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夜光貝のロマン、ヤク人と推古朝と遣隋使
見出しは、Facebookページ沖縄にも古代史はある、より沖縄の卑弥呼さんアバター。
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大型のものは20センチぐらい
夜光貝は夜光虫のように蛍光はしない。
貝殻が厚く美しいので夜光の字があてられたものらしいが、もとは、ヤク貝と呼ばれ、ヤク人がもたらす貴重な交易品であった。
ヤクから、現在の屋久島で産すると説明されることがあるが、実際には屋久島ではほとんど捕れない。
奄美大島以南の、沖縄、先島諸島が産地であります。
つまり、日本中心部から見て、南西部の島々を、ヤクと呼び、その入り口にそびえる島を屋久島とした。
日本書紀、推古紀には、ヤク人が何度か少人数来訪し、帰化したとの記載があります。
また、中国の隋書には、煬帝が流求国討伐を命じたが流求人は軍隊とは思わず交易したとあります。
そこで持ち帰った布甲を、小野妹子らの遣隋使に見せたら
「これは、イヤク人のものだ」
と答えた。
なるほど、倭人は流求国をイヤクと呼ぶ別の国なのかと、中国では認識した。
そこで、隋書には、倭国伝と別に流求国の章をもうける。
私は、魏志倭人伝の倭人は、沖縄だと理解しています。
中国にしてみたら、倭人も流求も漠然としている。隋書で初めて区別された。
推古朝でヤク人と呼ばれた南島の人は、はるか以前から少人数で交易のために、四方に航海していた。
飛鳥には北のエミシの来訪もあり、また南島からもしばしばやってきた。
聖徳太子の、おそらく短命であった第一夫人、推古の娘である、カイダコヒメのカイダコは、美麗なオウム貝ではないかと推測したことがあります。
飛鳥文化は、海洋的スケールの文明であった。例の、日出ル国、という言葉には、海のイメージがあります。
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昭和以降カイダコとも呼ばれる
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