ホル子のブラジャー紹介(最終回)25年間綺麗なままのブラジャー
ブラジャーにはいつか終わりが来る。肩紐やアンダーのゴムが伸びてきたら、それが終わりの合図です。程なくサイドベルトの生地が薄くなってくるので気をつけて。それがやんだら、少しだけ間をおいてカップがなんかベコベコしてきます。(……このネタってまだ通じるんかな?)
さて終わりになったブラジャーをどのタイミングでどのように捨てるか、はなかなか難しい問題です。捨てかねてベコベコになりヘナヘナになったやつを未練がましくまだ箪笥の奥に残していたりもする。下着というものの性質上普通に捨てるのに不安があり処理が面倒ということもあるが(私は昔に村崎百郎がゴミ漁りエッセイでパンティからその持ち主をあれこれ想像しているのを読んで以来ゴミ漁られを怖れているのです)、これまで拙乳(せつにゅう・乳をへりくだっていう謙称)を包んでくださったブラジャーさんをゴミとして無碍に捨てるのはなんとなく心理的に抵抗がある。なんなんでしょうねこの抵抗は。こんまりが「おブラ様」と呼んだように、私もブラジャーさんに何か人格(あるいは神格)を認めているのか? ブラジャーって衣類の一種にしては、針金が仕込まれていたりカップがゴツゴツしていたり衣類というより鎧的な要素が多いのも、タダ者でない感を醸している一因かもしれない。
……というようなことをSNSでブツブツ呟いておったら、フォロワーさんがワコールのブラジャー回収サービスというのを教えてくれた。不要なブラジャーをお店に持っていくと切手と引き換えに引き取ってくれて(※今は切手サービスは無いらしい)、集めて再生プラスチックとしてリサイクルしてくれるのだという。形が失われることに変わりはないが、ブラ専門企業の手を経て他のブラジャーさんたちと仲良く生まれ変わってくるのだと思えばなんとなく救われる気がしなくもなく、人形供養やお札の供養みたいにブラジャー供養のお寺を作ったら需要があるんやないか、などと考えた。
そんなこんなでヘナヘナブラジャーを思い切って捨てたり回収に出したりしてきた一方で、いつまでも綺麗なままのブラジャーさんがある。
深い葡萄酒色に黒い刺繍のこのブラジャーは、買ってから二十五年は経っている。だけれど全然傷んでいない。ほぼ着用していないからである。
たぶん十代の頃。当時たくさんあった若年女子向けの雑貨屋のようなところで見つけてうわあ素敵やな~と思ったものの、いったん買わずに通り過ぎ、再び見かけて買おうかな、と悩んだけれど結局買わず、数日考えてやっぱり買おうかな、とお店に行ったらば売り切れており、無いとなると無性に欲しくなり隣町にあった同じ系列の別の店舗へはるばると探しにいったら一枚のみ残っていたがサイズが合わない。カップもアンダーも自サイズより小さい。でもでも! やっぱり素敵やし! 痩せたり乳がしぼんだりしたら使えるかもしれへんし! と己に言い訳しながら購入した。当時はネット通販も発達しておらずネットで在庫を調べるとかできなかったのだ。その後痩せもせず乳もしぼむ気配がないため着用できないままであり、着用していないせいで綺麗なままであるから捨てる気にもなれず、長年そうして箪笥の奥に存在し続けており、長年存在し続けているせいでますます無駄な思い入れが増し、今でも箪笥を肥やし続けているというブラジャーである。
ブラジャーって(基本的には)他人に見せないにもかかわらずいや見せないゆえに、上に着る服では避けてしまうような装飾をこれでもかと詰め込むことができて箱庭的な浪漫がある。ときに宝石のようであり、鱗翅目のようであり、綿菓子のようでもあり、実用品でありながら鑑賞物でもあるのだ。……と思って自分を納得させています。
でもこのブラジャー、今見たらべつに普通だよね。いやたしかに赤と黒の配色は好みであり、チュール上の刺繍はまるでお姫様のお部屋のシャンデリアのようで、ささやかな黒いリボンも上品だ。でもまあ、似たようなデザインは他にもあるだろう。高価なものでもなくむしろ安物であった。なのになぜあんなに魅入られたようにこの子を欲してしまったのか。先日、何かのウェブ漫画を読んでいて「ありきたりな展開やなあ、何度見たことかこういう話」と思って他の人のコメントを覗いてみたらば、「なんという斬新な展開!」「こんな漫画は初めて!他に見たことない!作者は天才!」みたいなコメントが連なっておりエッと思った、ということがあった。エッと思ったのだが、そうか、この人たちは一回目なんだよな、と思い直した。自分が年若い頃、若者のファッションやら音楽やらにいちいち「俺らの若いときにも流行ったよ」とか「〇〇の焼き直しだなあ」とか言及してくる大人に、フーンと思っていたものだが、そうか、彼らはたしかに数回目だったんだ。そして私は今、数回目の側になりつつあるんやな。このブラジャーさんに魅入られたのは、何を見てもまだ「うわあああこんな素敵なもの他に無いよ!!」と思えた時期だったのかもしれない。
でも、そうして迷った末に買ったものは今見てもときめきを感ずるし良いものだ(だからこそ捨てづらいのだが)。それに、「大人になると新鮮な感動が減ってつまらん」みたいなことを言いたいわけではない。いくつになっても、一回目の、新しい体験はたくさんある。死とか。
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