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戦時金属供出で失われた巨大な亀銅像
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明治までは蓮池だったが
無断で亀放生をする人のせいで亀が増え蓮は亀に食われてしまった
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まず亀井水
この亀形水盤は聖徳太子の遺産
上の亀の噴水は明治末に設営
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親亀の背中に小亀を乗せて、小亀の背中に孫亀乗せて、親亀こけたら、小亀孫亀みなこけた。
仏教世界の須弥山は、亀の背中に乗っている。さらに須弥山の上に観音様がのる像が、法隆寺太子殿秘仏聖徳太子像の胎内におさめられています。
今日は、失われた四天王寺の巨大亀の大仏について。
おそらく、亀井水の改造がおこなわれた、明治末から大正のころに造形されたものでしょう。
亀の池のそば、六時礼讃堂の東の、いまでも空地になっている場所にありました。
まず巨大な石組みの台座。その台座からはみだしそうな巨大亀が乗り、その背中に象が乗り、象の背中に普賢菩薩が乗る。
象と普賢菩薩の組み合わせは、普通にありますが、それを亀が支える。
みあげたら、首が痛くなるような大仏だったそうです。
戦時中の金属供出で、失われました。
残された台座と、回りの結界は、亀井堂東の参道に移され、不動明王が祀られています。
このお不動さまにお詣りするとき、かつてその岩の上にそびえていた、亀と象と普賢菩薩の偉容を想像してみてください。
亀の上に何かが乗り、さらにその頂点に仏さまが乗る。
頂点に立つためには、土台の亀がしっかり支えなければなりません。
頂点が土台をぶら下げているのでは、ありません。
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かつての普賢菩薩+巨大亀像の台座
いまは不動明王を祀る