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思春期をとりもどせ~不毛な言葉「中二病」
雀は人間の文明が始まって以来の、共生生物だと思われます。付かず離れず生活域を共有し、人間がいなくなった集落からは雀の姿も消える。
だから、日々雀と適度に遊ぶのは、文明人のあかしといえます。
しかしまあ、公園で雀と遊ぶ人というのは、どちらかというと、マイノリティです。
社会にとり意味のない存在。
また、あえて社会的意味など求めない自我の働きともいえます。
日本人は、子どもは半分神様の世界にいる、という観念をもっていたようです。だから、容易に死ぬ。神様の世界にもどってしまう。
それが、単なる未完成な大人と見なされるようになりました。
子どもであることは未熟さでしかない。
社会の辺縁には、曖昧な多様性が統合されずに存在します。
人間存在にも曖昧な辺縁部があります。
詩や芸術は、辺縁から生まれます。
社会的規範の中では詩は生まれない。標語にしかならない。
辺縁性の豊かな感受性。思春期という美しい言葉があります。思春期は大切な時期です。
しかし、思春期は死語になりました。
私たちを破滅させた粗雑な言葉が、中二病、でしょう。私はこんな言葉は使いません。人間性のあらゆる曖昧さを許さない強迫観念です。
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