高木康子さんインタビュー⑥「いま生きとるんが天国ちゃうかな、確かに」
・「普通や」と言うてくれた友だち
康子さん(以下・康):
30歳頃、精神的に切れてしまったんは…多分
きっと、すんごいこう…意識というか、何か
を変えなあかんと思ったんやな。
まあ自己崩壊やな。
あたしが切れたとき………多分な、父ちゃん
(夫の高木逸夫さん)か誰かが「やっぱり、
神経科か精神病院に入れなあかん」って相談
してたんちゃうかな。
そしたらある友だちがね「いや、これが普通
やと思う」って言った。
どういう状況かは覚えてないけど、あたしの
状態を「普通や」ていうて、その子が守って
くれたんかな。守ってくれたっていうより、
導いてくれたんかもしれん。ほったらかしに
してくれたんや。
もし病院に入ったらな、薬を飲まされてー…
おとなしくはなるかも知れへんかったけど。
ひとつだけ、ちょっと友だちに聞いたんは、
大好きやった友だちに「バカヤロウ」とか…
思いっきり、言うてたみたいやな、あたし。
フッフッフッフ。
でも、それを受け入れてくれたんや、友だち
も。
それで…いつやったかは、よう覚えてないん
やけど、復活した時覚えてんねん。
母親のね、子宮の中にいた。なんか水みたい
なところにおってねー、そっから起きたとき
にはね、赤ん坊やったんよ。
もういっぺん、生まれ変わったんや、赤ん坊
から。
わかる?
--その復活したときっち…寝ちょんときに
「あー、今、子宮の中におる」ちゅう感じに
なったん?
康:いやなんかね、赤い…なんかそういう、
子宮の中におったんよ。そっから、羊水から
出てー、明るい光の中に出てー……。自分は
赤ん坊から立ち上がって、ようやく歩き出す
感じ。
それが一瞬やったんか長かったんか、覚えて
ないけど、そいでなんか本当の自分に戻った
んよ。けどそれはね、思った。自分の力で、
戻ったんよ。わかる?
あたしのためにみんながやってくれたことは
ただ、あたしがあたしであるために、ほっと
いてくれたことやねん。何もせず、辛抱強く
待ってくれたこと。
そこで復活して、ようやく人間になった感じ
がしたんよな。
・死ぬことは怖かったけど
康:あ、そうそう、インドに行く前にあった
もう一つの出来事は…当時住んでたところが
すっごい空気の悪いところやって、で、喘息
になったんよ。
その頃「田舎暮らしをしよう」と思ってて、
そのために父ちゃん(逸夫さん)は、必死に
働いてたんよ。あたしはアルバイトぐらいは
しとったんちゃうかな。そんでなんか調子が
悪くて、こう、息ができへんし。「いよいよ
あかんわ」っていうような時があった。
寝込んでて…ある日な、猫が鳴くんよ。
思いっ切り『ワーッ』とすごい鳴くんよ。
どうしたんかなーと思ってたらさー、伸びを
しようと思うけど息ができへんから…。
「あたしもう、これで終わりなんかな」って
思いよったらね、丸い玉がね、フッと部屋に
入ってきたんよ。猫が鳴いてる方から。
「なにかな」と思ったらそれはバレーボール
ぐらいな大きさやって、金、白色?
…(電球を指差して)こんな色やなー
--あー、電球色?
康:うーん
--温もりのあるような色。
康:そうそう。で、ふっとお腹に乗ったんや
その丸い玉が、本当に。お腹に乗った瞬間に
パーンとそれが割れてね、カプセルみたいに
身体が包まれたん。それでちょっと、フッと
上に上がったんよ。そん時あたしはやっぱり
こう…死ぬのいややなーと思っとったから…
恐怖心があったから「まだまだやりたいこと
あるんやーあたしは」ていう風に思とったら
なんか、急に上のほうに穴が空いて、身体が
もっと浮いてきたんよ。そうしたら「連れて
行くんやったら連れていったらいいわ」って
いうみたいな気持ちになって、またちょっと
それが上がった。床から30センチぐらい?。
そのとき、誰かが背中をポーン叩いたんよ。
ポーン!で、ドーンて下に落ちて。
その瞬間な、息がすっとできたんよ。
そんでまた、なんかその瞬間「久しぶりや、
銭湯いこ」と思たんよ。
それぐらい一瞬で、元気になった。
・まだまだね、やることあるやん
康:で、近くにある銭湯に行ったら、自分の
手のひらにね、小さな仏様が乗ったんよ。
あの「天上天下唯我独尊」ていう、ブッダ。
顔洗おうとして(手のひらを)ふっと見たら
ここに。「なにー!?」て。それ見てから、
1年ぐらいかな、仏教の本を漁りまくった。
なんせ、木を彫り出したんよ、笑。
その、自分が見たものを記録するのには何が
いいか分からへん、ていう…。
なんせ木にそれを彫ったんよ。なんか仏さん
ばっかりずっと彫ってあとはもう落ち着いた
んやな。
それぐらいガーって彫ったり、仏様のことを
調べたり、自分が見たものを、再現しようと
してた。
--彫り出したのは大分県に来てから?
康:ううん、大阪の時。濃厚やわー、大阪に
おる時は…。狂ってしもうたり、そうやって
死にかけて、戻って来て。
そんときにな「自分はこの世でなんかやっぱ
することがあるんや」と思ったんよ。
インド行く前の話やけどな。
(康子さんが30代前半の頃、インドに行った
時の話はインタビュー④に収録しています)
--インドに行く前にもう見ちょったんやな
仏。それで2カ月旅して帰って来て、大阪で
電車に乗っちょったら…
康:せやねん!
--さをり織りの看板が車窓から目に、飛び
込んで来た。
康:今の話をしててもやっぱし思うんやけど
自分は、自分の傷みたいなもんを修復して…
結局でも本当は、浮遊感みたいなものずっと
あったから…
「自分はここに生きてない」みたいな。
だから、強い人にすごい惹かれとったんよ。
それがインド行ってからは、自分の役割って
いうのをちょっとわかってきた。それは人と
人とを繋げる役割?。まだまだね、やること
あるやん?
自分って生きてて意味がある人間やっていう
「価値」もわかったし。
やから母親に対することかて何ももう怒って
ない。そんで結局、逃げてよかったなーって
思うよ、こっち(九州に)きて。お母ちゃん
相当面白い人やったもん。
--たたずまいがすごかったわ、
そこに(取材場所の窓辺に)座ってさ。
康:な、結構面白い人やったわー。
生きてる間にもっとあの人のことをいろいろ
聞いとけばよかったなって思う。
--竹田に来た頃具合が悪いっていうふうに
聞いちょったけど、見た感じはお元気でさ。
ここで(康子さんが大阪からお母さんを引き
取るために借りた「おかんハウス」のこと)
外を眺めてて。なんかどうもブイブイ言わし
ちょったおばちゃんみたいな感じやった。
康:そうそうそう
--「こんなとこ何にもあらへん」とか渋い
声で言ってさ、面白かった。
康:人間ってよくわかれへんけど、縁やなー
#noteはじめました #ライターはじめました #インタビュー #高木康子 #宮砥工藝舎 #竹田市 #かめポン #あのね文書室