【読書日記】10/25 昭和は遠くほろ苦く「たまゆら/永田萌」
たまゆら 永田萌画集
永田萌 著 サンリオ出版
永田萌さんのイラストがすきです。
「カラーインクの魔術師」とたたえられる多彩な色で愛らしい子供やたおやかな女性、花や果物、動物、小鳥等が描かれています。
そんな萌さんの画集の中ではやや異色の本書。
京都を舞台にした和の妖精の詩物語。
古都の四季と着物の妖精の美しさ、あやしさに夢中になりました。
昭和の末期、私が中学生の頃です。
少女の名前はたまゆら。
嵐山の小さな池のほとりの大きな楠に住む妖精です
愛しいひとが去ってからずっと待ち続けているたまゆらは、19歳のまま。
一途な思いは透き通るように純粋かと思えば、やるせなさがつのり時に暗く燃え上がる
それでも 待って待って待ち続けて
長い長い時を経てようやく巡り会えたあのひとは うつつかまぼろしか
絵も詩も独特の風情があり、飽かず眺めたものです。
そして、実はこの詩画集の中で一番惹かれたのはこのページ。
令和の今ならばともかく昭和ですから、この言葉に共感するような女子は、とかく生きにくかったのです。
なんで学級委員長は男で女が副でないといけないのか、だれも納得のいく説明をしてくれませんでしたし、なおも食い下がると「かわいくない」でおしまい。
名簿は男女混合で良いのではないか、と発言したときは、なんと小学校の担任に「そんなことをいう女は嫁にいけない」と言われました。
面と向かってかわいくないと言われるのも、かわいいふりをする女子がちやほやされるのにも飽き飽きして鬱屈したものを抱えておりましたので、このページは本当にお気に入りだったのです。
ちなみに、数年前、私の母校に通うこどもたちのクラス名簿は男女混合になりました。
たったこれだけのことが変わるのに数十年かかったのか、と感慨深いものがありました。
男女のあれやこれやが「違う」ということが「優劣がある」ということではない、という当たり前のことを当たり前としてほしい、そして性差ではなく個人差が尊重されるようになってほしいと思います。
横道にそれました。
本書の「和風の妖精」が気に入っていた理由がもうひとつあります。
私は「妖精」が好きでした。
しかし、日本人のくせに西欧の妖精が好きってどうなの?
これって舶来をありがたがる俗物根性なのかな、と変な自意識が「好き」という気持ちに影を落としていた時期でもあり、その点、京都に住まう着物姿の「たまゆら」は安心して心ゆくまで愛でられる存在だったのです。
どこの国のものだろうと惹かれたのはご縁があったということ、好き、という気持ちを大切に育めば良いだけのこと、と今なら思えるのですけれど。
自分の中のめんどくさいものや社会のめんどくさいものに悩み、怒り、いらだち、それを本を読むことでなだめていた十代の頃の自分。
そんなほろ苦いものを思い出しながら、久しぶりのページをめくる秋の夜長です。