三年前の回顧。維新の怪の原点「大阪市廃止」
言葉の催眠商法詐欺
三年前、大阪市廃止住民投票、がおこなわれました。
といっても、記憶にない、という方が多いかもしれません。
マスメディアは、大阪都構想、という言葉で報道しました。
法で定める住民投票は、正しい名称で報道しなければなりません。
〈大阪都構想〉という言葉は、維新だけのキャッチコピーです。
つまり、全マスメディアは、維新のキャッチコピーを報道するという、完全な不法行為をおこなったのです。
結果、大阪市廃止という本質が周知されないまま、住民投票が行われました。
大阪市廃止、をぎりぎり知って投票した方は大部分が反対しました。
つまり、維新の結党目的、大阪市廃止は、大阪都構想という言葉の催眠商法詐欺のまま、当時超アイドル化したヨシムラ知事の人気投票として、圧倒的に維新の勝利として実現の瀬戸際だったのです。
大阪市廃止解体は終戦直後のカビの生えた古くさい議論のむしかえし
大都市の特別区設置法に定められた、大阪市廃止を問う住民投票。
なぜ、住民投票が義務づけられたのか。
この、特別区という制度は、あえて政令指定都市を廃止して、その税収と権利を府知事に委譲するものだから、住民にとり不利益をこうむる可能性がある。だから、覚悟はよろしいですかと問うものである。
と、国会では説明されていました。
そもそも、話は戦後の地方自治法の制定までさかのぼります。
大都市の自治権を認める、特別市がさだめられました。しかし、府県にしたら、中心都市を手放すのは、大損失です。
法律どうりの特別市は難航します。
大阪府も産業都構想という名称で、今の都構想の原形となる提案をしますが、大阪市は当然拒否します。フトシデフシアワセ、というギャグが生まれたのも、この時です。けっこう古い話なんです。
全国的な熟議をへて、1956年地方自治法を改正、政令指定都市がさだめられました。
都構想的なアイディアの不完全さを解決したのが、政令指定都市制度だったのです。
以来、半世紀をこえ、政令指定都市制度は洗練され全国20都市に拡大してきました。
大阪市と大阪府が大ケンカしたというのは、戦後混乱期の伝説です。
話し合いは不毛だから、大阪市を廃止しようという、古い話の再来でもある、大阪市廃止住民投票。
話し合いするより、知事の独裁のほうが効率的だ。
政治思想としてゲスの極みです。
聖徳太子は、お怒りやと思いますが。
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