ウズベキスタン旅行記 #7:ブハラのモスクとメドレセ
2019年に訪問したウズベキスタンの旅行記です。
#6はこちら:2つめの都市・ブハラへ
ブハラ2日目の朝は、停電と共に始まった。
朝早くから出かけるつもりだったのに幸先が悪いとしょんぼりしたものの、10分程でしれっと復旧した。
ウズベキスタンでの見所はヒヴァとサマルカンドに集まっているものだと思っていたが、ブハラにもたくさんの見所があり、そしてそれぞれが美しかった。
有名なところからそうでないところまで、今回はブハラで出会ったモスクとメドレセ(マドラサ)の写真を中心につらつらと載せていこうと思う。
カラーンモスク。
一万人を収容できる程の大きなモスクらしい
カラーンモスクの横にはカラーン・ミナレットと呼ばれる塔がある。
モスクはかのチンギス・ハーンによって一度破壊されたものの、ミナレットは破壊を逃れたそうな。
カラーンモスクの真向かいには、向き合う形でミル・アラブ・メドレセがある。
モスクが寺院を意味するのに対し、メドレセは「神学校」を意味する。
アーチの装飾が華やかで美しいアブドゥールアジズ・ハン・メドレセ。早朝は人も少なかった。
絶対にインスタグラマーだ…と思われる女性がここで1人三脚を立てて本気自撮りをしていたので撮影をお願いしたところ、他人である私の写真も何枚も撮ってくれた。
インスタグラマー、いいひと。
イスマーイール・サーマーニー廟。
小さい建物ではあるが1000年以上前に建てられたもので、中央アジアに残るイスラム建築の中では最も古いものだそうだ。
ボロハウズ・モスク。
ウズベキスタンに来る少し前にTwitterでバズってる写真を見かけたが、実際に訪問すると写真では青々と美しかった池は水を抜かれ、砂埃と共に工事の真っ最中だった。現実はそんなものだ。
翌日ボロハウズ・モスクに再度訪問すると、入り口にいたご老人に「中へ入ってもいいよ」「写真を撮ってもいいよ」とジェスチャーで案内された。嬉しい。
花びらのような美しい天井だった。
Qo'sh Madrasa。
読み方はなんだろうか。コーシュ・マドラサ?
Yandex mapを頼りにふらふらさまよっていたところで出会った。
手持ちのガイドブックには載っておらず、現地のおばあちゃんと孫がのんびりと散歩をしているような場所だった。
こちらも読み方不明のModarykhan Madrasah。
ここも観光客らしき人は見当たらなかった。
朽ち始めた扉やタイルたち。
美しいモスクたちも手入れがされないとこうなっていってしまうのか。
住宅街の中で不意に出会った、名前のわからない建物。こんなのがしれっと町中にある。
ボロハウズと同じような柱が特徴的。
Rashid Madrasa。
木漏れ日と木々のざわめきと相まり、思わずしばらくの間立ち止まってしまうほどに美しい場所だった。あの空間ごと写真に残せないのが惜しいほどに。
タイルの無いシンプルなモスク(か、メドレセ)もあった。
ガウクシャン・メドレセ。
ガウクシャン・メドレセの近くにあった建物。こちらも元々メドレセだったのだろうか?
扉をくぐると中庭があり、今はレストランになっているようだった。
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。
偶像崇拝を禁止しているイスラム教ではタイルには
植物の模様を描くのが一般的だが、ここは鳥(不死鳥)と人の顔が描かれている珍しい場所だ。
Kukeldash Madrasahの天井。
朝イチで行ったアブドゥールアジス・ハン・メドレセを再訪すると、ここぞとばかりに入り口に土産物が広がっていた。朝イチに訪問しておいてよかった。
とはいえ。朝は閉まっていた扉の中に入ると、それはそれは美しい空間が広がっていた。
彩釉は当時のままだろうか。
時間と共に掠れ、薄れた様子はむしろ当時の様子に思いを馳せるには十分だった。
彩釉が消える程の長い年月を経たこの場所で、何百年も前にも同じ場所に立ち、天井を見上げた人がいると思うと何ともいえない気持ちになれる。
こうした気持ちを味わうために旅行をしていると言っても過言では無い。
一転して、こちらはモスクでもメドレセでもなく、アルク城というお城。
5世紀頃からあるそうで、今は博物館のようになっていた。上からはブハラを一望できる。
旧市街の裏道で出会った場所。
Dostum Chorgosi Masjidi(Mosque)という名前らしく、1500年代のものらしい。
気のせいか、ハリネズミらしき生き物が隙間に潜り込むのを見たが、あれは何だったのだろうか…。
ちなみに今回記事を書くにあたり検索したところ、崩壊して朽ち果てた状態のこのモスクの写真をフォートラベルの記事で見つけた。2023年の旅行記だったので、4年の間に崩れてしまったのだろうか。
修復中だとしても、もう二度とこの風情を見ることができないのは切ないものだ。
Dostum Chorgosi Masjidiの近くにあった、RAHMONCUL MADRASAH。
こちらは1700年代後半のメドレセ。
こちらも朽ちかけてはいたものの、新しいものには出せない情緒と佇まいが素晴らしい場所だった。
人々の生活と町の中に溶け込みながら、この場所で長い時を経てきたのが分かる。
ふと横を見ると、少し離れたところからマダムとちいさな子どもが異邦人の私に笑顔で手を振っていた。言葉が通じないながらも温かい光景だ。
しかしこのあたりは本当に裏道のせいか、迷子の観光客だと思われたらしい。現地のおじさんが「メインの通りはあっちにあるよ!」と言わんばかりに現地の言葉で親切に案内してくれた。
迷子じゃないけどありがとう…!
ブハラではYandex mapを頼りに「道が繋がっているか」だけを確認しながら散歩をしたが、結果予期せずたくさんのモスクとメドレセと出会うことになり、実に楽しかった。ヒヴァとはまた違うワクワクを感じながらの散歩になった。
ブハラのモスク・メドレセ編はこのあたりで。
次回はブハラで出会ったスザニや食事について書こうと思う。
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