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推古天皇はなぜ山背大兄王をカイショナシと罵倒したか


天寿国繍帳、部分
多聞天の別の姿、深沙大将かも(西遊記の沙悟浄のモデルであるオアシスの神)

天寿国繍帳、補足。


聖徳太子の死後、上宮家は混乱します。普通は山背大兄が家長になったと理解されています。

しかし、山背より重要人物がいます。

推古の孫娘で、若いといえ正后である、橘姫です。橘の地位を保障するために推古が作らせたのが、天寿国繍帳なのです。

銘文の意図が明らかであるから、橘を護るのは推古以外にありえず、この銘文自体は本物でしょう。

後世の創作ならば、橘を顕彰するはずはありません。


ならば、面白くないのが、山背の嫁さんで、太子と共に亡くなったことで神格化された膳妃の娘、ツキシネです。未亡人と嫁さんの対立に、山背はオロオロする。

推古は亡くなる直前、山背に、かいしょなし、と罵声を浴びせる。山背は嫁さんの尻にひかれている。王家の主人なら、橘を正后にしないでどうする。祖母の間人さえ、義理の子と再婚している。

上宮家は女の争いで、回りにも迷惑をかける。蘇我本家の墓所の工事に、橘が人足を提供すれば、山背の嫁さんが抗議する。

橘への返礼に蘇我蝦夷が、天寿国の7✖7の亀の群舞を行うと、反逆者の証であるヤツラの舞だとフェイクを流される。

上宮家の信用は地に堕ちる。


という推理は、いかがでしょうか。


写真は四天王寺の、眠り猫。にゃんとも言えず、寝たふり。😵

元は左甚五郎の作
日光東照宮の眠り猫より先

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