266年壹与の使節以後の歴史の空白。晋書天文志の268年の隕石の記録。andツングースカ大隕石。andニギハヤヒ=大隕石というリーダーの東遷
ツングースカ大爆発。
1908年6月30日7時2分シベリア、ツングースカ地方で大爆発が発生。
空振による発熱で半径30~50キロメートルの森林が炎上。
2150平方キロの樹木がなぎたおされる。(被害総面積約7000平方キロ?)
1000キロメートル離れた家屋のガラスが割れた。
火球が目撃され、20数回の爆発音があった。
2013年の調査で、隕石由来物質を発見。隕石説が確定する。コンピューターシュミュレーションで、隕石は直径数メートル程度と推定。
空中爆発であったため、クレーターはなかった。
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という事例をもとに、晋書天文志の268年の隕石の記録をどう解釈するか。
「雨のように星が降った。みな西に流れた」
まず、西に流れた、ということは、いわゆる流星群ではない。隕石の項目に分類され、二年後呉の将軍が二千の兵とともに晋に逃亡する。呉の滅亡の前兆と解釈される。
実際は何が起こったのか。
バラバラの隕石がまとめて一方向に降ることは、まずあり得ない。
可能性としては、かなりの巨大隕石が東から大気圏に突入し、大爆発を繰り返しながら無数の破片を西向きに飛散させながら、最後は東シナ海に突入した。沿岸全域に巨大津波が襲い、衝撃波とともに、甚大な被害をもたらす。
海軍国の呉の艦船は壊滅。
沖縄文明もほぼ消滅。晋との交流もとだえる。
また、東シナ海沿岸の災害難民は、ニギハヤヒつまり大隕石というリーダーとともに、東へ大移動する。
広域に目撃された大隕石。ニギハヤヒ、大隕石と名乗るリーダーによる、災害難民の東遷。トミヒコたちがその難民を迎え入れ、トミの国がヤマトへと変遷する。
日本列島の変動。中国の呉の衰退。
この隕石災害を前提とすれば、東シナ海周辺文明の歴史が整理できるのでは。