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叫び
怖そうなイラストかな
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本日の説教題は「叫び」でした.
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Q: 大声で叫ぶ のは?
A: 「大声で叫ぶ」はギリシャ語で κραυγάζω(kraugazō)または βοάω(boáō)と表現されます。この二つの動詞は、大きな声で叫ぶこと、特に強い感情や緊急の状況において叫ぶことを表しています。
κραυγάζω(kraugazō): これは「大声で叫ぶ、叫び声を上げる」という意味があり、特に激しい叫びを表現する際に使われます。
βοάω(boáō): こちらも「叫ぶ、大声で呼ぶ」という意味で、何かを求めているときや注意を引くために大声を出す場合に使われます。
例えば、新約聖書の中で「大声で叫んだ」として ἐβόησεν(eboēsen)が使われる場面もあり、感情を伴う強い叫びの表現として使われます。
Q: この3つの違いをまとめて.
A: ギリシャ語で「叫ぶ」ことを表す以下の3つの動詞の違いをまとめます。
κράζω(krazō)
意味:「叫ぶ」「声を上げる」
特徴:強い感情から声を上げる一般的な「叫ぶ」を表現。特に驚きや恐怖、嘆願など、瞬間的な感情の発露を表す際に使用される。
κραυγάζω(kraugazō)
意味:「大声で叫ぶ」「叫び声を上げる」
特徴:より強調された「激しい叫び」を表す。声の大きさや勢いが重視され、恐怖や怒りなど、特に強烈な感情の叫びとして使われることが多い。
βοάω(boáō)
意味:「叫ぶ」「大声で呼ぶ」
特徴:注意を引くためや何かを求めて叫ぶ場合に使用される。助けを求めたり、他者の関心を引くための叫びを表現する動詞。
これらの動詞はそれぞれ異なるニュアンスを持っており、叫ぶ内容や状況に応じて使い分けられます。「κράζω」は感情の発露を一般的に表し、「κραυγάζω」は特に激しい叫びを、「βοάω」は助けや関心を求めるための叫びを表現します。
Q: ほかにないかな?
A: ギリシャ語で「叫ぶ」ことを表現する動詞には、他にもいくつかの選択肢があります。以下に代表的なものを挙げ、それぞれのニュアンスや使用場面を解説します。
ἀναβοάω(anaboáō)
意味:「叫び上げる」「大声を上げる」
特徴:強調された「叫ぶ」を表し、特に驚きや歓声を伴うような状況で使われます。「ἀνα-」という接頭辞が「上に」「さらに」を意味するため、叫びの強さや勢いがさらに増しているニュアンスを含んでいます。
φωνέω(phōnéō)
意味:「呼ぶ」「声を出す」
特徴:必ずしも叫び声ではなく、「話しかける」「呼びかける」など幅広い意味を持ちますが、大きな声で呼びかける際にも使われます。例えば、遠くにいる人に対して注意を引くために「声を出す」というニュアンスで使用されることがあります。
κελεύω(keleúō)
意味:「命令する」「指示を出す」
特徴:これは「叫ぶ」というよりも、強い声で指示や命令を出すことを意味します。軍事的な場面や命令口調の呼びかけで用いられ、権威を持った言葉を大声で発する際に使われます。
ἀλαλάζω(alalázō)
意味:「歓声を上げる」「勝利の叫びをする」
特徴:特に戦いでの勝利を祝う歓声や戦士たちの叫びに関連しています。戦闘での士気を高めるための叫びや、集団での高揚感を表す場面に使われます。
θορυβέω(thorybéō)
意味:「騒ぐ」「喚き立てる」
特徴:個人の叫びというよりは、集団が大声で騒ぎ立てる、あるいは混乱や喧噪を引き起こす意味で使われます。単に叫ぶだけでなく、騒がしい状況や大勢が声を上げる場面を示します。
これらの動詞は、それぞれ「叫ぶ」行為に異なるニュアンスや強調を持たせており、文脈に応じて豊かな表現が可能です。
Q: κράζω(krazō),κραυγάζω(kraugazō)の用例をリストアップして.
A: 以下は「κράζω(krazō)」と「κραυγάζω(kraugazō)」の用例のリストです。新約聖書や他の古典文学の文脈で使われる場面を含め、代表的な用例を示します。
κράζω(krazō)の用例
マタイの福音書 9:27
「そして、イエスがそこを去られると、二人の盲人が『ダビデの子よ、私たちを憐れんでください』と叫びながら(κράζοντες)ついてきた。」
マルコの福音書 10:47
「盲人バルティマイは、イエスが通りかかるのを知ると、叫び(ἔκραξεν)始め、『ダビデの子よ、私を憐れんでください!』と言った。」
ルカの福音書 18:38
「彼は叫び(ἔκραζεν)、『ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください!』と言った。」
ヨハネの福音書 7:28
「イエスは神殿で教えながら叫び(ἐκράξεν)、『あなたがたは私を知り、また私がどこから来たかを知っていると思っている。しかし、私は自分で来たのではありません。』と言われた。」
使徒行伝 19:28
「この話を聞いた彼らは怒りに満ち、大声で『エフェソスのアルテミスは偉大だ!』と叫び始めた(κράζοντες)。」
κραυγάζω(kraugazō)の用例
エウリピデス『ヘカベ』(Hecuba)563
「そして、彼女は息子の死を悲しみ、持てる力の限りで大声で叫んだ(κραυγάζει)。」
エウリピデス『アウリスのイフィゲニア』(Iphigenia in Aulis)1384
「戦士たちは戦いの高揚に満ち、互いに呼びかけ合いながら大声で叫び合った(κραυγάζοντες)。」
アリストパネス『アカルナイの人々』(The Acharnians)855
「彼は大声で叫び(ἐκραύγασε)、敵に対して怒りをあらわにした。」
プラトン『法律』(Laws)933e
「集会の中で、彼は正義を訴え、理不尽さを激しく非難しながら大声で叫んだ(κραυγάζων)。」
ソポクレス『オイディプス王』(Oedipus Rex)1297
「オイディプスは運命を呪い、真実を知ってしまったことで絶望しながら叫んだ(ἐκραύγασε)。」
用例のまとめ
κράζω(krazō):個人が特定の状況で、強い感情に突き動かされて瞬間的に叫ぶ場面でよく使われる。新約聖書では、特に嘆願や驚きの叫びに頻出。
κραυγάζω(kraugazō):さらに強調された大声での叫びや、戦いなどで士気を高める集団の叫びに用いられる。悲しみや怒りの訴えなど、劇的なシーンでよく見られる。
これらの用例から、両動詞のニュアンスの違いと、文脈による適切な使い分けが見て取れます。
Q: 旧約にはないかな?
A: 「κράζω(krazō)」と「κραυγάζω(kraugazō)」は、旧約聖書のギリシャ語訳である七十人訳聖書(Septuagint, LXX)でも使用されています。以下は旧約聖書におけるそれぞれの用例です。
κράζω(krazō)の用例(旧約聖書・七十人訳)
出エジプト記 14:10
「パロが近づいたとき、イスラエルの子らは目を上げ、エジプト人が追い迫っているのを見て、非常に恐れて主に叫び(ἔκραξαν)求めた。」
この場面では、イスラエルの人々がエジプト軍の脅威に恐怖を感じ、神に助けを求めて叫んでいます。
詩篇 22:2(七十人訳の詩篇 21:2)
「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか? 私は昼に叫び(κράζω)、あなたは応えてくださらない。」
ダビデが神に向かって嘆き叫ぶ祈りの場面で、「κράζω」が使用されています。
士師記 6:7
「イスラエルの子らがミディアンの手によって圧迫され、主に叫び(ἔκραξαν)求めた。」
士師記では、イスラエルが敵による圧迫に苦しみ、神に救いを求めて叫ぶ場面で使われています。
κραυγάζω(kraugazō)の用例(旧約聖書・七十人訳)
「κραυγάζω」は七十人訳聖書ではあまり使われておらず、特定の劇的な叫びや集団での叫びには別の表現が多く使われていますが、いくつかの例では類似の表現が見られます。
エレミヤ書 4:5
「ユダに告げ、エルサレムに知らせよ。『国中で角笛を吹き、大声で叫べ(κραυγάσατε)』。』
この箇所では、預言者が危機の訪れを告げ、大声で警告するよう呼びかけている場面です。
エレミヤ書 50:15
「バビロンに向かって四方から叫び声を上げよ(κραυγάσατε)。」
バビロンに対する戦いの場面で、戦士たちに大声で叫ぶことが求められています。
用例のまとめ
κράζω(krazō):旧約聖書では個人や集団が神に助けを求める叫びや、苦しみの表現として使われます。特に詩篇や歴史書で、人々が神に対して嘆願する場面でよく見られます。
κραυγάζω(kraugazō):預言者や戦士が警告や士気を高める叫びとして使われます。大声での注意喚起や戦いの場面で集団的な叫びに用いられますが、頻度は少なめです。
このように、「κράζω」は神に向かう叫び、「κραυγάζω」は劇的で集団的な叫びの場面で使われていることがわかります。
Q: 「「κραυγάζω」は七十人訳聖書ではあまり使われておらず、特定の劇的な叫びや集団での叫びには別の表現が多く使われている」とのことですが,ほかにどのような?
A: 七十人訳聖書(LXX)では、「κραυγάζω」があまり使用されず、代わりに「叫び」や「大声を上げる」ことを表現するために以下の動詞が頻繁に使われています。これらの表現は、集団の叫びや感情的な訴え、戦いでの叫びなど、特定の状況に応じて用いられています。
1. βοάω(boáō)
意味:叫ぶ、大声で呼ぶ
用例:
出エジプト記 2:23
「イスラエルの子らは重労働に苦しみ、神に向かって叫び(ἐβόησαν)求めた。」
ここでは、イスラエルの民がエジプトでの奴隷生活に苦しみ、神に助けを求めて叫ぶ場面で使用されています。詩篇 34:17(七十人訳の詩篇 33:17)
「主は義人が叫ぶ(βοήσουσιν)声に耳を傾け、彼らの悩みから救い出される。」
神に対して苦境の中で叫び声を上げる場面で用いられます。
2. ἀναβοάω(anaboáō)
意味:強く叫ぶ、叫び上げる
用例:
エゼキエル書 11:13
「パルティア人が倒れたとき、私はひれ伏して大声で叫び(ἀνεβόησα)言った。」
強い嘆きや驚きの声として使用され、激しい感情が込められた叫びを表します。ヨエル書 1:19
「主よ、私はあなたに向かって叫びます(ἀναβοάω)。」
神に直接訴えかける際に使われる強調された表現です。
3. θορυβέω(thorybéō)
意味:騒ぎ立てる、騒がしく叫ぶ
用例:
イザヤ書 22:2
「喧噪(θόρυβος)に満ちた町、騒がしく(θορυβηθεῖσα)誇り高い街よ。」
群衆が集まって騒ぎ立てる、混乱した状況を描写する際に用いられます。エレミヤ書 51:55
「主がバビロンの叫び声(θορυβον)を消し去る。」
この場合、群衆の騒ぎや騒然とした叫び声を意味します。
4. κέκραγα(kekraxa) - 「κράζω」の派生形
意味:叫ぶ、大声で訴える
用例:
詩篇 22:2(七十人訳の詩篇 21:2)
「我が神、どうして私を見捨てたのですか? 私は昼に叫びます(κέκραγα)。」
苦痛や嘆きの叫びを表現するのに使われ、詩篇で頻繁に見られる表現です。エゼキエル書 9:8
「ああ、主なる神よ、どうしてイスラエルの残りを全滅させるのですか、と私は叫んだ(κέκραγα)。」
強い嘆きや恐れを込めた叫びで、神に対する直接の訴えとして用いられます。
5. ἐξομολογέομαι(exomologéomai)
意味:宣言する、大声で述べる
用例:
詩篇 32:5(七十人訳の詩篇 31:5)
「私は自分の罪を告白し(ἐξομολογήσομαι)、主に対して隠さなかった。」
罪を認めるなど、強く宣言する行為として使用されています。叫びの意味合いでなくとも、強い声での発表や宣言を意味します。
まとめ
βοάω(boáō):嘆きや助けを求める叫びに使われ、神への祈りや訴えに頻出。
ἀναβοάω(anaboáō):強く叫び上げることを意味し、悲嘆や驚き、強調された訴えを表す。
θορυβέω(thorybéō):集団での騒がしい叫びや喧噪を意味し、戦いや群衆の混乱を表現。
κέκραγα(kekraxa):「κράζω」の派生形で、感情の強い叫びを表し、特に詩篇で多用される。
ἐξομολογέομαι(exomologéomai):声を上げて告白や宣言を行う意味を持ち、強い感情での表明を示す。
これらの動詞は、それぞれ「叫び」の状況や感情、声の強さに応じて使い分けられています。
Q: 詩篇 5:3, 18:7, 22:25, 30:3, 77:2, 88:14 などにおいて,「叫ぶ」が使われていますか? 原文と訳文を記して.
A: 詩篇の各節について、「叫ぶ」に関連する原文のギリシャ語と訳文を示します。
詩篇 5:3(七十人訳詩篇 5:4)
原文(LXX):
Κύριε, πρωΐ ἀκούσῃ τῆς φωνῆς μου· πρωΐ παραστήσομαί σοι, καὶ ἐπιβλέψεις με.
訳文:
「主よ、朝に私の声をお聞きください。朝に私はあなたの前に立ち、あなたは私に目を向けてくださいます。」
この箇所では、叫ぶ意味の単語は使われておらず、「声を聞く」という表現(φωνῆς μου)が用いられています。
詩篇 18:7(七十人訳詩篇 17:7)
原文(LXX):
Ἐν τῷ θλίβεσθαί με ἐπεκαλεσάμην τὸν Κύριον καὶ πρὸς τὸν Θεόν μου ἐκέκραξα·
訳文:
「私は苦難の中で主を呼び求め、私の神に叫びました。」
ここで ἐκέκραξα(ekekraxa)が「叫びました」という意味で使用されています。詩人が神に対して激しく叫び、祈りを訴えている表現です。
詩篇 22:25(七十人訳詩篇 21:25)
原文(LXX):
Ἐκ σοῦ ἡ αἴνεσίς μου ἐν ἐκκλησίᾳ μεγάλῃ· τὰς εὐχάς μου ἀποδώσω ἐναντίον τῶν φοβουμένων αὐτόν.
訳文:
「あなたから、私の賛美が大集会でささげられます。私は、神を恐れる者たちの前で私の誓いを果たします。」
この節では、賛美と誓いについて述べられていますが、「叫ぶ」に関連する表現はありません。
詩篇 30:3(七十人訳詩篇 29:3)
原文(LXX):
Κύριε, ὁ Θεός μου, ἐκέκραξα πρὸς σέ, καὶ ἰάσω με.
訳文:
「主よ、私の神よ、私はあなたに叫びました。どうか私を癒してください。」
ἐκέκραξα(ekekraxa)が「叫びました」という意味で使用され、ここでも詩人が神に助けを求めて叫ぶ場面です。
詩篇 77:2(七十人訳詩篇 76:2)
原文(LXX):
Φωνῇ μου πρὸς Κύριον ἐκέκραξα, φωνῇ μου πρὸς τὸν Θεόν, καὶ προσεῖδεν μοι.
訳文:
「私は声を上げて主に叫び、声を上げて神に呼び求めました。そして彼は私に目を向けてくださいました。」
ἐκέκραξα(ekekraxa)が再び使われ、「叫び」として神に向かって激しい祈りを表現しています。
詩篇 88:14(七十人訳詩篇 87:14)
原文(LXX):
Κύριε, τί ἀπορρίπτεις τὴν ψυχήν μου, ἀποστρέφεις τὸ πρόσωπόν σου ἀπ᾿ ἐμοῦ;
訳文:
「主よ、なぜ私の魂を退けられるのですか?あなたの御顔を私からそむけるのですか?」
この節では「叫ぶ」という言葉はありませんが、詩人の悲嘆や神に対する訴えが表現されています。
まとめ
「叫ぶ」に対応する ἐκέκραξα(ekekraxa)は詩篇18:7、詩篇30:3、詩篇77:2で用いられ、これらの節では、詩人が神に助けを求めて激しく叫ぶ姿が描かれています。他の節では、賛美や訴えが含まれるものの、「叫ぶ」という表現は使われていません。