難波の女神~アカルヒメ、明るくてわがままな太陽神
大阪市に此花区があります。大正時代にさだめられた区です。あれ、コノハナサクヤヒメと関係があるのかなと調べましたが、直接は関係ない。難波は美しく花咲く港、という短歌からとられた。
で、ナニワの女神はアカルヒメと思いだしました。此花区の北どなり、西淀川区にある姫島神社探訪記を、Facebookページ亀井堂水の信仰、より再録します。
姫島神社は、やりなおしの神とも信仰されます。アカルヒメは新羅の皇子に見初められ結婚。しかし、うちはナニワの女やしナニワに帰る、と離婚します。アカルヒメを追ってやってきた皇子を門前払い。ナニワの太陽神として輝かしい独立独歩の信仰を集める。要するに、離婚の神様です。
太陽神として、アマテラスとの関係はどうなるのか。四天王寺亀井水を水鏡として礼拝していた太陽神は、おそらくアカルヒメではないかと想像します。
姫島神社。大阪市西淀川区。
阪神姫島駅を降りて、駅の地図をしっかり頭に刻んで、いざ。逆方向に歩いていました。
十分でつくはずが、40分かかりました。
阿迦留姫にふられ、難波まで追いかけてきて門前払いされた、新羅の皇子天之日矛の心境、かくあるべしや。
難波の太陽の女神は、アカルヒメ、阿迦留姫です。中沢新一さん曰く、伊勢のアマテラスは国家神として厳粛にお祀りされたが、難波の太陽の女神は、大阪のおばちゃんになった。
おばちゃん、あんたらアカルヒメそのものやで。
寺社詣りしたら、必ず本殿の裏も見る。ここは立ち入り禁止。しかし、本殿の千木と鰹木を見ると、男神の仕様である。
戦後の再建であるが、なぜだろう。住吉大神を主神とみなしたのだろうか。(建築様式は住吉造り?)
鶴橋のヒメコソ神社は、明治の神社合併で牛頭天王の社に間借りしたので、社殿の仕様は男神である。
参道右手に、空襲で焼け幹だけ残る樹齢900年の楠に住む蛇神、奈賀止麿、を祀る楠社。
空襲ですべてを失い、戦後再建にあたり、離婚して自立した阿迦留姫にならい、やりなおし神社ともよばれるようになる。
絵馬は、ホタテの貝殻。
万葉歌碑、妹な名は千代に流れん姫島の小松がうれに苔むすまで。河辺宮人。
境内末社のお稲荷様は、裏も回れます。回りを回る仕様のお稲荷様は、天満宮でも同様。
古代寺院の中心伽藍など、回りを回るという信仰はけっこうある。裏も見ようというのは、そういうわけです。