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薄命の皇女、貝蛸姫。カイダコてなんだろう。
聖徳太子とカイダコ?
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写真1、2、は、アオイ貝。昭和になり、カイダコとも呼ばれるようになるが、貝殻二枚を並べると葵の葉のようになるため、アオイ貝の名前が一般的。
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写真3、は、オウム貝、ノーチラス。
さて、聖徳太子の妃の話です。
聖徳太子には四人の妃がおられました。
おそらく、正妃となるべきだったのは、敏達天皇と推古天皇の娘、菟道貝蛸姫、ウジノカイダコ姫、と見なされますが、この妃には子供がなく、結婚してまもなく早世されたのではないかと、考えられます。
敏達天皇と広妃の間には、菟道敷津貝姫、という皇女もあり、貝蛸姫と敷津貝姫を混同することもあるようですが、別人でしょう。
敷津は、おそらく地名で、今の大阪市浪速区にあります。敷津貝が具体的に、なんらかの貝を意味するのかはわかりません。
もっと不可解なのは、貝蛸姫です。
いま、カイダコとされるのは、アオイ貝の別名ですが、カイダコの名前は昭和になり使われるようになったもの。しかし、貝殻(メスにだけある)は白く美しく、古代人もカイダコと呼んだ可能性はあります。
しかし、見た目の華麗さで言えば、オウム貝もふさわしいかもしれません。
オウム貝は本州付近にはいません。熱帯の貝です。フィリピンあたりにはたくさん棲息し、食用にもされる。
飛鳥王権にオウム貝が献上されたことがあるか。
隋書流求伝には、小野妹子一行と思われる倭国の使者に、前年流求征伐(流求人は交易団とみなして歓待した?)に向かった軍人が持ち帰った、流求人の布甲(戦闘衣)を見せたら、倭国人はそれは夷邪久人の物だと証言した。屋久島以南のことを、夷邪久と呼んでいた。また、その装束についての知識もあった。
南西諸島と飛鳥王権との交易もあり、古代より貝類の珍品は貴重な献上品でもあった、とかんがえられないではない。
曖昧な話ですが、貝蛸の候補にオウム貝も入れておきたいと思います。
貝蛸姫は薄命であった。推古天皇は、後に孫娘の橘姫を、聖徳太子に嫁がせます。また、聖徳太子の死後、橘姫の地位保全の証として、天寿国繍帳を作らせます。山背大兄夫婦と橘姫の関係は、どうもギクシャクしたのではないか。
日本書紀を書かれてあるとうりに解釈すれば、どうも上宮家の消滅は定説とは違うのでは。