小説企画~一週目~
企画の名前ダサすぎる。
主旨はマガジンや今までの投稿をご覧ください。
本文
会社を辞めた。もう2カ月ほど前のことになる。正当な理由があったのだ、誰に何と言われようと「会社都合」の一点張りをしたところで、別に何の問題もないだろう。原因は上司からのパワハラ、同期からのいじめだった。いじめに関しては、自分自身の対人関係の下手さが招いたものだろう、と割り切ることもできたが、憂さ晴らしにそう言い張った。小さな世界で生きていくのは苦手だ。自分はこんなところに収まる人間ではない、いや、人間ですらないのだ、と悟って落ち着いた。僕は神なのだ。唯一神とはさすがに言えないけれども、僕が今いる町、歩いている道は、寝転がっている芝生、それを支えている丘は、僕が創造したものだ。こうやって町を見渡してみると、民たちの様子がよく見える。神は謙虚に、皆様を見守っております、という気持ちで隅々を見渡した。二カ月前はあんなに縮こまっていたのに、今は寛大になって背筋も伸び、当時と比べたら20センチくらいは背が伸びているのではなかろうか。まぁ、健康診断もないし測るタイミングなんてないのだけれど。神としての僕なら、あのパワハラ上司のことも許せるだろう。許せると同時に憐れむかもしれない。家庭では肩身が狭いのですね、とか節約節約で禁煙を強いられているのですね、とか。
僕に金銭的余裕があるかと問われれば閉口してしまうだろうが、時間的余裕というのは、本来の能力を引き出す力があるのだなと気づいた。そして僕は無職ではない。民を見守る神として、立派に職に就いている。
丘のうえ公園からは、街並みのほぼすべてが見渡せる。CMなんかでも使われる、誇り高き公園だ。丘の下にある小学校からここへ遊びに来る、と言えば聞こえはいいが、実際には荒らしに来る、小学生もおらず、基本的には朝から晩まで、穏やかな時間が流れている。贅沢なものは何もいらない、シンプルに、素朴に生きていけばいいのです、と心が浄化され、僕の体の芯にある何か清いものが芽を出した。言わずもがな、これが僕の神たる所以である。
この街にはもう一人、神がいる。一七時半になるかならないかくらいを目安に、その女神はやってくる。いわゆる、女神というイメージとは違う。非常に親しみを持てる外見をした、「鳩おばさん」を想像してもらえばよい、そういう見た目の女神だ。僕は神だからわかる。彼女は神の一人であると。
「今日もいっぱい持ってきたからねー」
と呼びかけ、油の切れかかった自転車を止めると、散り散りになって電線やイチョウの木に止まっていた鳩たちが一斉に集まってくる。一七時台になるとそうやって待機の姿勢を取っている鳩の目はどれもぎょろ付いていて、畜生、の二文字を思い浮かべずにはいられない。それでも糞なんかは別のところでしているらしいので、礼儀正しさという面での知能を感じられる。あの女神の力なのかもしれない。礼儀を鳩に教えたのだ。
女神の周りにはきれいなキジバトが集まり、投げられた食パンの耳をついばんでいる。彼らにとっては日々の主食であろうが、他の町に住む鳩からしたら大層なご馳走だ。その光景を見るたびに、感謝するのだぞ、と心の中で唱えている。最前列に並んでいた鳩は、食べたい分を食べると、その場所を他の鳩へ譲る。うつくしきかな…。見事な輪の力である。僕にはそんな統率力はないなぁとたわんだ電線に整列した土鳩を見て思う。女神はその様子を、にこやかな視線で微笑ましげに見つめていた。
土砂降りだ。大きめの傘をさしていても、足元はぬかるみ、容赦がない。でも、ここで「僕は神様だぞ」という態度を取っては神失格である。ここは科学的に、大気の動きだとか熱帯低気圧だとかそういうことについて考えてみよう。大雨の中の町は、ほとんど何も見えやしなかった。何だか埋もれていってしまっているようで不安だ。全身ほぼずぶぬれになりながら、暇に埋もれている。午前一〇時、まだ今日は始まったばかりだ。ザーザーというひどい雨音の中を、泥になった土を慎重に踏み締める音が聞こえた。振り向くと、小学校高学年くらいのおかっぱ頭の子供の姿。黒いランドセルが水をはじいているが、側面の隙へは雨水が入り込んでいっているように見える。中にしまわれたプリント類や、ノートなんかはもう水が染みているだろう。文字も滲んで、判別不可能になっているかもしれない。
「何しに来た」
民よ、という言葉を飲み込んだ。この子供に、僕が神様だということを信じさせるのは簡単ではない気がしたのだ。子供はうつむいたまま、何も答えない。
「学校へは行かなくていいのか」
どうしてこんな詰問口調になってしまうんだろう、と僕自身落ち込んだ。子供の相手なんてわからないし。でも、より高尚な神になるには必要な試練だと思い、子供の出方をうかがった。
「…大丈夫か?」
そう聞くと、子供は首を振った。僕はそれ以上言葉が出てこず、雨音のおかげで一切沈黙ができないことに安心してしまうのが情けない。ベンチだとか柵だとか、いつも腰かけているような什器は座るや否やびしょ濡れの箇所が増えるだけの毒沼状態で、なんとなく突っ立っていた。子供はずっとうつむいていて、何やら考え事をしているようだった。沈黙よりは長いこと耐えられたはずだ、そう思って公園の時計を見ると、まだ10時を半分も過ぎていなかった。
「いいんです」
「は?」
「学校行かなくても、いいんです。芸能人だってそうやって成功している人はいっぱいいる」
子供も、行き場はここくらいしかないのかもしれない。先にこのどうしようもない空気感をどうにかしようと動いたのは子供のほうだった。大人だ。神より大人な子供っていうのは、なんなのだろう。
「そ、そうだね…」
ここ二カ月、誰とも何も話していない成果が見事に出た。
ではまた来週
スタートダッシュはいかがだったでしょうか。
僕はまだ何とも言えません。
みなさま、よろしくお願いいたします(何を)。
毎週見に来てくださると幸いです。
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