お見合いの名所大阪天満宮の星合池で、一夫多妻を妄想する
写真は大阪天満宮の、星合池と星合橋。お見合いの名所だったそうです。
で、話は飛びますが。
夫婦制度について。
一夫多妻、とは、思うに男には負担の重い婚姻制度です。経済的にも大変ですが、心理的にも愛情の負荷は重い?たぶん。
たとえば、イスラム社会。なぜ一夫多妻にしたかというと、戦争未亡人の福祉のためでした。裕福な男は、生活に窮している女性を助けなければならない。しかも、愛情に差別があってはならない。
イスラムは、現実的な社会福祉を重視します。持つものは持たざるものに寄付をしなければならない。そうした福祉の一環として、一夫多妻を定めた。
古代日本で、大王の血縁者は、一夫多妻であったことは、間違いありません。その中から、つぎの大王を選定する、無益な争いを減らす合理的な制度といえます。だから、血統を絶やさないために、一夫多妻であった。
では、大王家以外の有力者はどうであったか。
たとえば、蘇我馬子の妻はなんと物部守屋の妹でした。物部守屋が滅ぼされたあと、その遺産の相当部分を、馬子の妻が当然のごとく相続したようです。まず馬子と守屋が義兄弟であったことも驚きですが、馬子の妻と兄との関係性はどうだったのか。
話が脱線しました。蘇我馬子には、妻は一人だけだったのか。いかに権力者といえ、一夫多妻は認められなかったとしたら、蘇我馬子は身分をわきまえていたことになります。
さらに時代をさかのぼります。
魏志倭人伝には、邪馬壱国は、身分の低いものまで、一夫多妻である、と書かれています。
これは、常に、男女の人口差があったということです。中国の歴史書には、倭人は女だらけの国だと、後々書かれてしまいます。
なぜでしょう。
イスラムのように戦争未亡人が多かったのでしょうか。あるいは、戦争で女を略奪してきたのでしょうか。
しかし、邪馬壱国は、男女とも礼儀ただしくおだやかな社会である、と書かれています。戦争からみの話とは思えません。
沖縄の海民社会で、大航海と国を維持することで、男女分業がなりたっていた、ならば、ふにおちます。島嶼文明という特殊な条件を想定すれば、一夫多妻は合理的な制度ではないか。
ふにおちる、というだけで、証明にはなりませんが。
近代ロマンチズムで、恋愛を理想化してきた、日本人ですが、どうも恋愛だけではうまくいかないようです。日本人の恋愛には、思想的深化がない。
天神さんの星降る池で、お見合いするのも、いいかもしれません。
我々庶民は、一夫一婦を大切にしながら、婚姻制度が人間の足枷にならず、子どもたちにも幸福なしなやかな生活を保証するためには、大人も成長せなあかんな。家族というものは、社会のなかの規範の小空間であると同時に、社会の矛盾や暴力性から人間を守る柔軟な場でもなければ。
天満宮の神様は、捨て子の蛭子と左遷された菅原道真さん。この世の不幸をしょいこんでしまって神様になられた。
そんな神様のいらっしゃる池で、人は結ばれる。ややこしいな、神様も人間も。
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