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【読書日記R6】11/13 晩秋。すだく虫の声、あれは何の虫?「病葉草紙/京極夏彦」

まだ暑いのですが、冬至が近づき「夜長」の季節。
夜に支配される時間が長くなりました。
その長き夜を埋め尽くすのは満天の星と虫の声。

そんな夜に似合う物語「病葉草紙(わくらばそうし)」

病葉草紙/京極夏彦 著 / 文藝春秋

肩の凝らない京極夏彦作品。
「妖怪」の次は「虫」のお話ですが、昆虫嫌いも大丈夫。
虫は虫でも「はらのむし」ですから。

時代は田沼から水野へと実権が移った頃のお江戸。
舞台は、お江戸の町にどこにでもありそうなとある長屋。

籐左衛門長屋は、日銭稼ぎの店子たちの店賃は滞りがちだし、夫婦近隣のもめごとも大小様々あるけれど、総じて悪くない長屋です。

大家は薬種問屋の隠居籐左衛門で、その息子、藤介が差配として毎日律儀に長屋の見回りにやってきます。

この藤介、父親の籐左衛門が50才を前に若隠居を決め込んでから生まれた子なので、「生まれたときから隠居の子」という微妙な立場の25歳。

当人は天気が良ければ気分もよい、という穏やかな呑気ものなので、あまり深くは考えず日課の長屋見回りをこなしているのですが、最近入った店子のことが気になって仕方ない。

久瀬棠庵という20歳くらいの新入り店子

飯もろくに食わない。外にも出ない。
昼も夜もひたすらこむずかしい本を読んでいる

「本草学者」だというけれど、何を生業に生きているのだかさっぱり分からないが前金で店賃を払っていて金回りは悪くない。

悪人ではなさそうなのだが
「黙って聞け」と言えば相槌ひとつ打たず、
「ちょっと聞いとくれ」といえば本当に聞くだけ
と相手の言葉を額面通りに受け取るものだから、会話が成立しにくいし、相手の気持ちを忖度しない身も蓋もない物言いをするから、相手が鼻白むこと多数。

それでも生きているのか死んでいるのか気がもめて仕方ないから藤介は見回りに来るたびに「居るかい?」と声をかける

ある日、いつものように見回りの際に、かみ合っているのかいないのかわからない不毛な掛け合いをしていたところ、お向かいの「爺さんと孫娘」が暮らしている部屋から、蒼白な顔の娘、お初が出てきてこう言った。

「善兵衛を殺してしまいました」

状況を見聞した棠庵は、言い切ります
これは虫ですね 
善兵衛が死んだのは「馬癇(うまかん)」という虫のせいだ、お初のせいではない、と。

「馬癇」とはなんぞや。心の臓に涌いて時をかけてゆるゆると育ってある日宿主を殺す虫だ、と。

これが馬癇(うまかん)扉絵を撮影

なんだそりゃ?とあっけにとられる藤介はじめ周囲を滔々と流れるような弁舌で巻き込み、あれよあれよという間に善兵衛さんは墓の下。
お初も棠庵に促されてすーっとどこかへ立ち去ってしまった。

取り残されて納得いかない藤介に告げる棠庵が見抜いた真相とは?

もし、起こったことをつまびらかに明るみに出してしてしまったら困難な状況に追い詰められている弱者がさらに辛い状況に追い込まれてしまう。
だったら、「虫」のせいにしてしまえばいい―――

この「虫」というのは、いわゆる昆虫ではありません。
病のもとになる体の中に巣くう虫。

これらの虫は「針聞書(はりききがき)」という、戦国時代の針の指南書に載っています。

「針聞書」九州国立博物館広報誌より

あまりのインパクトの強さに、そんなものいるか!と一笑に付したくなるところです。

しかし、心身の不調およびそれをもたらす何かよからぬものを「虫」として、虫がわかないように予防し、虫がわいたら退治する(針治療による症状緩和)ことを説いているわけで、突拍子もない戯言ではなく、先人が病と人と命とに真剣に向き合ってきた証左ともいえるのです。

この馬癇(うまかん)の一件を皮切りに、棠庵は、長屋を中心に巻きおこる騒動を「虫のせい」にしてまあるく納めていきます。

真面目一辺倒だった左官職人の浮気疑惑は「気積(きしゃく)」のせい。
料理屋で食事した4人が相次いで死んだ。食あたり?毒死?いいえ、それは「脾臓の虫(ひぞうのむし)」のせい。

ところが、ある日、人殺しを「虫のせい」にせよ、と強要されます。

その日の藤介は朝から忙しかった。
いつも騒がしい長屋がいつにもましててんやわんやの大騒ぎ
その隙をついて店子の若い娘が誘拐された

棠庵に届いた脅迫状に曰く
ある男の死を「虫のせい」だと言え
言えないなら五百両よこせ
どちらもできなければ娘は死ぬ。

人がころりと死ぬような都合の良い虫なんてはたしているのか?
それは、いる。<頓死肝虫 とんしのかんむし>

しかし、棠庵は、今回の死を「虫のせい」であるとはいえない。
なぜなら、それでは人殺しが罪を免れることになるから。

悩んで困って動けなくなった棠庵
妹をさらわれて逆上した兄
たった今、どこかで命の危険にさらされている娘

店子といえば子も同じ。
さあ、藤介は長屋の危機にどう立ち向かうのか。

「病葉草紙」の「病葉」は、棠庵が自らを評していう言葉です

自分には、「何か欠けている」と。
「虫に喰われた葉のように、幾つも穴が空いている」
「病葉のような心」だから「濃やかな情の濃淡やら模様やらは解らない」と。

そんな棠庵に腹を立てたり振り回されたりしながら、なんだかんだで良い相棒になっていく藤介もまた、自分を病葉だといいます。棠庵とは「欠けている処が違うのさ」と。
欠けた処が違う二枚の「病葉」が欠けたところを補い合いつつ、やはりかみあわない関係やまじめなのにおかしみのただよう会話も楽しみ所です。

ほどほどの蘊蓄、事件も耐えがたいほど陰惨ではないので気軽に楽しめる京極作品だと思います。

また、針聞書の虫たちがテーマに取り上げられたのが個人的には大変うれしいのです。
私のお気に入り博物館、九州国立博物館で人気の収蔵品のひとつが「針聞書」。
「はらのむし」の愛称で絵本やグッズにもなって親しまれています。
公式ソングも作られているので、HPも見てみてください。
「針聞書」そのものも啓蟄の頃には、「むしぼし」と称して公開されています。

こんな虫がわかないように、心身の健康に気を付けていきましょう。