初めて人になれた大晦日
生まれ育った大阪の地に帰ってきた。
家族、友達、たくさんの思い出がある上で長い年月をかけて人々は変化し、土地も変化する。
実家といえるものはなく、母親が新たな家庭を築いている家にお邪魔する。こちらのパパも優しく、何も不便なく気楽に過ごさせてもらっている。
父子家庭で育ててもらったお父さんは一人で再婚はせずとも悠々と暮らしている。
久しぶりに会った高校の友達には子供が生まれ、すっかりパパになり、地に足をつけて生活している。
こちらは地に足をつけるどころか、毎度帰るたび、まずわかりやすく容姿が変わっている。
太っていたり、筋肉質になっていたり、髪が長くなっていたり、髭が生えていたり。
どこで暮らそうも定住することはなく、好奇心のままに身体が動き、色んな場所を転々としている。
自分の中では人体実験のように、試行錯誤して、色んな土地の要素を身体に取り入れて、どこでも暮らしていけるように迷いながらも進みたい道へ進んでいるのだが、やはり周りからは心配される。
今に始まったことではなく、かれこれ10年くらいは好きなようにさせてもらっている中で、周りからは悪気はなくとも、とやかく言われることが多いのだが、今年ようやく全く気にせず吹っ切れることができたように感じる。
挨拶程度に大丈夫か、元気か、と言ってくれる周りの意見を必要以上に気にしていた自分がいなくなっており、彼ら彼女らがしっかりと地に足をつけて土地と共に生活をしている話を聞くのは、とても心地が良く、本当に心の底から尊敬できた。
周りはわかってくれないと孤独になってイライラしていたようなものは、自分自身が勝手に作り上げたものであって、周りで一緒に食べたり飲んだり遊んだりしてくれる家族、友達は今も昔も何も変わらず対応してくれていることの有り難さをようやく身に染みて感じれるようになった。
それに対して恩返しをできることがあるのなら、自分は彼ら彼女が立派に生活をしている様子を側から見てみたり、一緒に歩いてみたりすることによって感じたものを表現し、彼ら彼女らの生活の中の5分でも彩るようなことができたら本望だと思う。
ただいま、と帰る場所がたくさんあり、おかえり、と言ってくれる人がたくさんいる。
寂しくないと言ったら嘘になるのだが、先の見えない楽しそうな未来を切り開いていくには、これからも周りには心配されながらとことん突き進んでいくしかないことを改めて感じた。