酪農が盛んだった飛鳥、厩戸をウシヤトとよんでみる
見出し写真は、平治物語絵巻の牛車(ぎっしゃ)
蘇、そ、です。古代チーズとも言われますが、製造法は不明。学校給食がcovid19で中止になったとき、余った牛乳の利用方法として話題になった。大量の牛乳を煮詰めてかき混ぜ七時間、固まりになったら冷やして完成。しかし、それが正しい製法かは不明。
大阪のいかるが乳業は淡路島の酪農家、鵤(いかるが)さんが大阪市内で牧場を始められたのが始まり。
四天王寺創建にさいし、働いたのは馬ではなく牛です。貴重な磐座が、牛王尊と呼ばれて、信仰されてきました。亀井水からは冬至の日のでの方位を示す位置になる。大晦日にお詣りすると伝承されてますから、冬至の磐座にまちがいありません。
亀井水が太陽祭祀の水鏡だという、私の分析を裏付ける、一例です。
さて、古代やまとでは、酪農がさかんであった。馬より、牛が尊重されたのではないか。
で、またとんでもない仮説を。
厩という漢字は、うしや、と読まれたのではないか。牛が多かったのだから。
聖徳太子のお名前のひとつ、厩戸、は、ウシヤト、と読むべきではないか。
さらに、ウシト、ウシトラ、の方位で多聞天にむすびつく。聖徳太子を多聞天になぞらえて、ウシトラ、ウシト、で、厩戸と書いた。
とりあえず、仮説として。
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