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高校3年間で4回骨折して2回手術して15本ボルト入れて、いっぱい恋した話

高1の夏、左腕。
高1の秋、左腕。
高2の冬、右脚。
高3の夏、左脚。

僕も例に漏れず、部活に恋に勉強にひたむきなシーブリーズの匂い漂う青春を過ごした。ギプスと松葉杖と共に。


はじめては高1の夏。
ラグビー部の試合中であった。
タックルを受け良からぬ方向についてしまった僕の左手首は、岡本太郎作品のようにねじれて折れ曲がっていた。
すぐに交代しベンチに下がった僕は救急車で近くの病院に搬送される事になった。
骨が折れると人間は発熱するらしく僕もすぐ寒気と吐き気を催した。
そんな僕を救急車が来るまで、副顧問は優しく抱き抱えてボトルで水を飲ませ続けてくれた。
本当にとても飲ませ続けてくださった。
多分3リットルくらい飲まされた。
1年生の僕には副顧問というほぼ初対面の初老男性の優しさを無下にする事は出来ないし、何より左腕が痛過ぎて「もう水要らないです」と抵抗する余裕もなかった。
10数分後にグラウンドに救急車が到着した。
たまたまその試合は両親が観に来ていたのだが、救急隊員2人が担架を持ちこちらに向かってくるの見て母が「別に腕やねんから歩けるやろ、歩き」と言った。
全然言ってる意味は分からなかったけど、痛みで意識が朦朧としていたし、(あ、もう水飲まずに済む)と思い、僕は左腕を押さえながら己の足で救急車に乗り込んだ。
担架を持った救急隊員とすれ違う時、何故か自然と軽めの会釈をした。

次の日学校へ行くと三角巾を吊るした僕にクラスメイトが群がった。
クラスメイトだけじゃなく先生も、廊下ですれ違うあまり面識のない女子も皆が心配の眼差しを向ける。
何だか悪くない気分だった。
三角巾を吊るしてる不自然な姿も期間限定と思えば我ながら愛しく思えた。



2回目は高1の秋。
2回目の骨折は1回目が治って1週間も経たない内に起こった。
完治と診断され数日後に練習試合があり、その試合前のウォーミングアップでチームメイトと軽く接触した際に「ポキッ」っという音と、その軽い音には相応しくない痛みが走った。
もう完全に癖になっていた。
そのチームメイトは動揺し過ぎて顧問に何があったのかという質問に何故か終始キレ気味で返答していた。
僕はというと2回目という事もあり割と落ち着いていたが、横に居るマネージャーに「これ折れてると思うねんなぁ、痛みが前回にそっくりやねん、衝撃で言えば前回やねんけど、でもこれで折れてなかったら恥ずかしいよな、折れてない可能性もなくはないねんけど」とエグい口数とスピードで喋っていた。
骨折の症状に発熱だけでなく、口数増も追記して欲しい。

もちろん普通に折れていたため僕はまた三角巾を吊るして学校に通った。
1週間ぶり2度目の骨折に心配する者など誰もおらず、クラスメイトは笑い、廊下ですれ違う面識のない同級生には好奇な目で見られた。
結局僕は高1の下半期のほとんどを、骨と恥ずかしさを石膏でガチガチに固めたギプス姿で過ごすことになった。

この時期、僕には同級生に好きな女の子がいて、ほとんど喋った事はなかったけど何とかデートにこじつけて梅田で映画を観た。
映画はつまらなかったけれど、つまらなかった事が2人の何よりの楽しさとなった。
帰り道に告白をしてOKを貰えて16年間の人生で1番嬉しかった。
全然方向は違ったけど帰りは彼女の最寄り駅まで同じ電車に乗った。
彼女が僕の左肩に頭を乗せて眠って、僕は彼女の重みで少し骨が痛んだ。
もちろん何も言わなかった。



3回目は高2の冬。
体育の柔道の授業で、組手をしている最中に相手の払いをかわした時右足首を捻ってしまった。

授業後すぐさま保健室に連れられた後に病院へ直行。
その日そのまま入院する事になり、2日後には手術する事になった。
流石に入院となり学校を休む事にもなると、先生やクラスメイトが学校帰りにお見舞いに来てくれたり、心配のラインをくれたりと、静かで狭い病室で心が温まる事も多かった。
手術は下半身麻酔のため、前日から飲食が禁止となり、胃腸を空にしなければならなかった。
そして当日は朝6時に起こされ女性看護師と2人きりでトイレの個室に行き、浣腸の刑に処された。
指示通り便器に片足を乗せ肛門を広げる行為は17歳の僕の尊厳を失いかねなかったが、ベテラン看護師は工場のライン作業のように淡々とそれをこなしていて、あぁこれは恥ずかしいと思うことが恥ずかしいんだと自分に言い聞かせた。

退院後、僕はバス通学に変わった事もありよく遅刻していた。
1時間目の前にあった15分の小テストの静寂な時間。
「カッチャカッチャ、、カッチャカッチャ」と、僕が松葉杖をつく音が廊下にこだまする。
緊張感が欠けた女王の教室みたいだった。

あと僕は高2の秋に大好きだった彼女にフられている。
その子は僕と別れて2ヶ月後に同じ高校の同級生であるボクシングをしていて400ccのアメリカンバイクを乗り回す男と付き合った。
僕が持ち合わせていない骨太さが彼にはあった。

真冬のテスト期間だったある日。
僕は高校から道路一つ挟んだ所にあるバス停でバスを待っていた。
その日は雨が降っていたのだが、僕は松葉杖で両手が塞がっているため傘を差せず、真冬の雨に打たれながら1人バスを待つしかなかった。
するとバス停の向かいの道路を彼女と骨太彼氏が相合い傘をして仲良く歩いているのが目に入った。
「カツーン、カツーン、カツーン、、」
アルミ製の松葉杖を雨が弾く。
サンボマスターが僕の真後ろで熱唱していないと辻褄が合わない状況だった。
イントロと共にゴンドラでビルの屋上に上がって来たり、サビでタクシーぎゅうぎゅうになってなくて良いからとにかく僕を元気付けて欲しかった。
僕はサンボマスターに気付かないだろうけど。





4回目は高3の夏。
ラグビー部の最後の大会直前の合宿初日に左脚を骨折し、即帰阪即入院即手術。
左脚にボルトを入れる手術だったが、この時右脚にも前回の手術で入れたボルトがまだ残っている状態だったので、せっかくなんだし左脚にボルトを入れるついでに右脚のボルトを抜いちゃおっ♪となった。
何とも効率的な手術である。

ところがどっこい!!
手術中に右脚の麻酔がほぼほぼ切れかけるハプニングが発生っ🚨
右脚の切り開いた痛みと、直接麻酔を打つという、例えるならナイフでズタズタに刺されている痛みが右脚に走りまくりまクリスティーン👧👧👧
そして止血のため機械で太ももを縛りつけており、そのありえない痛みで僕は気絶しそうに( ´Д`)y━・~~
(グロが苦手な方の為に緩和しときました)

耐えられぬ痛みと苦しみで何度も気絶しそうな僕を、その度に看護師が「かめたにくぅ〜ん」と黄泉から呼び戻していた。

そんな明確な医療ミスを乗り越えた僕だったが、二学期の始業には間に合わず入院生活を送っていた。
そしてその頃、彼女と骨太ジャブバイカー(言ってなかったけどトミーの中学からの親友)は既に別れていた。
僕は彼女に「また骨折してん笑けるやろ入院してんねんお見舞い来てや」的なLINEを送った。
「骨折をピンチからチャンスに」「骨折に利用されるな、利用してやれ」
僕は4回目の骨折だからこそ到達する領域に、傷入りの脚を踏み入れていた。

彼女はお見舞いに来てくれた。
久しぶりに2人で喋った。
数分後にクラスメイトがサプライズでお見舞いに来た。
彼女は気まずそうにしてすぐ帰った。




その後骨折は無事に治った。
ボルトは抜かなければいけないらしいが、何となく面倒臭くて結局、18歳からいまだにボルトは僕の左脚に入っているままだ。

ここまで来たらそうだな。
いつか僕が一生を共にしたい女性が現れたら苦楽を共にしたこのボルトを抜こう。
そしてそのボルトでネックレスを作って彼女の首にかけて微笑みながらこう言うんだ。
「僕と君は骨とボルトのような関係だ。強制的にくっつき合う運命ってこと。ね?結婚しようニチャァ」









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