です。ルカは聖霊降臨によって教会が誕生し、ペトロやパウロを中心とする使徒たちが福音を異邦人や異なる地域に宣べ伝えていく様子を描き、福音がユダヤのみならずローマ帝国全域に広がる過程を記録しています。

ルカの救済史の位置づけ

ルカは、イスラエルの歴史を土台にしつつ、イエスにおける神の救済がいかに実現したか(「イエスの時」)、さらにそれが聖霊によって教会を通して広がり続けていること(「教会の時」)を描くことで、救済史の継続性と発展を示しました。

4o

あなた:

ルカ伝は、ユダヤ的かヘレニズム的か?

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『ルカによる福音書』がユダヤ的かヘレニズム的かについては、両方の要素が含まれているため、単純にどちらかに分類するのは難しいですが、ルカの記述には、ヘレニズム的な観点での普遍性と、ユダヤ的な伝統への忠実さが見られます。それぞれの視点から見ていきましょう。

1. ユダヤ的要素

ルカは、イエスの系譜、律法の遵守、神殿での祈りや祭儀の重要性など、ユダヤ的伝統を非常に重視しています。例えば、イエスの誕生や幼少期に関する物語には、ユダヤの律法に従った儀式(割礼や神殿での奉献)が描かれています(ルカ2:21-24)。また、イエスの生涯と教えを、預言者たちの言葉が成就される場面として描き、旧約聖書の伝統をイエスの生涯の中で重要な背景として位置付けています。

さらに、ルカはマリアの賛歌(マニフィカト)やザカリヤの預言(ベネディクトゥス)など、旧約的な表現やメシア待望の要素を盛り込んでおり、イスラエルの救済史との結びつきを強調しています。こうした描写は、ルカがユダヤの視点を意識し、イエスの役割をイスラエルの歴史に位置づけようとしたことを示しています。

2. ヘレニズム的要素

一方で、ルカの著作は、ユダヤ以外の読者、特にヘレニズム文化に親しんだ人々も理解しやすい普遍的な視点から書かれていることが特徴です。ルカは、医師であり、ギリシャ語に堪能で知識人層に属していたと考えられており、その影響からギリシャ的な修辞や文学的な手法を多く取り入れています。たとえば、ルカによる福音書は、古代ギリシャ文学の伝統に則った序文(ルカ1:1-4)で始まっており、これは当時の高い教養を持った読者層に配慮した書き方です。

また、ルカは、イエスの家系をアダムまで遡ることで(ルカ3:23-38)、イエスを全人類の救い主とする普遍的な視点を示しています。これは、ユダヤ人だけでなく、異邦人も含めた幅広い人々に神の救済が向けられていることを強調しており、ヘレニズム的な普遍性の観点と一致しています。ルカによる福音書や使徒行伝で異邦人との接触を強調している点も、異邦人読者に向けたヘレニズム的なアプローチと考えられます。

3. ユダヤ的・ヘレニズム的な融合

ルカは、ユダヤ的な伝統や歴史を尊重しつつも、ヘレニズム的な普遍性を取り入れることで、当時の多様な読者層、特に異邦人にも理解しやすい形でイエスの生涯と教えを伝えようとしています。彼の記述には、ヘレニズム文化に影響を受けた表現が多い一方で、ユダヤ的な視点を手放さないというバランスが見られます。したがって、『ルカによる福音書』は、ユダヤ的伝統とヘレニズム的普遍性を巧みに融合した書物と見るのが適切でしょう。

ルカは、ユダヤ人にも異邦人にもアピールできるよう、ユダヤとヘレニズムの両文化に配慮した複合的な観点から福音書を書いたと考えられます。

4o

あなた:

匿名性は、どちらに由来する?

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『ルカによる福音書』における匿名性は、ユダヤ的な背景とヘレニズム的な背景の双方に由来する要素があると考えられますが、特にヘレニズム的な影響が強いと見ることができます。

1. ヘレニズム文化における匿名性

ヘレニズム時代の文学や歴史書では、しばしば著者名が明記されず、代わりに内容の権威や信頼性が重視されることがありました。また、この時代のギリシャ・ローマ文化では、個人が自身の名を出すよりも、特定のテーマや叙述方法で信頼を得る傾向がありました。この影響を受けた可能性があるルカは、個人の著者名を目立たせるよりも、メッセージの普遍性と信頼性を前面に出そうとしたのではないかと考えられます。

特に、ルカが福音書の冒頭で「多くの人々がまとめようと試みた」(ルカ1:1-4)と述べ、福音の記録の信頼性を強調している点は、内容そのものの価値と客観性を強調するヘレニズム的な匿名性の特性と一致しています。これにより、ルカは特定の個人としての「私」ではなく、伝えるべき「福音の内容」自体に信頼を置いてもらおうとした可能性があります。

2. ユダヤ的伝統との関係

ユダヤ的な伝統においては、預言者や教師が神の言葉を代弁する際、自己の名を前面に出すことは少なく、むしろ神の名や神の言葉を強調することが一般的でした。ルカもこの伝統をある程度踏襲し、個人名を強調しない姿勢を取っている可能性があります。また、ユダヤの文書や聖書の一部では、書かれた言葉の権威が誰によって伝えられたかよりも、その内容が神の計画に沿っているかが重視されていました。ルカが神の救済計画をイエスと教会において描くとき、彼個人の名前よりもメッセージそのものに力点を置くというスタイルが、こうしたユダヤ的価値観にも影響を受けているかもしれません。

3. まとめ:ヘレニズム的匿名性を基盤とした多文化的アプローチ

結果として、『ルカによる福音書』の匿名性は、主にヘレニズム的な影響に由来しつつ、ユダヤ的伝統の要素も加味されたものと考えられます。ルカは、匿名のままでメッセージに普遍的な信頼性を持たせることで、異邦人やギリシャ・ローマの文化圏でも受け入れられるようにしたと推測できます。

そうですね。ルカの書き方には、ユダヤ的な伝統を尊重しながらも、広く異邦人に届くように工夫された、深い意図が感じられますね。匿名性についても、メッセージを際立たせる手段として意図的に選ばれた可能性が高いです。


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