高木康子さんインタビュー①「いま生きとるんが天国ちゃうかな、確かに」
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ーー何年前に竹田に来たんやったっけ?
康子さん(以下・康):
覚えてないわー、全然覚えてないわぁ。
イチから聴くのん?(どこか不安気)。
…28年前から大分。竹田は11年ぐらい前
ちゃう?違う?2009年って何年?平成
21年?22−11は?
あ、ほなちゃうな。
まあ、大体でいいわ、笑
ーー全然合ってない上に大体でいいんかい!
ーー以前は大分でも教室をやってたけど、
いまは宮砥工藝舎だけかな?
康:そうそう、今は宮砥だけー!
○アンナのおばちゃんとの出会い
ーー教室の始まりは?
康:結局な、最初は(1993年=平成5年頃)
大分市の鶴崎にあった「アンナの家」と
いうところで始めたんよな…。アンナの
おばちゃんが「機織り教室しいや」って
ゆうてくれて。(アンナのおばちゃん=
「アンナの家」のオーナー・溝口えつこ
さん=当時45歳くらい)
ーーアンナのおばちゃんとは何で知り合いに
なったん?
康:当時大分の街にあったダイエーの裏に、
面白い店があるって聞いてな、
(そこに客として)行ったんや。
多国籍民芸雑貨と駄菓子のお店。そこで
初めて出会ったんや。「アンナの家」は
お店とは離れたところにあったんやけど
おばちゃんの持ち家で、元旅館。使える
部屋がいっぱいあった。
おばちゃんはあたしとは10歳ぐらいしか
変わらんけど「おばちゃん」言うてた。
一番最初、教室のことがいきなり新聞に
載ったんやないかな。生徒さんが40人も
きたんや。
そこで教室を何年もやってた。
○「自分には無理です」て言うてた
康:アンナのおばちゃんて面白い人やねん。
…三浦順子ちゃん(聞き手)は、いつも
あたしのことを「突っ走ってる」ていう
けど…おばちゃんはその頃あたしにな、
10年先くらいのアドバイスをくれた。
で、いつもおばちゃんから「いま動かな
あかん」とか「いま走らんでどうする」
みたいな感じで言われていたんよ。
ほやけど、あたしは断ってた。
ーー断りよったん…
康:「無理です。今の自分には無理です」て
断ってた。おばちゃんは、それでも結構
辛抱強く待ってくれたんちゃうんかな。
結局おばちゃんのいう通りにはならへん
かったけど。
○時空を超えて生きているような人
康:おばちゃんは、時空を超えて生きている
ような人やった。とにかくそこに留まら
へんねんな。あたしには小さい子どもも
おったし…「機織り教室をやりなさい」
ってアドバイスしてくれたけど、あたし
は当時住んでいた清川村から、のこのこ
出て行かなあかんかったんよな。
(注…清川村から大分市までの距離は約
50㎞・康子さんは運転をしないので、子
連れでの移動は結構大変)でもアンナの
おばちゃんからしてみたら、その距離感
っていうのは大したことないねん。
実際、おばちゃんはさ…自分の子どもが
小さい時、旦那さんに任せて中国大陸に
渡ったんやて。それから、今はタイにも
家があるし。「子どもは自分で育つ」て
…そんな感じ。すっごい言うてることが
奥が深かった。せやけどあたしは自分の
実家もこっちにないからか、どうしても
やっぱり、ここに根を張る方向にいく。
だから引きこもるやん。出かけることが
そんなに好きでない。かといって家庭を
かえりみるわけじゃないんやけど。
あんまり動きたくなくって、教えにいく
よりも自分の創作とか、そっちのほうに
いきたい感じやったんよ。
○あのーすごく低いレベルでな、笑
康:おばちゃんは起業家で、自分ではものは
作らない。…真逆やったんよ。あたしは
というと自分の作る洋服は一点もので、
自分のオリジナリティーを追求して人の
ものまねをしないことがポリシーなんや
けど、おばちゃんは、縫製は人に任せて
デザインは(売れ筋の商品などを)研究
したりして売る。「そうすればちゃんと
生活できるから」って、アドバイスして
くれとったんや。
たぶんね、おばちゃんのアドバイスで
やってたら食べていけてたと思うわー!
フフフフフフ!
ーーいま食べていっちょんやんか〜
康:あのー、すごく低いレベルでな、笑。
なんか「生きてる」て感じ?それこそ、
今年もまだ展示会とか半年しか決まって
へんで?毎年そんな感じなんやで?
先のことは分からへんねんで。
でも…たぶんな、あたし、なんかこう…
ちっちゃい時から結構お金は与えられて
たんや。
「こんなん買ったらあきません」とか、
セーブされたことないから、あんまり、
貧乏を貧乏やと思ってないとこあんねん
なぁ。だけどまあ、すっごい貧乏なんや
と思うんよ今も、笑。
せやけど…、お金が嫌いていう訳でも、
好きていう訳でもなくって、
なんていうのかな…、執着があまりない
んやなー、きっと。
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