誰も知らない東京都制の歴史。戦時法制の遺物。都がエライのではない。
#大阪市を守れ
関東大震災の復興の過程で、東京市は周辺町村を次々合併し、東京府の人口の大部分を占めるようになりました。そうなると、東京府知事(国からの任命制)の立場が弱くなりすぎ、解決策が模索されました。しかし、クーデターから戦争に向かうなか、議論は熟しません。
で、東京市を廃止し、知事の一元支配の、東京都が、戦時法制として生まれたわけです。
戦後、民主的な地方自治を目指して、地方自治法がスタートしたとき、東京都は条例で戦時法制の形を固定化してしまいます。他とは違う潤沢な税収により、特異な特別区が残されたのです。
戦後、特別区の位置づけは転変します。最初こそ、区長公選制でしたが、任命制にかわりました。美濃部知事の民主化政策で、区長公選制にもどされましたが、基礎自治体としての主権が制限された、半人前の自治体でありながら、他にない潤沢な税収により維持されてきました。
大阪に、東京都のイミテーションを作れば、東京都のようになれる?
しかし、大阪市だけを解体しても、東京都のようなスケールにはならない。周辺市を全部特別区にする必要がある。
その手だてをふくめ、大都市特別区設置法には明記されました。住民投票なしで、特別区にできる、と。
大阪市解体だけでは、とても都制といえる体裁にはならない。だれも触れようとしませんが、周辺市の特別区移行は、基本のキ、です。
では、戦後、東京都下の一般市で、特別区移行を希望した市はあるか。自ら主権を放棄しようなんて市はあるわけがありません。
大阪に、戦時法制東京都のイミテーションをつくる。永遠に不可能でしょう。
ただ、大阪市をぶっつぶしただけで、おしまいです。
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