
四角い舞楽。8×8は中国、7×7は天寿国繍帳かも。
論語第二巻冒頭
孔子謂李氏
八イツ舞於庭
是可忍也
ナニオカ不可忍也
変換出来ない漢字、ごめんなさい。
八人×八人の群舞を、イツ舞といい、古代では天子の特権であった。家臣の身分である李氏が、それを行ったので、孔子は憤慨している。
日本書紀、皇極天皇元年。
蘇我大臣蝦夷、己が祖廟を葛城の高宮に立てて、八イツの舞をす。
蘇我大臣蝦夷の専横を物語るエピソードである。臣下の身分で、八イツの舞をおこなうのは、謀反の証である。
しかし、私は変だと思う。
論語は、この時代にはよく知られていたはずだ。蘇我蝦夷が、それを承知で、八イツの舞を行うだろうか。
この祖廟の工事には、上宮家も協力している。それを、山背大兄の妻ツキシネが非難している。
蘇我蝦夷は、上宮家を恫喝して、協力させたのだろうか。すると、山背は易々とそれに屈したのを嫁が怒っているのか。
ここで、天寿国繍帳をふりかえる。これは、推古が孫の橘のために作らせた。つまり、上宮家の正后は、橘であるという証明である。
正后たる橘が、蘇我蝦夷に協力したとしたらどうだろうか。
山背の嫁は、橘に怒りをぶつけているのではないか。
私の分析で、天寿国繍帳の銘文は、真ん中に聖徳太子のお名前を置き、左右対称に亀が七列×七列、で配置されたのではないか、と推論した。
イツ舞は、中国での作法では、偶数で行列の人数を身分に応じて決める。
もし蘇我蝦夷が、橘への返礼として、天寿国繍帳の亀の舞を奉納したら?奇数七列の群舞は、イツ舞にはあたらない。
それを、イツ舞だと非難する。
つまり、上宮家の内部のケンカで、蘇我蝦夷がとばっちりを受けたの、、、かもしれない。

写真は、台湾で祝賀行事としておこなわれている、現代のイツ舞。

一仮説として、徹夜で製図した再現図