高木康子さんインタビュー⑤「いま生きとるんが天国ちゃうかな、確かに」
・小さいとき、親に捨てられた
康子さん(以下・康):
今まで話しとって思ったんやけど……なんか
自分のテーマみたいなもんはないんかなと。
そしたらやっぱりほら、あの…小さいときに
親に捨てられてるやん。
だから(3年前)あのお母ちゃんを、最期に
この竹田へ連れて来たとき親戚のおばちゃん
やらが「何で、あんたが看なあかんねん」て
言うた。
皆がそういうぐらいあの人は、お母ちゃんは
わたしを愛してもないし何もせえへんかった
人なんよな。弟だけを溺愛していたから。
母親が家を出て行った時は全然覚えてない。
多分、2つ違いの弟が赤ちゃんだったときに
出ていってるから、かなり小さい頃から実の
父親と2人だけで暮らしてた。
で、アパートの電灯には、ひもなんかつけて
くれへんかったから…父親はサラリーマンで
夜暗くならんと帰ってけえへんやん。だから
真っ暗なんよ。父親が帰って来てから、電気
つけてくれるまで。
ほんで、夜の暗さがすごく嫌いやった。
そのうちにな…まあ父親に、女の人ができた
わけよ。で、その人がすっごく意地悪やって
…わりと、いろいろなことをされたんよな。
そうそう…裸で外へ放り出されたりもしよっ
たんよ。
…まあそれも今はかまへんのやけどね。
その時は、ちょっとつらかったんやけど…。
・あたしは生きることを諦めた
康:そういう自分がまず覚えてるのが4歳か
5歳の頃。
そのずっと前に家を出て行ってた母親が一度
迎えに来たときのこと。
あたしが継母から幼児虐待を受けてるという
噂を聞きつけたんやな。
その時……彼岸花が川の土手にブワーっと、
真っ赤に咲いてたんよ。
家を出て駅まで行くのにね、その川を渡らな
あかんねんね。
ちいちゃいわたしがお母ちゃんの手を、こう
ぐっと握って駅までの道を歩いてたら…
隣のおばちゃんが「何しとんねん!!」って
言うて、走って追いかけて来て…
その人、全然知らん人やねんで?その、隣に
住んでるだけのおばちゃんが、その手を…
お母ちゃんとあたしが繋いでた手を…
こうやって、切り離したんよ。
「勝手に連れていったらあかん」て言うて。
その時にね…
あたしは生きることを諦めたんよ。
その瞬間覚えてる。「生きる」っていうのは
自分の思い通りになれへんねんなと。もう、
この世は、人間世界は、自分の思い通りには
なれへんなっていうのを思った瞬間やった。
・なんでも買ってもらったけれど
康:そんでまた継母とずっと暮らしとって。
学校に入ってから、1年生ぐらいの時に門の
ところで…お母ちゃんがわたしを見てたんは
覚えてる。
そのあと本当に引き取りにきたんかな。多分
継母と、折り合いがついたんちゃう?。
継母にいじめられてるのは、まあその、噂が
届く範囲やったからね。近所の人から聞いた
んかな?。そんで迎えに来た思う。それと、
お母ちゃんが多分新しいお父ちゃんと一緒に
なったんやなぁ。マコちゃんていう人ね。
弟とも一緒に暮らすことになったんやけど…
お母ちゃんはやっぱりあたしに「悪かった」
と思ったんやろうか…。あたしだけずっと、
なんでも買ってもらったんよ。
でもね、もう喋らんかったんよ、あたし。
マコちゃんにも…マコちゃんがどんなにね、
良くしてくれても「ありがとう」の一言も、
言えへんかったんよ。
もう、ひねくれまくっとったんよ。
今から思たら悪いことした。
マコちゃん、ええ人やったわ。
・「お前が書道クラブの部長や!」
康:その後またすぐ引っ越したんやろなぁ。
新しい小学校に行った時には、全然、学校が
面白くなくって。勉強も遅れてて、行っても
面白くないからさ。そやから、しょっちゅう
休んで家の裏庭、裏山とかを徘徊しとった。
あたしに何も言えへんかったわお母ちゃん。
そこは新興住宅地やってん。だからどんどん
こう、切り崩して行ってる感じ。
自分がよく散歩に行ってた川とか池とかも、
なくなったし。
ーーそれはどこやったんかな
康:(大阪の)富田林。喋らんかったからね
そやから友だちもおれへんかった。
そんでいじめられて、学校行ったら勉強でき
へんし。学校が面白くないからずっと、山に
行ったりしてた。
不登校みたいなもんやわな。
たまに学校行ったら保健室に入ったり…。
小学校5年生くらいのときに、クラブ活動が
始まったんちゃうかな。
先生からいきなり「今日から、書道クラブに
お前は入るんや!」て言われて。「へ?」て
思たら先生が「お前が部長や!」言うて。笑
ほいで、その先生と2人で書道をやったかな。
ちょっと変わった、ええ先生やったな。
ーー面白いな、先生の誘い出し方が。
康:そうそう!笑。
他に部員なんかおらへんねん。わたしだけ?
みたいな。
まあ気にしてくれとったんやろうな。
でね、小学校6年生のときに、たったひとり
「さっちゃん」ていう友だちができたんや。
転校生やった。
転校生って、はじめにみんなの前であいさつ
とかするやん?あたしは、さっちゃんの隣の
席やったんやけど…。
やっぱり悪かったわー、大阪の子らは。
さっちゃんの座席の上に、安全ピンを逆さに
しとったんや。でそれをあたしはサッと取り
除いたんや。それで、さっちゃんと友だちに
なってん。
さっちゃんは転校生やったし、ものすご勉強
できたんやけど友だちおれへんねん。
ていうのは、性格がすっごい悪かったんよ。
ワハハハハ!!「タカビー」ていうんかな。
「はい、わたしが勉強できて当たり前ですよ
一番でーす」みたいな。ちょっと、ツンツン
してたわけよ。
小学校はそんな感じ。友だちは、さっちゃん
ぐらいやろな。
・入学式がチャンスかな、と思って
中学校行っても友だちはさっちゃんしかおれ
へんかった。んで勉強できへんかったから、
お母ちゃんが私学に入れてくれたんよ。
ーー高校が私立?
康:そうそう高校が私立。入るときに「この
まんまやったらあかんな」と、思ったんよ。
入学式がチャンスかなと思った。
入学式の時に友だちを作ろうと思ったんよ。
で「友だちになってください」って両横の人
に声をかけたんやな。
そっから始まったんかな。それから頑張った
んよ無理して、バカになるくらい。
高校から短大へは、エスカレーターみたいな
もんやったからそんなにすごく勉強せんでも
入れて。そこでなんかねー、小学校の時に、
お世話になったから保健室の先生になろうと
思って、養護教諭の資格とったんや。
そんで、ものすごいもう友だちできてんねん
で。わりと、いろいろな。
で、無理して頑張って頑張って頑張りすぎて
(最初の)結婚も間違ったけど…。
だから、それでブチ切れたんよ。
その、30ぐらいの時に。
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