日本国名の成立。旧唐書と新唐書の説明の微妙なちがい。いずれにせよ、倭国と日本国は別の国だった。2024年11月再掲載
歴史に日本という国名が登場したのは、670年の遣唐使河内直鯨が予告し、702年の遣唐使の粟田朝臣真人が、唐に、国名を正式に日本と改めた、と報告してからです。
これを、唐の歴史を記録した二つの書物、旧唐書と新唐書が証言します。
旧唐書
日本国は倭国の別種なり、その国は日辺にあるがゆえに日本と名のる。倭国はその名前が雅ならざるゆえ日本となす。日本はもと小国、倭国の地を併せる。
新唐書
倭の名をにくみ、更めて日本となす。使者自ら言う、国日の出る処に近し、ゆえに名となす。
あるいは言う、日本はすなわち小国、倭の併せるところとなる。ゆえにその号をおかせり。
いずれにせよ、倭国と日本とは別の国であった。
旧唐書では、日本が倭国を併合した。と読めます。
新唐書では、倭国が日本を併合し、名前を横取りした。と読めます。
どうやら、日本は東にあった小国で、倭国と合併して、日本国が出来上がった。
東の国は、蝦夷の国でしょうか。日本は蝦夷の国であった、ようです。