今日、彼岸の中日は、聖徳太子の月命日。夕日礼拝の浄土信仰の起源は亀井水の朝日礼拝の太陽と水の信仰。そして太子二歳信仰。
今日、彼岸の中日は、聖徳太子の月命日でもあります。
聖徳太子信仰の、特徴は、二歳像や十六歳像が広く信仰の対象とされてきたことでしょう。
数え年の二歳は、今なら一歳にあたります。
父用明天皇が毎朝東の空を礼拝するのを真似て、太子も欠かさず東の朝日を、南無と唱えながら礼拝された。やがて、その手のなかに、仏舎利が幾つか現れた。
その仏舎利は、四天王寺と法隆寺に大切に守られています。特に四天王寺では、参拝者とともにその仏舎利を礼拝するお加持が、毎日欠かさず連綿と続いてきました。記録では、平安時代の貴族の日記にも書かれていますから、すくなくとも千年以上継続されてきた行事です。
この朝の太陽礼拝の信仰が、亀井水の幾何学的構造からも、読み取れます。また、この亀井水の水と太陽の信仰が、浄土信仰の夕陽礼拝に結びつき、全国へ広がっていった。
ちなみに『観無量寿経』に説かれた日想観(じっそうかん)は、修行の入口、ステップワンです。次に水を観察する水観から、本格的なイメージコントロールにはいります。四天王寺が浄土信仰のメッカになったのは、亀井水があればこそ、だと言えるのではないでしょうか。
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日本人は、子供は神仏の世界に属している、と考えてきました。幼児死亡率の高かった昔は、だから子供は容易に神仏の世界に帰ってしまうと、思われたのです。
子供は、神仏からの預かりもの。親の所有ではない。
今日の法社会でも、子供は独立した人格として尊重されます。
伝説かもしれませんが、聖徳太子信仰を色濃くのこすある村では、2月22日太子の祥月命日の夜は、村の若者はみんな夜這いをする風習があった。この夜に身ごもった子供は、村全体で大切に育てた、といわれます。
国民の未婚率が急増し、貧困化も相まって結婚に消極的な日本人には、神聖な夜這いの夜は必要かもしれません。本来、どこでも祭りとは、男女の出会いの特別な機会でした。
子供を大切にする信仰。
聖徳太子信仰の最大の遺産かもしれません。
そして、話し合いを尊重する政治思想。
聖徳太子に日本人が刻みつけてきた信仰と思索は、極めて現代的な課題に答えるものでしょう。
写真、元興寺太子二歳像