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「好き」だけでもない、あなたを動かす力は何?

最近、考えていたテーマ。

「ルーチン」について

ルーチン、ルーティン、ルーティーン (routine) とは、習慣的・定型的な手続きや仕事のこと。日課。定常処理。Wikipedia

わたしは「ルーチンができない」「好きではない」と宣言し思考停止していた。

でも、なんかどこか言い訳のようだし、違和感があって心地よくなかった。

友人からも「余計なところは変えずにルーチン化して、変えるべきところに集中して変える」という言葉を聞いたりして。

手あたり次第とはいかなくても、出来る限りのパターンを壊して生きている自分が何だか浅はかにも思えてきた。

そんな中、こういう記事に出会ったりする。


なるほど「機械的」であったり「意地」や「ヤケクソ」「狂気」だろうがルーチンに自分を乗せることで、ある一定の域を抜けるんだろうなと気付く。しかも成功の秘訣?!

毎日同じ時間に起きられないとか、同じ道で行き帰りするのが苦痛とか、好きなことでも毎日はできないとか、具体的なようで実は曖昧に「嫌だ」と決めつけていた。それは乱暴だと考え直して、ルーチンに対する自分の解像度を上げてみた。

機械のようになれるとき

ここで、リンクを張ったブログから引用する。

機械は苦痛を感じることなく、反復が可能です。人間は反復に苦痛を感じます。だからこそ「機械になりたい」のではないかと邪推します。でも、成功に必要なのはこのスタンプ感覚であり、判で押したように同じことを反復できることです。朝練は辛いですが、朝起きて寒い中でチャリを転がすことを嫌がるのはCreativeAvoidanceではありません。単なる生理現象です。寒いのは嫌ですし、眠い中、チャリを転がすのも辛いのです。それは生理現象であって、決してCreativeAvoidanceではありません。でも、そこで何事かを頭が考え出して、脳のおしゃべりを許すとそれはCreativeAvoidanceです。「全然、ドキドキもワクワクもしない!」「野球部に入れたころの喜びがもう無い!」とかおしゃべりをしだしたら、黙らせましょうw

ここで言う成功の秘訣は、機械のようにルーチンができることだと仮定してみる。(「早起きは成功の秘訣!」みたいな雑な話ではない。)

わたし自身、果たしてこれが全くできないか?というと、そんなことはないかも、と気が付いた。

それなら、どんな状況ならできているんだろう?と我が身を振り返ってみると、、

それは『与えられた仕事に向き合う時』だと分かった。

わたしにとっての”与えられた仕事”を構成する要素は、

相手が在る、信用・信頼、自分の評価、質の担保、報酬。

そして、それらすべてを保つための『責任感』。

その『責任感』で動いているときは、できている。たとえ毎日やらなくちゃいけなくても、できている。どんな単純作業もできている。しかも結果的にハイパフォーマンス、楽しさや面白さにも気付けている。

脳のおしゃべりを無視してひたすら出来ることが、こんな私にもあるんだ!

自分だけの原動力をみつけよう   

さっきわたしが発見したように、自分が機械のようになって稼働できる瞬間があるのならば、その原動力をみつけることが何より大事だよね、というのが今回の言いたいこと。

なぜなら、みんな違うはずだから。

わたしのように、責任感が自分を動かしてくれるかもしれない。何よりお金が重要な人もいる。過去への後悔や誰かへの復讐心に突き動かされていることもある。賞賛が一番欲しいのかもしれないし、その行為自体に救われているのかもしれない。ひたすら挑戦がしたいという人もいる。助けたい、という動機の人もいる。誰かへの愛情ということもある。恨みが原動力だっていい。その原動力が尽きてやる気がなくなったら、また次の何かが動き出す。

アンディ・ウォーホールは純粋な表現欲だったのかな?サクちゃんさんは何だろう?

原動力に優劣も善悪もない。

「好き」のさらに奥にあるもの

世の中には「好きなことに夢中になりましょう!」「好きなことの為なら辛くても毎日頑張れるはずだ。」的な考え方が多すぎる。

もちろん、純粋に「好き」だけでやれる人だって当然いる。

でも、多くの人は「好き」の向こう側に、実は「好きを上回る原動力」がある。それを自覚していてもいなくても、それによってはじめて機械のようになれる瞬間が生まれているのではないかな?

だから、好きなことをすればいいって感覚ではまだ浅くて、もう一歩進めて見つめるべきじゃないかなと思う。その奥にある原動力を。

それってつまり大事にしてる価値観だよね?とも言えるけど、こうでありたいという理想から出てくるものではなく、並べられた言葉から選ぶようなものでもない。

原動力が存在する場所と構造を把握するのが大事で、これは行動を振り返ってみなけりゃ分からない。立派なことじゃなくても、毎日何かしらしてる訳だし、そこから発見することだってできる。

まぁそんな訳で、全てにおいてルーチンができない人間ではなかったと自分を慰めることができました。笑(ただし、日常生活全般をルーチンで固めることはわたしには出来ないだろうな。それが出来る人の原動力は何なのか興味ある。。)

最後に

成功の定義はよく分からないけどさ、

自分の原動力に気づき、それを認めてあげて消化することは、その人にとって、その人の魂にとって、きっと喜ばしい事なはず。

そんな風に、小さなことからでも、人生を丁寧に満たしていきたいと思う。

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