乳との生活(下)
乳との生活(上)|村田亀餅 (note.com) より続
(シリーズ・乳と暮らす)
(5)
乳との生活が始まり、半年が経った。最近では、人間だった頃の妻の姿を思い出すことも減った。人とはなんと順応し易いものだろう、ずっと昔から乳と暮らしてきたような気さえする。花のほころぶくらいから、乳を連れて散歩に出るようになった。深夜に近所の公園まで歩いたのが最初だった。昨年までは妻と見ていた公園の桜を、乳と見上げた。叢雲の隙から差す月明かりを受けた乳は、花見酒を飲んだわけでもないのにうっすら桜色に染まり、こうして乳と暮らしていくのも悪くはないなと思えた。最近は、休日の日中に広い芝生のある公園へ出かけるようになった。もちろん乳はバスケットに入れてやり、他人からは見えないようにしている。さすがに俺も、乳とピクニックをする男は異様であることくらい知っている。子供連れや犬連れや猫連れの客はいても、乳連れの客は他にいないからだ。人目を避けながらそっとバスケットの蓋を開けてやる。五月の風とすこやかな日差しが乳に降り注ぎ、乳は俺にだけきこえるくらいの声で「も、も」と喜び、早くもうっすら日焼けしてしまった身体をふるふる揺らす。そんな乳の隣でビールを飲む。
(6)
今年の夏はひときわ暑かった。ある日仕事から帰ると、締め切ったリビングで留守番させていた乳が真っ赤に茹っていた。乳首もふにゃふにゃと形を失い、全身が溶けそうだ。触れると発火寸前のような熱さである。慌てて冷房を入れ、流し台に運んで流水で冷やした。乳は夏が苦手であるようだ。人間だった頃の妻もこんなに夏が苦手だっただろうか。つい去年まで一緒にいたはずなのに、最近はかつての妻との生活が上手く思い出せない。人はなんと忘れやすい生き物だろう。しかしそんな憂いの気持ちも、氷水を張った洗面器に気持ちよさそうに浸かっている乳を見ているとどうでもよくなってしまう。涼むと先端部が収縮して尖るのもまた可愛らしい。寝室に冷房を入れて眠る。独特の冷気の匂いが部屋を満たすと、乳もどことなく機嫌が良さそうだ。弾むように自分のタオルからまろび出てこちらへ戯れかけ、俺の身体の横をコロコロと転がる。そういえば妻も機嫌の良い夜はこんなふうにはしゃいでいた気がする。もうあまり思い出せないが。乳は俺の胸のあたりに乗り上げ、そこにぽむんと落ち着いた。冷たい。さっきまで氷水に浸かっていたものだからひんやり冷えているのだ。不意の冷たさに、瞬時にこちらの胸の突起も固くなった。そのとき、俺は己もまた乳を持つ者であることに気づいた。
(7)
最近ときどき考える。俺もまた乳を持っているのだ、と。妻が乳になってから、季節は一巡りした。ともに桜を見、茹だるような夏を乗り越え、また肌寒さがやってきた。朝晩着替えのために服を脱ぐと、軽く粟立った皮膚の中で、自分の乳もまたやや尖っていることに気づく。これまで、自分の乳に意識を向けたことはなかった。乳とは女性にのみ付属しているものだと思っていた。意識させられるようになった理由は寒さだけではない。妻、もとい乳は、相変わらずテレビの動物番組を観るのが好きだ。人間だった頃に選んだ赤いソファでぺんよりとリラックスしながら鑑賞しているが、動物の授乳シーンや乳の見えるアングルになると目を輝かす。いや、目は無いのだが、なんとなく輝いた乳になる。一年間乳を見てきた直観で分かる。妻(乳)にとって哺乳類の乳は皆仲間なのだなあ、と俺は思った。哺乳類とは面白い名称だ。哺乳を共通項とする大分類なのだから。互いにかけ離れたように見える生き物同士も、乳を以て同類に分類されるのである。そしてまた俺も哺乳類の一員だ。哺乳したことはないのに。そんなことを考えながら寝床に入ると、乳も俺の布団に潜り込んできた。一人で、もとい単体で寝るのが寒くなってきたのだろう。乳の尻がぽよぽよと頬を掠めていった。潜り込んできた乳は俺の胸のあたりに寄り添った。乳は心なしかうれしそうに、俺の胸の上でもぞもぞと身体を揺すっている。もう深夜なのに、これから愉快なことでもあるかのようだ。これも直観であるが、最近、俺が眠ってから乳は、俺の乳と会話をしているように思う。
(8)
目が覚めて、窓から差し込む光を感じた。月の光だ。まだ夜なのか。人の姿をした妻がいなくなったあの日もこんな月の夜だった。突然現れた乳におっかな話しかけたあの日は、もうずいぶん前のこと。今では乳は俺にすっかり懐いている。尤も最近思うに、乳は俺に懐いているというより、俺の乳に執心しているように感じるのだが――と、このところいつも俺の胸の上で眠る乳の様子を見ようとして、俺はハッとした。胸が無いーー!? あるはずの自分の胸がなく、眼下には白くぽよぽよした脂肪が広がっている。これは、乳ではないか!俺も乳になってしまったのか! しかし、こうなることは、ずっと前から分かっていたことのような気がした。ぽよぽよする俺に、別のぽよぽよがぽよぽよと弾んでぶつかってきた。乳だった。今や俺たちは互いによく似た二つの個体だった。彼乳(かにゅう)――新たに乳となった俺から旧来の乳を区別して指すための三人称――は、仲間になった俺を歓迎して、ぽよぽよと跳ねた。そうか、彼乳は夜な夜な俺の乳と語らい、俺の乳の自我を目覚めさせ、乳の世界に誘い、俺もまた乳に還元されたのだろう。いま、俺の意識を――いやもうこの一人称はふさわしくない――乳の意識を統御しているのは、もう脳じゃない。脂肪であり乳腺でありぷいっとしている突起である。脂肪と乳腺と突起の中に、次第に意識が溶けてゆく。最初からこうだったような気もする。やっと本来の姿になれたね、彼乳の声が、脂肪に流れ込んでくる。そうか、俺たち――乳たちは、連理の枝、比翼の鳥、一対の乳だったのだ。窓辺に並び、月の光に照らされたふたつの乳は、大きめの月見団子のようにほんよりと寄り添った。黄金の光の中でふたつの乳頭はてらてらと輝き、接吻――接乳頭を交わした。
(完)
―― 乳たちの世界は今日もぽよぽよとしている。冬の夜を寄り添って過ごした彼ら――彼乳らは、もうすぐ春の暖気の中で、ふよふよと弾み、その身体を伸ばし、乳頭を平べったくリラックスさせるだろう。花の咲く日には、あの公園にふたり(双乳)でぽむんぽむんと出かけてゆく。桜の樹の周囲で彼乳らは、別の乳たちに出逢えるかもしれない。白い乳、黒い乳、黄色い乳、さまざまな大きさの乳たち。また、ベンチの老人に連れられて横たわる犬や、日向で仰向けに溶ける猫の腹に、彼乳らは自分の仲間を見つける。「も、も」「もも、もっ」。喜び合う彼乳らは、頭部に白い汁を滲ませていた。――
シリーズ・乳と暮らす の次回予定作は「数えると増える夫の乳」です。よろしくおねがいしま乳(にゅう)。