【雑記R6】10/17 天晴(あっぱれ)な晴天 ~特別企画展 椋鳩十 それぞれの顔~
秋の晴れた空は遠く青く、まさに天晴!(あっぱれ)と称えたい爽やかさです
先日、かごしま近代文学館で開催されている特別企画展「椋鳩十 それぞれの顔」に行ってきました。生誕120周年記念だそうです。
椋鳩十さんといえば、教科書でもおなじみの「大造じいさんとガン」など「動物の物語を書いた児童文学作家」として広く知られています。
本企画展では、それだけにとどまらない多彩な姿を紹介するものでした。
人を判断するとき、わかりやすい特定の一面だけを見て、分かった気になってしまいますが本当はそんなはずはないですよね。
多くのエピソード、複数の顔を持った椋鳩十さんの人生と功績をしのぶ良い企画でした。
その中からいくつか印象深いものをご紹介します
<1905年 長野生まれ>
本名 久保田彦穂さん。
長野県喬木村のご出身。「日本晴れの空のように、思いっきり明るく楽しい日々」を過ごします。
長じて鹿児島の加治木高等女学校の国語教師として赴任しました。
彦穂、はヒコホホデミノミコトにちなんだお名前だそうです。
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は、いわゆる山幸彦で、鹿児島にご縁のある宿命だったのかな、などと思いました。
興味深かったのは 故郷である長野県喬木村と鹿児島県の湧水町(大造じいさんとガンなどの舞台)の風景が不思議と似ていること。
もちろん気候や生物環境など違いは大きいのでしょうけれど、醸し出す雰囲気が同じで、だからこそ第二の故郷として鹿児島の地と生き物を愛してくれたのか、と納得しました。
<天晴な詩人>
当初は、詩人としての活動をしていました。私は、あまり椋鳩十さんの詩は知らなかったので、今度、本を借りて読んでみたいと思います。
なお、作家デビュー前に自身で編纂した詩や評論を掲載した雑誌「晴天」がありました。
ご本人にも長く所在がわからず探し続けいていたものの幻となっていたようなのですが、最近発見されたとのことで、今回も展示されていました。
見つからなかった理由が雑誌の名前をご本人が「天晴(あっぱれ)」と記憶していたから、らしく。
横書きだと確かにどちらとも読めるのですが、あ、そこ間違ってたんだ、とほほえましいエピソードでした。
<言語統制のなか、動物文学へ>
椋鳩十さんは、当初執筆していたものは児童文学でも動物文学でもありませんでした。椋鳩十の筆名を使って最初に書いたのは山に生きる人々を描いた山窩小説です。
しかし、日本が戦時色を強めていく中で、発禁処分を受けたり掲載時に伏字だらけにさせられたりと言論統制が強まります。
その中で、動物たちの懸命に生きる姿を書くことで、命の尊さ、親子・仲間の愛情の美しさ、自然の厳しさを伝えようとして選んだのが「児童向け動物文学」のジャンルでした。
会場では、動物たちの姿を添えた栞を一枚いただきました。
私は、ガンのものをもらいました。その栞には「力一杯今を生きる」と言葉が添えられていました。
<県立図書館長として>
終戦後、椋鳩十さんは、鹿児島県立図書館長に就任します。
その功績のひとつは「母と子の20分間読書運動」という家庭での読書を推進したことです。
昭和30年代半ばのことで「子供が、本を音読し、母はそれをそばでじっときく」というのが原型です。ここから様々な活動へと発展し全国へと派生していきました。
私が小学校の頃(昭和50年代)は「朝読み夕読み」という名前で、実施されていました。
朝と夕方、本を音読しそれを家の人に聞いてもらうという取り組みです。大抵、台所で食事の支度をする母に向かって読んでいたことを懐かしく思い出します
このことは、私もなじみ深いことだったのですが、今回初めて知った図書館長としての功績は「追放図書」の話です。
敗戦後、連合国軍は日本の軍国主義を推進したと思われる書籍等を焼却する方針を定めました。
全国各地の図書館が所蔵している書籍も焼却の憂き目にあうところでしたが、鹿児島では当時の図書館長が約800冊を自宅に隠し、後を引き継いだ椋鳩十さんも、その方針を踏襲して「追放図書」の焼却を行いませんでした。
連合国軍の指示に従わないことで叱責されても、戦前の日本政府の政策や教育の実情を知るための資料を残す大切さ、過ちを繰り返さないために必要な資料であることを説き、これらの書籍をついに守り、今でも、県立図書館にこれらの貴重な書籍は保管されています。
命の尊厳を踏みにじる戦争への道へ踏み込まないために、と願った勇気ある行動だと感銘を受けました。
<ねことすずめの原稿用紙>
自筆の原稿用紙も多く展示されていましたが、これも自筆のスズメと猫があしらわれていて、なんともかわいらしいのです。
こんなにかわいらしければ気分も乗るでしょうか、それともかえって気持ちがそれてしまうでしょうか
<力一杯今を生きる>
力一杯今を生きる
言うほど簡単ではないな、と思います。
日々をだらだらと惰性でなんとなく生きて、もう半世紀。
なんで生まれてきたのか
何故この憂き世で生き続けなければならないのか
自分なんぞ生きている意味はあるのだろうか
時折浮かぶ疑問から目をそらして受け流し、時間(寿命)切れを待つ人生になりかかっている自分を顧みるきっかけになりました。