ドジっ子メイドの老後手前
もともとアンバランスな身体でありますところへ赤いヒイルなど履くものですから、危なかしくフラフラ揺れる。あちらこちらへフラフラ揺れるものであるから、しょっちゅうお皿を割っては叱られお水をこぼしては叱られて、それにくわえてぼんやり屋さんであって、お給仕中に心がおさんぽに出かけては言いつけられたこともすぐに忘れる。はわわ。養成学校の同期メイドたちは次々就職先のおうちが決まってゆくのに、僕だけいっこうにどこからも選ばれませんでした。不器用でもそそっかしくてもせめて愛想なりとも良ければねえ、と養成学校の教官は溜息をつきます。自分では一生懸命愛想をふりまいているつもりであるのですが笑顔が上手く作れていない。教養も機転も無いものだから会話もつづかず、ご主人様候補のお客様が話しかけてくださってもすぐに皆さんをしらけさせてしまう。
「教養なんてなくていいのよ、ご主人様のお話を聴いてしっかり相槌を打ってさしあげれば」
「せめて赤いヒイルを止して、もっとしっかり立てる靴に替えてはどうかしら」
同期メイドは皆親切で、こんな僕を苛めるでもなくさまざまに助言をくれましたが、お話に相槌打つうちに我知らず別のことを考えはじめてぼんやりしてしまうし赤いヒイルはどうしても脱ぐ気になれません。どうにも就職先の決まらぬままに、今日もあちらこちらへフラフラと給仕し何もないところで転びそうになった手首を、はっしとつかんでくれたのがご主人様でした。
「さっきから見ていたが、あまりにも危なっかしい。君はもう就職先は決まっているのか」
失礼しましたそのメイドはどうにも粗忽者でして、と謝る教官を遮って、
「まだ決まっていないのなら、うちへ来てはどうだろう」
と仰ったもので、教官は吃驚、同期メイドたちは拍手、てっきり叱られるとばかり思った僕は呆気にとられ、こんな申し出はまたと無い、ご主人様の気が変わらぬうちにと焦る教官たちに追い立てられ、その日のうちに就職することと決まったのでした。
荷造りの間もなくとりあえずたったひとつの私物である赤いヒイルを履いて、フラフラついてゆく僕にご主人様は、
「本当に誰からも指名は無かったのか」
と何度も尋ねました。
「恥ずかしながら。僕はずいぶんドジなものですから」
「ドジで、危なかしくて、何もないところで転ぶような可愛いメイドなど、魅力的で誰も放っておくはずがないんだが」
僕は驚きました。これまでさんざん教官に叱られて周囲に迷惑をかけてきたのに、それが可愛いと評されるなど、考えてもみなかった。そうはいってもすぐに放り出される覚悟はしていましたが、ご主人様は、本当になんでも許してくれたのです。
翌朝、初めて作った朝食で、早速トーストを焦がしてしまいました。
初めてのお仕事なのだからしっかりしなくちゃと思ったのに、焼いている最中にふと考えごとをしてしまったらば、気づけばふあふあの食パンはカチカチになっていたのでした。
「これは炭だね」
「御免なさい。焼いている最中にふと、蛹になるときの蝶の幼虫の気持ちはどんななのだろうと考えていたらば、炭になっておりました」
「最高だ、面白い、やっぱり雇ってよかった」
僕はまた驚きました。食パンを炭にして誉められるとは思わなかった。
翌日は、お砂糖と間違えてお塩たっぷりのパンケーキを焼いてしまいました。
「なんて古典的なドジっ子ヒロインのミスなんだ」
とご主人様はメタ発言をしました。
「御免なさい。お料理の最中にふと、スズメバチたちは間違ってお互いを刺したりしないのかしらと考えていたらば、うっかりと」
「良い、良い、がんばって作ったのだから」
はは、これは塩分過多だよ、おいおい私を殺す気かい、と軽口で揶揄いながらもご主人様はしょっぱいパンケーキを嬉しそうに召し上がってくださった。なんてやさしいご主人様でしょう。なんとよいおうちに就職できたのでしょう。
毎日毎日、お洋服にお紅茶をこぼしても、絨毯に珈琲をこぼしても、おつかいの最中にうっかり猫のしっぽを追いかけて買い物を忘れて戻ってきても、仕方ないなあと許してくださった。ご主人様のコンピュータにお水をこぼしたときだけは、「ああ、データが全部あぼーんじゃないか」と少し苛立ったご様子であったけれど、お掃除のたびに花瓶や壺を粉々にしても、お仕事のスーツをアイロンで焦がしてダメにしても、「それでこそだ、雇った甲斐があった」「こんなメイドは他にいないよ」と言ってくださるのでした。
ご主人様はいつもいつも許してくれたのでしたが、いつからでしょうか、ときどき、突然「キレる」ようになったのは。
あれはいつものようにお紅茶を運んでいたときだったか、ふと、狼たちのお祭りでは綿菓子のかわりにふわふわのひつじの夜店が出ているのかしら、と考えはじめてしまったらば、またも何もないところで転んでしまったのでした。いつものように、濡れてしまったご主人様のお膝をはわわわとレエスのハンカチで拭おうとしたとき、
「ふざけるな」
といつもの優しげなお声より幾分低い声音が聞こえ、僕は耳を疑いました。
「いつもいつも、おまえはそうやって。何をしても許されて。フラフラ動いてドジをやらかしているだけで可愛い可愛いともてはやされて愛されて。ちゃんとした人間が、普段どれだけ気を張って苦労をして生きていると思ってるんだ」
言われてみればたしかに申し訳ない気持ちになりました。その通り、誰も必死でちゃんとしているというのに、僕はちゃんとしていないことで可愛がっていただいているのですもの。しかし、よくよく考えてみれば、可愛がっているのはご主人様ひとりだけではないですか。僕を許しているのも愛しているのもご主人様だけであるはずのに、ご主人様は、己によって許され愛されている僕に、己自身で嫉妬しているのでした。
それからもしばしばご主人様は、突然癇癪を起こすようになりました。いえ、普段は以前と変わらず優しいのです。僕の失敗を笑って許しては、
「仕方のないメイドだなあ」
「でも、そこが可愛いところだね」
「ああ、また塩と間違えたね。こんなに甘ったるいスパゲティは、喫茶マウンテン登頂時以外に食べたことがない」
と頭を撫でてくれるのですが、ふと、お部屋中に珈琲豆の袋の中身をぶちまけてしまったときやコードに躓きコンセントをひっこ抜きコンピュータの電源を落としてしまったときに、
「いつもいつも、どれだけぼんやりしてるんだ、ふざけるな」
と怒鳴り、ついには、
「わざとやっているのか? 可愛いと思われたくて、わざとドジをやっているんじゃないか?」
と詰問するようになりました。
そう言われれば、わざとやっているような気もしてきました。そうか僕は可愛いと言われたくて、わざと失敗をしていたのだろうか。そう気がついてちゃんとしようと気を張れば、たしかに数日は失敗をせずにいられて、やっぱり僕はわざとやっていたんだ、実はちゃんとできるんじゃないか、と思えてくるのですがそう思えてきたところでやっぱり、ひっくり返し忘れたハンバーグの片面をひどく焦がしてしまったり、考えごとをしてたまねぎと一緒に刻んだ指先の血で俎板を真っ赤にしてしまったり。やっぱりドジなのは生まれつきみたいです。とかく、そんなふうにときどき起こるご主人様の癇癪をなだめるのも僕の仕事になりましたが、どうやってなだめていたかはもう覚えていません。記憶力も悪いもので、嫌なことは忘れてしまうのです。
もっと分からなくなったのは、ご主人様のおでかけに連れられて、都会のメイドカフェに行ったときからでした。
こんなところにそんなお店があるのかしら、と登っていった雑居ビルの階段の四階の扉を開けると、夢のように可愛いミントグリーンの壁紙と薄桃色のカーテンで飾られたティールームが広がっていました。迎えてくれたメイドたちはお花のように咲い、僕たちをソファへ案内しました。普段はメイドである僕も「お嬢様」などと呼ばれて落ち着きません。
メイドたちは皆、可愛く綺麗で洗練されたメイドたちでした。僕は、それぞれにどこかで働いているであろう養成学校同期のメイドたちを思い出しました。注文を取りにきてくれたメイドは、つやつやの髪に白いヘッドドレスがよく映えて、くるんと巻いたツインテールの先から桜色の爪の先まで可愛らしく、おまけに明るい声で笑顔が眩しく、僕は自分の皺だらけのエプロンや、古くくすんだワンピースに足もとだけ浮いている赤いヒイルが恥ずかしくなってしまいました。
そんな僕にも愛想の良いこの娘は、さぞかし優秀なメイドなのであろうと思いきやしかし、お料理を運んできた彼女はなんと僕たちのオムライスを、綺麗なトランプ柄の絨毯の上に突然ぶちまけたのでした。
「失礼しました、ご主人様、お嬢様っ!」
可愛らしい声で謝るメイドを、同じドジとしてハラハラ見守りつつ、ハッとご主人様のほうを見やると、ご主人様はいつもは僕にだけ向けてくれる優しい微笑みでそちらを凝視しています。気づけば、お店のあちこちでガシャンバシャンという音とメイドたちの謝る声が聞こえます。
「フォークを落としてしまいました、ご主人様、失礼しましたっ!」
「お洋服にお水をこぼしてしまいました、ご主人様、お拭きしますねっ!」
メイドたちがドジをするたびに、店内のご主人様たちは目を輝かせてそちらを観ます。メイドたちが落としたフォークを拾ったり、こぼしたお水を拭ったりするさまを、みな目を細めて微笑ましげに眺めていて、僕のご主人様も嬉しそうに、あちこちで繰り広げられるドジっ子メイドたちの姿態を鑑賞していました。
「よいカフェだったね」
帰り道、夕方の並木を歩きながらご主人様はうっとりと言いました。
「役に立つことばかりが評価され合理性に追い立てられる現代社会において、ダメでも存在していていいんだと思わせてくれて心を癒す、そんな場所が必要なんだ」
それを聞くと僕は分からなくなってしまいました。僕はもっとしっかりするべきなのか、このままでいいのか、あるいはもっと、今以上にドジをやらかしたほうがいいのか。
分からなくなって心が混乱すると、これまで以上に意味の分からないミスをしてしまいます。ふとぼんやりと、ひっくり返ったまま起き上がれなくなった亀はどんな夢を見ながら死んでゆくのかしら、と考えていたらば、誤ってご主人様のSSRカードコレクションを水浸しにしてしまいました。あるときは、ふとぼんやりと、アスファルトに変わった土の下にいた蝉の子は地上に出られず意識だけ大人になるのかしら、と考えていたらば、お仕事に必要な書類をぜんぶ古紙回収に出してしまいました。ご主人様は相変わらず、仕方ないなと僕を許しては「そんなところが可愛いのだから」と言ってみたり、かと思えばまたもや「どれだけぼんやりしてるんだ、わざとやっているのじゃないのか」と責めてみたり。ご機嫌は忙しく変わり、ときには、
「こんなにフラフラとドジばかりして、私が雇わなければどうなっていただろう」
と心配そうに言います。初めて出会ったときは「こんなメイドは誰も放っておくはずがない」と言ってくれていた気がしましたが、記憶違いかもしれません。
僕が不安そうな顔をするとご主人様は、
「大丈夫。けっして解雇などしないから。私がいる限り心配はないから」
と仰るのですが、そう言ってくださるのは嬉しいけれどもより不安でもある。だって、それなら、ご主人様がいなくなればどうなるのでしょう。
或るときご主人様が突然倒れ、それきり立てなくなりました。血管のどこかが詰まったのだそうです。ご主人様に他に係累はないことを初めて知り、自然僕が日々の介助をしなくてはならなくなりました。お医者様が毎日来てはくださるもののずっといてくれるわけではなし、朝晩のお世話は僕の仕事になりました。お身体を拭いたり、お着替えを手伝ったり、決められたお薬を飲ませたり点滴を取り替えたり。これまでのご恩を返さなくちゃと僕にしては張り切っていたのですが、あるときふとぼんやりと、神様にもお尻の穴があるのかしらと考えていましたらば、点滴に誤って毒薬を入れてしまい、ご主人様は亡くなりました。はわわ。
ご主人様がいなくなり、僕は独りになりました。
幸い僕の失敗は何も追及されず、葬儀もひっそりと終わりましたが、当面の生活をしてゆかねばなりません。失業保険も出ませんしご主人様の財産は介護生活と警察に要求された賄賂とかいうもので使い果たしましたから、お金を稼がなくてはなりません。いつもの赤いヒイルでフラフラと、メイドハローワークへ行ってみたものの、僕でも勤まりそうな勤務先はなかなか見つかりませんでした。
担当者は困った顔で、
「今はメイド養成学校から新卒メイドがたくさん輩出されていますから」
と言いました。
「ベテランメイドでも、スキルがあれば求人があるのですが、貴女は長いキャリアはおありなのにスキルのほうが」
ご主人様のもとでもっとしっかりするべきなのかダメなままでよいのか悩んでいたあの頃、前者を選んで必死に修行していれば、今ごろ立派なベテランメイドになっている道もあったのでしょうか。しかし僕はドジっ子メイドからドジ成人メイドになり、今ではドジ中年メイドでした。
職を得られぬまま家に帰るとご主人様の声を聴いて自分を慰めました。いつかこんな日が来るのではと思ってはいましたから、かつてこっそりご主人様の声をレコーダーに録音していたのでした。先のことをあまり考えられない僕にしては、賢い判断であったと思います。レコーダーの再生ボタンを押しご主人様の声に耳を傾けます。まるでビクターの犬のように。
「なんと可愛い、面白い、本当に雇ってよかった」
そうですよね。
「仕方ないな、ドジばかりして、でもそんなところが可愛いのだから」
そうですよね。
「わざとやってるんじゃないのか」
違いますよ、わざと毒薬を入れたり、するものですか。
「こんなメイドは他にいないよ」
メイドハローワークに通い続けるうちに、シルバーメイド専門の求人を紹介されました。
「まだ少しご年齢が足りませんが、職場の方針はぴったりではありませんか」
と担当者は嬉しそうに言い、すっかり食い詰めてしまう前にとその職場へ勤めてみることとしました。老齢のメイドたちがそこでは雇われていました。ご主人様はお若い方でしたが、もともとおばあちゃん子であったため老人メイドが好きなのだそうです。僕はシルバーメイドたちの中では最年少で、まだ老人とはいえませんが、敏腕担当者が上手いこと口を利いてくれたようでした。
シルバーメイドたちはしょっちゅう、物忘れをしたりフラフラとよろけたり筋力の衰えによりモノを落っことしたりします。つい今しがた聞いた言いつけさえ失念してしまう人もいました。そのたびに、この職場のご主人様もお優しい方で、
「仕方ないよ、もう齢なんだから」
「おばあちゃんを思い出して、懐かしい気持ちになるよ」
とにこにこしながらメイドたちを許すのでした。
若い頃はさんざん笑われたり叱られたり可愛がられたりしてきた僕のドジは、歳をとると普通のことになってしまうようです。他のメイドたちも誰も、僕のドジを気にしません。誰もが失敗をしたって当然であるこの職場はとても居心地が良い、はずだったのですが、ひと月もすると僕は突然辞めたくなりました。
僕は、年寄りだからドジを許されるのでなく、僕だから許されたいのでした。僕は僕であることで特別でありたい。ご主人様から特別に愛され特別に許される、特別なドジっ子メイドでありたい。僕は突然職場を辞めました。 お仕事は、まだいくらでもあるはずです。
同じ頃、誤って、レコーダーに録音していたご主人様の声を消してしまいました。ふとぼんやりと、犬のしっぽはウソをつくことができるのかしらん、悲しいのに振ったり嬉しいのにしょんぼりさせたりすることはできるのかしら、と考えていましたらば、再生スウィッチと間違えて録音スウィッチを押してしまったのでした。聴き直しても録音されているのは、ガラガラという雑音と「はわわ? ご主人様の声が聞こえない? はわわ?」と不思議がる自分の声だけでした。鈴の転がるような自分の声は、こんなに可愛らしい声だったかしらとうっとりしてしまいました。
再び赤いヒイルでメイドハローワークに通い始めました。最近ヒイルを履くとフラフラするだけでなく膝がガクリと折れることがありますが、気にしません。敏腕担当者はさまざまな仕事をもってきてくれました。
「それほどドジでいらっしゃるなら、それを生かしたお仕事をされてはいかがでしょうか。履歴書によると、過去に、砂糖と塩を間違えた実績がおありとか。こうした古典的ドジは現代においてむしろ新鮮でしょう。またその結果新しい味を生み出したのですから、ドジも新しいものを産む有用性がある、イノベーション、ということでアピールできませんか」
なるほど、良いことを言う、と僕は感心しましたが、ふとご主人様の言葉を思い出しました。
「役に立つことばかりが評価され合理性に追い立てられる現代社会において、ダメでも存在していていいんだと思わせてくれて心を癒す、そんな場所が必要なんだ」
僕は黙って首を横に振りました。担当者は少し困った顔をしました。眉を下げると目じりに皺がよりますが、今は僕の目じりのほうがたくさんの皺が刻まれているのでしょう。
「では、貴女の考えごとを売るお仕事はどうですか? ついぼんやりと考えごとをしてしまうと言っていましたね。その考えごとを、たとえば物語にして売ってみてはどうでしょう。売れるかどうかは分かりませんが、好きなだけぼんやりできますよ」
僕は想像しました。蛹になるときの幼虫の気持ちを描いた物語、地上に出られなくなってしまった蝉の子どもの物語、お尻を持ったあるいは持たない神様を描いた物語、とても悲しいのにウソをついてしっぽを振ろうとする犬の物語。良いかもしれません。それは素敵なお仕事に思えました。しかし、僕は黙って首を横に振りました。
お仕事なんて、まだいくらでもあるのです。
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