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川面の輝きに平和をいのる。聖徳太子から鎌倉仏教の水鏡御影の系譜。

見出し写真、大阪市の大川の輝きに、和の思いをこめる。

#楊枝御影 、#水鏡御影

歴史上、最も知られていた、聖徳太子像。

現在我々の意識に刷り込まれている聖徳太子像は、昭和初期、紙幣の顔として普及したものです。この姿は、明らかに奈良時代の役人の姿とわかっています。

平安時代から中世にかけて、知られていた聖徳太子の姿を、再確認しておきます。

1*四天王寺亀井水の影向井(明治末に改造以後紛失した石槽)由来の楊枝(ようじ)御影。

2*法隆寺の水鏡御影。

いずれも、水に映ったお顔を描かれた自画像と伝わる。

3*その立体像。法隆寺聖霊院秘仏聖徳太子像。着衣に朱色の色彩の痕跡がわかる。

江戸時代からは、二歳像、少年像が、信仰の主流になってゆくようです。

太子信仰の主流であった、亀井水由来の楊枝御影、水鏡御影、のイメージをとりもどしたいです。

なお、手にする板をシャクとみるのが一般的解釈ですが、シャクの持ち方は普通は右手のみで持つ。私は、シャクではなく、水祭祀のための、水に浮かべる木簡ではないかと思います。

#鎌倉仏教の水鏡御影
水鏡御影のいくつか。

日蓮の水鏡御影のうちの一つ。

法然の水鏡御影。

親鸞の水鏡御影。

鎌倉仏教の始祖に、水鏡御影が伝えられている背景には、聖徳太子信仰の影はないだろうか。

菅原道真には、福岡の水鏡神社に、道真が水鏡におのがやつれた姿を映し、嘆いた、という伝承が残る。画像としては伝わらない。

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