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「明日までに五厘刈りにしないと野球部には入部させない」と言われて五厘刈りにした挙句、野球部に入部せず色々ややこしくなった話

僕は野球が大好きだった。

小学校時代は地域の少年野球チームに所属し、中学は野球部ではなく隣の市にある硬式クラブチームに所属し中学生活の全てを野球に捧げた。
そのチームでは先輩も同期も含めほとんどが野球推薦で高校進学を決める上に、様々な地方へ野球留学する者も少なくなかった。

しかし僕は地元の公立高校へ進学した。
キャプテンを務めていた僕が公立へ進学する事はそのチームでは少し異例だったかもしれない。
けれど厳しいクラブチームかつキャプテンという重責から、僕は大好きな野球が大嫌いになっており、高校では純粋に野球を楽しみたかった。
15歳なりに悩み抜いた決断である。


高校入学初日。
緊張感と好奇心が雑多に入り混じる教室で、僕は野球部入部希望という5人と今後の高校生活における希望を喋った。
ほぼ不可能と分かっていながら「甲子園行きたいなぁ」と誰かが言い、そしてそれを誰も貶す事がないくらいには希望に満ちていた初日であった。

2日目。
そして昼休み。
談笑しながら弁当を食べていると、野球部の2年と思しき人物があえて音を鳴らすように激しく教室の戸を開け「野球部入りたい奴は5分以内にグラウンドに整列しろ、ええな?、、、おい返事わい」と言って去った。
教室内の6個の心臓がキュルルルと音を立て、そして僕らは昨日の希望を廊下に捨てながら枝垂れ桜が満開のグラウンドへ駆けた。

グラウンドでは50人近い一年生がフェンス際に整列していた。
ついさっきまで笑顔で卵焼きを食べていたのに、学ランの1番上のボタンが空いているという理由で先輩にしばかれているクラスメイトを、僕はそっと1番上のボタンを閉めながら見る。
枝垂れ桜に似つかわしくない怒号と殴打の音が聞こえる2日目の昼休み。
「野球部に入りたい奴は明日までに頭五厘刈りにしてこい、あとどんなに遠くても先輩を見かけたら全力で挨拶しろ、声小さかったり挨拶せんかったら殺す、ええな?」
そういう大会でも無いと割に合わないくらい眉毛を細くした先輩の、威圧感溢るる発言に僕たち新入生は脳を介さず全力で返事をした。

教室に戻ると僕以外の5人はもう野球部には入部しないと決めていた。
勿論彼らの憂鬱な気持ちも分かる。
こんなとこで楽しく野球ができるはずがない。
しかし明日までに決断し五厘刈りにしないと野球部には入れない。

そして僕はこの状況において最良の考えに行き着く。
“とりあえず五輪刈りにはする。五輪刈りにすれば野球部に入る事だって辞める事だって出来る”と。
至極当たり前に聞こえるかもしれないが、数分で極度のストレスを与えられた新入生の中で、この思考に行き着いたのは僕1人だけだった。
帰宅してすぐ、僕はアタッチメントを付けていないバリカンで頭を刈った。
風呂上がりのバスタオルが頭に引っかかって仕方がなかった。


3日目。
目に入った坊主には全力で挨拶をする登校時間。
入学して3日目なのだ。
誰が先輩かは分からないが、とにかく学ランを着た知らない坊主には全力で挨拶しておけば間違いない。
聞いたところによるとその考えのせいで、目の前の中学校の野球部に挨拶した奴もいたらしい。

昼休み、1年生にはグラウンド整備の仕事が課されていた。
チャイムと同時に、昨日は6人で駆けた廊下を1人で駆ける。
グラウンドではおおよそ20個くらいの青々しい頭が土を均していた。

僕も例外なく外野部分を全力疾走しながら整備していると、遠くで先輩と思しき人が目に入った。
「おはようございまぁあああああああすっっっっ!!!!!!!」
今までの人生でこれほど丹田に力を込めた事があったろうか。
僕の全力の挨拶がこだまする。

すると僕の挨拶を受けた先輩がなぜか鬼の形相で僕の所まで走ってき、そしてそのままの勢いで僕の胸ぐらを激しく掴み

「こんにちはやろがぁあああああああああ!!!!!!!」

と言った。

、、、はぁ?え、別に良くない?
いや確かに昼休みで12時回ってるけど別におはようございますでもええやん!
そんなブチギレる事か!?
もう後輩いびる事に重き置きすぎて怒る理由が二の次なってるやん!
なんじゃこいつら!!!

こんな事を考えながら僕はグラウンド整備で使うトンボをその場に放置してゆっくり教室に帰った。

僕の高校野球は自身の怪我でも仲間のエラーでも立ちはだかる強豪校のエースでもなく、細眉毛による時間帯ごとの挨拶の注意で幕を閉じた。



こうして僕はただただ五厘刈りの帰宅部に成り果てる。
ここからが大変も大変。
もう野球部ではないため校内で見知らぬ坊主が目に入っても挨拶しないが、先輩からすれば五厘刈りは問答無用で後輩な訳で、そいつが挨拶しないもんだからキレるしかない。
しかしそいつに冷めた口調で「僕野球部じゃないのでやめてください」と言われる。
髪の毛が一定に伸びるまで僕は学ランの襟を何度も掴まれ、そしてその度に先輩たちの戸惑いに満ちた表情を見た。


正直この事態は想像の範疇であったためストレスこそあったが耐えれるものではあった。
しかし想像していなかった事態が生じる。
それは同級生の野球部に先輩と勘違いされ校内で爆音で挨拶される事だった。
これがもうとんでもなく恥ずかしい。
前述した通り、野球部の一年は見知らぬ坊主が目に入ると全力で挨拶するシステムが、自動的に発動してしまう。
僕は入学3日目の昼休みで辞めたので、僕を認知している同級生は皆無。
そのため僕は全力挨拶システムの対象となってしまっていた。
「あ、俺野球部の先輩ちゃうで?」と何度伝えただろうか。
僕は髪の毛が一定に伸びるまで何度も同級生から「おはようござあぁああああいいいまぁああすすす!!!」と挨拶され、そしてその度に同級生たちの戸惑いに満ちた表情を見た。
途中から面倒臭くなってしまい、同級生に挨拶されても「ウィース」と答えるようになった。

五厘刈りにした事でどちらの選択肢も残すというあの時の決断は、最良では無く最悪の決断であった。


夏の甲子園がもうすぐ始まる。
高校球児よ!悔いのないように白球を追え!そして12時以降は“こんにちは”だ!









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