それでも俺は活きていく。
「一人の作業員が今朝、自決しました」
作業前のラジオ体操を終え、朝礼が行われた後、各自工程へ向かい、工場全体に轟くように鳴る鐘の音と共に足元のベルトコンベアーが動き出し、作業が始まるはずであった。
朝礼後、一つの係にあたる各班の作業員総勢三十人ほどが係長席の前に集められた。
本来なら課長が出てきて、事のなり行きを説明するのだが、コロナウイルスの影響でなるべく集団行動は避けたいとのことから、課全体ではなく各係長から少数規模に分かれて発表するとの前置きがあった。
早番作業が始まる三〇分前にあたる、午前六時に同じ課に所属する作業員が自決したことが判明した、と一枚の紙に記載された事実を左手で震えながら紙を持つ係長の口から発せられた。
自分と同じ寮に住む方が自決したという衝撃的な知らせに絶句し、このような悲しい出来事が今後起こらないように先ずは相談してください、との内容を係長が提言し、一分間の黙祷が行なわれた。
事実、黙祷がなされる前の係長の言葉から既に脳内では何故、どうして、驚き、等の様々な感情が入り乱れており、黙祷が始まった際には、変に何かを想おうとするあまり、遠くからギシギシなる機械音だけが耳の中に響くだけであった。
黙祷後、通常より十分ほど遅れて作業が始まる。
自工程に入り、作業準備をする、いつもと変わらない手順の中でいつもと変わらないことが非常に切なくなり、どうしようもない気持ちが胸の中を右往左往していた。
「相談乗るよ?」
ぼんやりとしていた自分に向かって、横の工程にいる作業員Sが係長の言葉を使って茶化すように言葉をかけてきたのに対して、怒りを通り越して悲しくなり、ただただSの顔を見て息を吐くことでしか返事ができなかった。
自分は二十代後半から不定期に心に暗雲がかかるようになり、自身の身体を傷つけるように不健康な食事を摂ったり、入浴せずに不衛生な状態にさせることが度々あった。
軽い自傷行為の末、誰とも会いたくなくなり、一、二週間引きこもりになり、先ず相談、誰かに言ってほしい、ということは順番的には一番最後にようやく勇気を振り絞って出来ることだということもわかっていた。
周りにいる人からしたら、最善策として、言ってほしい、相談して欲しいと口にすると思うのが当然で、こちらもそのような状況になれば何も考えずに口から出ているような言ってしまえば一番無難な言葉である。
その言葉の重みとそれに応えることのできない悲しみとが一気に伝わってきて、顔も名前も知らない故人を偲ぶ涙が溢れ出し、周りに見えないように深く作業帽を被り、いつも通りプラグを嵌め、ケーブルを通し、クリップを付けた。
一、二時間淡々と作業をしていく中で気持ちも穏やかになっていき、自身が悩んでいた際にはどのようにして人に相談するまでに至って、そこからどのように心がけているかを考えてみた。
引きこもり生活は誰とも会いたくない気持ちから外に出るのも億劫になり、日中誰かに遭遇する可能性もある時間は出前や近くのコンビニで食事を済まし、大量のアルコール飲料を買って、テレビやネット番組等の流し見できるような比較的メッセージ性の強くないものを選び、一日が早く終わればと時間を使い、ようやく深夜になり、お酒も切れてきた頃に、人気のない夜の道を安心して歩くことができていた。
何気ないようなテレビ番組やネット番組の中にも、人間模様に垣間見える力は至る所に散らばるようにして含まれており、それを目の当たりにしては涙し、明日こそは明日こそはと、仕事に行く、友達に会う、相談する、という手順を踏んでいた。
一度誰かに言えて、自身を少しでも肯定することができたなら、気持ちは晴れやかになり、元の日常生活に戻れてはいたものの、やはり何かのタイミングで気分が落ち込むことがあると、また元の木阿弥となり、散々このような状態を繰り返す自分自身を責めるばかりで現状を打破する余地が見つからなかった。
結果的に病院には行っておらず診断を受けてはいないが、いわゆる人に言うのであれば、うつ病や精神疾患の類いだと言えば認識してもらえるであろうか、それに乗じて嵩んでいった借金のこともあって、現実から逃げるように、ある意味受け入れるかのように、期間工に辿り着いた。
人里離れた田舎の自然に癒され、心の余裕を取り戻すほどの賃金にも恵まれ、以前のような引きこもり状態になることはなくなったが、やはり油断すると気分が落ち込んでしまうような瞬間はあり、この神経衰弱というものは打破するのでなく、一生付き合っていかなければならないものだということがわかった。
自身の中に流れるすぐに腐ってしまう水を活き活きと保つには、人間のパワーに触れることが重要で、自身を飽きさせないような様々な種類の芸術類、本、映画、音楽、絵、等をもって、土台を作った上で、矛盾に溢れた外の世界に挑むように自身を貫く英気を養っていく必要があるということもわかった。
約三時間の作業を終え、昼休みになり、流れるように食堂へ向かう作業員の群れに混ざり、いつもは他人との距離の近さにうんざりしていたものの、今日はそれすらも柔らかい人肌に包まれているようかのようで安心し、今日朝一で聞いた訃報に関することを誰か話していないかと雑踏の中に耳を傾けていたが、誰それとその話をしているような人はおらず、いつも以上に食事に感謝をしながら、ミックスフライに見える生の有り難みを噛みしめるようにして頂いた。
昼過ぎの作業が始まり、徐々に作業員Sとの間に張っていた薄い膜のようなものも取れ始め、何気ない会話の中から自決に関する詳細がベルトコンベアーに乗って運ばれてくるかのように耳に入ってきた。
どのような方で、どこで、どういう風に、朝一に聞いた衝撃こそなけれど、心の中のモヤモヤしたものを拭うことはできず、それがきっかけかはわからないが、自工程で取り付け不良を指摘されミスをしてしまったことが判明した。
「何かあったら何でも相談乗るからな〜」
朝一に作業員Sに言われたのと同じように、班長が笑いながら茶化してくるのに対し、本当に残念な気持ちを堪えつつ、笑顔で、はい、と答えた。
以前、話の流れで自分が文章を書くのが好きだと班長に伝える機会があって、植木賞取るやつで破天荒な奴いたからお前ももう少し派手な髪にしたらどうや、と班長が直木賞のことを植木賞と言った日のことを思い出し、日々の何気ない会話の中で、知に対する劣等感かひたすらに学歴や肩書きを気にする班長に多少嘆く気持ちもあるが、ここを腹に噛み締めて生きていかないと、苛立ちや焦燥が自身の身に降りかかってくることも思い出した。
いつも通り残業一時間込みの約半日の労働がようやく終わり、作業員Sと寮へ帰る。
もっぱら話題は自決した方についてで、事故現場でもあり、自分達が住む寮が見えてくると、いつもの寮の様子が何かいつもとは違うように見え、棟全体をぼんやり見ていると、前方からパトカーが赤いランプを点灯させたまま徐行し来るのが見え、こちらが左折して寮に向かう道を同じくパトカーは向かいから右折した。
寮の前に止まったパトカーから警官二人と、後部座席から社の作業着を着た目撃者なのか友人なのかが降り、寮の玄関へと入っていった。
「部屋に残っているものを、、母親から、、」
寮監と警官との会話を盗み聞きするように、横を素通りし、社内で聞いただけであった話がより現実味を持って、作業員Sと自分の頭上に降り注いだ。
Sは四階へ、自分は三階へと別れ、自身の部屋に入ると、朝一から誰かしらに囲まれていた安心感が一気に消え、何とも言えない寂しさや孤独感が襲ってきて、足早に大浴場へと向かい、たっぷりと湯船に浸かったあとに、頭を冷やすように冷水を浴びた。
少し不安な気持ちも残したまま、床に就くと、翌朝には何事もなかったかのように陽光が燦々とカーテン越しに部屋に差し込み、晴れ晴れするという気持ちはないものの、新しい一日がすぐそこにあった。
寮内では特に掲示物がある訳でもなく、普通の休日として迎えた土曜日の朝、食堂で朝食を済まし、散歩しようと外に出向くと、寮の外の壁際に二束の献花が置かれているのを目の当たりにした。
真新しい包装に包まれた二束の献花は目一杯太陽光を浴びるようにして壁に立てかけられており、包装からはみ出した白い百合の花がそよ風に揺れている様子を見て、自身の心もそっと触れられるようにして揺れた。